映画『秒速5センチメートル』
新海誠『秒速5センチメートル』2007年。
2017年3月17日深夜、テレ朝で新海誠監督『秒速5センチメートル』を放送していた。
高校時代に弟から薦められて以来、見る機会があると見てしまう。
欠点があった。かつての新海さんは、描きたい感情をそのまま描いてしまっていた。表現手法と描きたい感情を、同じように採用するため、伝わらない人には伝わらない。新海さん自身も「伝えたