白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

『グッド・ウィル・ハンティング』

「彼女に電話したか」
「いや」
「なぜだ」
「……彼女は、ほかの女とは違う。頭もいいし、退屈しない。でも次に会うと、頭がよくなくて退屈かもしれない。いまのままなら彼女は完璧だ」
「きみも完璧な自分を崩したくないんだろ?」
「……」
「超すばらしいフィロソフィーだ。“誰とも本気でつき合わず、一生を終える”」

 

映画『グッド・ウィル・ハンティング』の一節である。

自分の内面を誰かを打ち明けるのが怖いから、相手にがっかりしたくないのだとウソをついて、「誰とも本気で付き合わず、一生を終える」……

 

まるでぼくのようだ。

 

映画の主人公は、幼いころ両親を亡くし、育ての親に虐待された過去をもつ。愛を知らない子供だ。20歳。大きな肉体でありながら、魂が極端に縮こまっている子供である。

誰も信じず、社会を恨む。夜ごと酒を飲み、バカ友達と一緒に暴力沙汰を起こしたりする。何度も裁判所のお世話になり、拘置所の常連である。

そんな彼は、天才だった。

彼は大学の清掃員として働いていた。作業服に身を包んで廊下を歩いているときに、黒板に数学の問題が書かれているのに気づいて、さらっと解いてしまう。かなりの難問で、学生たちには解けないはずのものだった。

この大学はMITである。

彼は、MITの学生にさえ解けない問題を、一度ならず、二度も解いてしまう。

この才をみた教授は、主人公を更生させようとする。更生させて、数学を極めさせよう。放っておいたら腐ってしまう。なんとか救いださねば……

保釈金を払って拘置所から出し、主人公を管理することになった。条件はふたつ。週一回、一緒に数学の勉強をすること。そして、カウンセリングを受けること。

 

彼の問題は、能力的な問題ではなくて、心の問題だった。

 

主人公は天才である。なみのカウンセラーに相手が務まるわけもない。相手の仕草、装飾品、口調……そういったものから情報を得て、カウンセラーを逆に攻撃する。「俺をカウンセリングするなんて、ふざけんな」。侮辱されたカウンセラーは、次々降りる。

しかし、あるカウンセラーは匙を投げなかった。彼の攻撃によって、自分を内省し、向き合った。そして彼に告げる。

 

「きみには美術の知識は十分にあるだろう。ルネサンスの巨匠にも詳しい。

でも、システィーナ礼拝堂の匂いを嗅いだことはあるかい?

ないだろうね」

「きみから学ぶことは何もない。だって、本に書いてあるのだから

きみが自分の話をするんだったら喜んで聞こう。きみという人間に興味があるから。

でも、自分の話をするのが怖いんだろ」

「きみは臆病だ」

 

主人公は、この指摘に何も言うことができない。ただ聞いているだけだった。

 

主人公は、この人しかいない! と思えるような女性と出会うも、「あなたの家族は?」と自分のことを訊かれるたび嘘をついた。壁を隔てて接していた。たとえセックスしていても、主人公は孤独だった。あるとき女性が「愛してるなら引っ越しましょう」と言いだす。主人公は、無理だよ……と逃げる。

女性「何を怖がってるの」

主人公「怖がってない」

「家族の話、ぜんぶ嘘だった!」

「ああそうだよ。父も母もいない。兄妹もいない! この腹のキズも、手術の痕じゃなくて、ナイフで刺された痕なんだ!」

「あなたを救いたいのよ……それだけなの……」彼女は泣く。

「そんなこと誰も頼んでない! いつ俺が助けてくれなんて言った!」

「違うの……愛してるのよ……愛してないなら言って……あなたの前からいなくなるあから」

「……」

主人公は何も言わずに、彼女の部屋を後にした。彼女は地面に崩れ落ちた。

 

彼の才能を見出した教授から就職先を世話されるも、友人に代理で行かせる。

教授に「それはよくないよ」と言われ、激昂する。「あんたと毎週やる数学も、俺にとっては朝飯前なんだ。こんなものも解けないあんたを待つのに、イライラしてるんだ」

教授は「君と出会っていなければ、才能に嫉妬することも、自分に絶望することもなかったのに……」と言う。「君と出会ってから、夜も眠れない……」

 

就職の話でカウンセリングになる。

カウンセラー「きみは何がしたい。何に情熱をもっている」
主人公「一生清掃員でいい」
「どこでも清掃できるのに、君はMITを選んだ。なぜだ。本当は何がしたい」
「……羊飼いになる」
「いいか、俺を見ろ。本当は何がしたいんだ。
何を訊いても、ああいえばこういう。なのに、こんな簡単な質問に答えられない」

カウンセラーは終わりだと告げる。自分の本心を離さないなら、これ以上続けても意味がない。主人公は、勢いよく出ていく。

 

主人公はバカ友達と工事現場でしゃべる。

主人公「俺は一生工事現場で働いても平気だぜ」
友達「親友だからハッキリ言う。
20年たってもお前がここで働いてたら、お前をぶっ殺してやる。冗談じゃない。本気だ。
お前は俺たちとは違うんだ」
「またかよ。俺は自分の好きに生きる」
「わからないのか。お前が自分のことを許せても、
俺はお前を許さない」

「……」

「俺の一番スリルがある時間はな、お前の家の戸を叩いてからの数十秒なんだ。

ある朝、家からいなくなってるんじゃないかって。最高に楽しいんだ」

 

主人公は、周りの人から、こんなにも愛されて、関心をもってもらって、気遣ってもらっている。しかし当人だけは、それを素直に受け取れない。

そういう言葉や態度は、いまだけのものじゃないか。

彼らはどうせ後悔して、目の前からいなくなる。信じたら傷つけられる。そうなったとき、バカを見るのは自分だ……

反射的に、そう思ってしまう。

 

これだけ言われるんだから、彼も気づいている。ほんとうは自分が間違ってると、気づいている。信頼していいんだって気づいている。このひとたちは自分を傷つけないって理解している。

それでも、身体が勝手に反応してしまっていた。

 

彼女は飛行機で旅立った。教授を拒絶して、会う雰囲気じゃない。カウンセラーにも、自分の話をしないなら来るなと言われた。友達は「このままだとダメだ」と言ってくる。

ひとりぼっちだった。

ぜんぶ自分のせいだった。自分が自分のことを信じないから、誰のことも信じられない。誰のことも信じられないから、つながれない。

このままでいいのか。

……動けよ自分。

たぶん彼はそう思って、カウンセラーのもとに自分から赴く。カウンセラーと教授が、ぼくのことで言い争っているのをみる。教授を怒鳴ってまで、カウンセラーは自分を守ろうとしてくれた……

「先生、そういう経験ある……虐待された経験」

「あるよ……」

「どう思った? ぼくは、あいつが階段をゆっくりと登ってきて……」

話が途切れるのを待って、先生は「it's not your fault」と沁みこませるように言った。

何度も何度も。it's not your fault. it's not your fault......

主人公は拒否しようとするけれど、拒否できずに先生を抱きしめる。声を上げて泣いた。先生は優しく抱きしめた。

拒否なんてできるワケないんだ。

だって、心の底では、ずっと誰かに愛されることを待ってたんだから。自分からさらして、受け入れれることを、ずっと求めてたんだから。20年間、ずっと、この瞬間を求めてきたのだ。

 

かなりはしょった。一気に書き上げたから、引用は正確ではない。

 

ぼくは、この映画を5回も見た。はじめて見てから2週間もたってない。

ここに描かれているのは、ぼくだ。

ぼくも、主人公みたいに、一歩踏みださなくてはいけない。傷つくことを極度に恐れるなんて、やめなければいけない。誰かと本当につながりたい。だから、あとすこし。

すべてを捨てたい衝動

映画『セッション』は、好きな映画である。主人公が交通事故に遭う場面を選択したのは残念だけれど、全体として好きな映画だ。

 

その一場面をなぜか思いだした。

付き合っている彼女に、主人公がやつあたりをする場面である。ドラマーを目指している主人公は、いくら練習しても明らかな技術の向上が見えない日々に疲れていた。ひたすら練習するしかないと思って、寝る間も惜しんで練習した。

寝る時間だけじゃなくて、彼女と一緒にいる時間も無駄じゃないかと思いはじめた。練習時間が減るし、自分の決意も揺らぎそうになる。彼女と一緒にいないほうがいいのでは。

そう思って彼は、「ぼくには練習する時間が必要だ。きみと会っても、頭のなかはドラムのことでいっぱい。きみは不満に思うようになるだろう。そうして怒りだす。けれどぼくは、ドラムをやめる気はない。別れたほうがいい。ぼくは偉大な音楽家になりたいんだ」と喫茶店で彼女に告げる。

彼女は「私が、あなたを邪魔するってこと」と訊き返す。

彼は「そうだ」と言う。

彼女は「何様のつもりなの。別れましょう」と冷たく言い放ち、さっと立って喫茶店を出ていく。彼はその姿を見送る。

そして彼は、氷水に血まみれの手をつっこんで感覚を麻痺させながら、ドラムにひたすら向き合う……

 

このシーンは、ほんとうに好きだ。彼は自分自身へのいらだちを女性に向ける。いらだちをコントロールしようとするから、傲岸な態度になる。反応を決めつけられた女性は静かに怒って、二人は別れる。

 

何者かになろうと決意したとき、すべてを捨てて練習しなければいけないときがある。ほかのものすべてが邪魔に思える。食事も睡眠も人間関係も、ほんとうにぜんぶだ。その対象と不純物なしに向かい合いたい。ヒリヒリした時間を過ごしたい。没頭したい。ここで壁を破れなければ自分は終わりだ。すべてを捧げないとたどり着けない。どんなに嫌でも向き合いつづけなければいけない。娯楽などいらない。自分を罰して、ただひたすらに練習しろ。そうしないと見えない世界がある。その世界を見たい。

ぼくは、これを必要な過程だと思っている。

どんなときも他人に優しく。感謝を忘れずに。いらだちを他人に向けない。

そういう正論がまったく通用しない瞬間がある。狂ったようにまっすぐに、ソレに向き合わないと次のステージにいけない。いまやらないと、一生乗り越えられない。たった一瞬でもいいから、すべてを捨てて、その世界を体感しないといけない。

自分へのいらだち。世界へのいらだち。やつあたりでも何でも、周りにぜんぶ吐き出して、たったひとり孤独に練習する時間が必要なのだ。

これを描いた監督が好きだ。

自分は間違っていたと思い知ったときには、彼女には既に別の彼氏がいる。代償を払って、ドラマーになろうとする。

 

さいきんのぼくは、この状態にある。だから、何となく思いだした。

いま物語を書けなければ、たぶん一生書けない。でも、うまく書けない。自分にいらだつ。

なのに、最近知りあった人たちは優しい。こんなんじゃダメなのに、優しい言葉をかけてくる。優しくされてはダメなのだ。もっと厳しく的確な言葉でののしってほしい。

ワガママなこともわかっている。お子ちゃまなこともわかっている。

でも、人生にはそういう瞬間があって、

いま、さいきんの人間関係を煩わしく思っている。

間違っているのはわかっている。けれど、優しい言葉をかけあう人たちは、茶番に見えてしまう。茶番に巻き込まないでくれと、叫びたくなる。

発狂しそうになっている。

書くことが怖い

6月から8月にかけて、怒涛のような日々を送った。

 

コルクラボ関連でイロイロあって、いろんな自分を知れて、いろんな人にも会えた。ずっと会いたかった佐渡島さんとも握手した。「また来てよ」とも言われた。

世のなかにはこんなに嬉しいことがあるんだと涙した。

ストレスで体調を崩して、友人を亡くして、自分を再構築しなおそうと決意してから、はじめて笑った。はしゃいだ。人と話すって楽しいんだと心から思った。

夢のような日々だった。マリオのスター状態みたいな日々だった。何をやってもうまく行くし、みんな喜んでくれる。

 

そろそろ、夢だったのだと思い知る必要がある。

ある人に「調子のってない?」「自分ひとりでやってるつもり?」と言われた。

ギクリとして、しどろもどろに

「いや、そんなつもりはなくて……」

と返した。自分自身が調子のっているのを自覚していたから、突きつけられて動揺したのである。さっと目を伏せた。

 

たったひと言で、書くことが怖くなった。

心と文章がつながらなくなって、何を書いてもダメな気がして、書かなきゃいけないことも書けなくなって、「もうこれでいいや」と投げ捨てる。それが一番よくないと知ってはいながら、書くことが怖くなっている自分がいた。

いま何を書いても「調子にのっている」自分が現れてしまう。無理やりに抑えようとすれば、自分ではない不自然な日本語になってしまう。そう思うと、にっちもさっちもいかなくなって、ぼくは逃げるように書き捨てた。

書くことが怖いのではない。「たいしたものが書けないんだと、みんなに失望されるのが怖い」。つまり、読まれるのが怖いのである。 

 

だからnoteから逃げてブログに帰ってきた。

noteには顔の見えたみんながいる。なのにぼくは、うまく書けないのを書きなおすこともしないで、これでいいやと放り投げた。いまの心の状態では、これ以上よくすることはできないのだけれど、とにかく僕は、やっちゃいけないことをやってしまった。

なんかもう、いろいろ疲れたのだ。

――内省できて、自分のことをよく知ってるね。

――感じたことを言語化するのがうまいね。

――読みたいよ。

スター状態の音楽が鳴っている最中には気にならなかった言葉たちが、一気にのしかかってきた。いい感じに力が抜けている状態を作りだしたのに、8月に入ってから、あきらかに力が入りすぎている。読む人を意識しすぎて、心の状態が変になっている。怖い。ハイにならないと書けない。

 

いっぽうで、こういうふうに心を仕向けたのも事実だった。一気にプラスに心を振りきって、マイナスに落ち込んでいた心をフラットにする。あるいは、もう少しプラスの領域を平常状態にしてもいいかな。年単位を見越して、感情の調整をしていた。

数ヵ月後になっているべき状態を設定して、調子に乗りつづけた。「周りは全員味方だ!」と思い込んだ。6,7月は、調子にのっている具合を大局でコントロールしていた。

けれど8月は、そのコントロールから外れた。Polcaで東京まで呼んでもらう。佐渡島さんと会う。みんなが会いたいと言ってくれる。自分なかの抑圧をこじ開けるものばかりだった。

そして、予想もしないところから「調子のってない?」と突きつけられる。

調子にのっていたのである。

 

大きくプラスに振りきった感情は、一気にマイナスに落ち込んだ。なんというか、ぜんぶ怖い。まったく書けない。みんなにごめんなさいとしか言えない。ありがとうと書きながらごめんなさいと思っているし、ほんとのことを言えば、何も言わずに逃げ出したい。

そんな状態でうまく書こうとしたって、うまく行くわけないのだ。

だから、いったんnoteを離れる。ブログで一からやりなおす。

いままでプラスの感情にひたったことがないのだから、これでようやくプラスの感情の繊細さを理解できる入り口に立った。ぼくの人生からすると、すごくうまく行っている。片側に膨れ上がった感情は、いちど正常値付近に戻す必要がある。

 

でも

ちょっと、

いや、すごーく

つらいな。

おまえさ、俺のこと嫌いだっただろ

「おまえさ、俺のこと嫌いだっただろ」

そう言ってウィスキーのグラスを傾ける目の前の男を、ぼくはただ見つめた。反射的にそんなことないと言おうとしたけれど、なぜか言葉にならなくて、その沈黙を彼が引き継いだ。
「俺がしゃべると、何か違うんだよなーって表情をしたり顔を横に振ったりしてた。バカだなコイツって思ってただろ。対面の席だったから、すぐわかるんだよ」
その行動は自覚していた。彼が自由奔放な意見を述べるたび、口をつぐみながら(違うな)(面白いけど的外れかな)と論評していたのである。「それは違う」と口にしたら場を委縮させてしまうと懸念して何も言わなかったけれど、完全には隠しきれていなかった。思考が漏れて行動に出ていた。ぜんぶバレバレだったのだ。
いまさら取り繕えることではない。悪行を捉えていた隠しカメラの映像を見せられたような気分だった。降参して「苦手だったよ」と告げた。ごめん。ぜんぶわかってたんだな。

「いや、謝ってもらおうと思ったわけじゃなくて。なんかさ、おまえ、変わったなって」
彼の言葉に意表を突かれる。
「昔のお前には言えなかったし、今だってホラ謝ってるじゃん。変わったよ。柔らかくなったというか」
ああ、わかる人にはわかるのか。というよりむしろ、ぜんぶ外側に漏れているのだ。どうしようもないほど滲み出ているのに、気づいていないのはぼくだけだった。
「……挫折したんだ。ひとりぼっちになって、泣きわめいて、けれどそれでもそばに誰かがいてくれたんだよね」
――愛を感じたんだよ
彼から目をそらして、グラスの氷をカランと鳴らした。
「ぼくはずっとバカだったんだ。自分のちっぽけさに気づこうともせず、周りだけを評価していて、頭でっかちだった。そういう自分が嫌になった」
そう思えると、世界は思っていたより暖かくて、人と人は予想以上につながりあっていた。そんなあたりまえのことさえ、わかろうとしてこなかったのだ。
彼は、ふうんと言ってウィスキーを飲んだ。「普通だね」
こんなことは、誰でもいつかは気づく普通のことだ。大学後半になってようやく気づくなんて、アホウにもほどがある。

ウィスキーを飲み終えると、ぼくと彼は、またねと言って別れた。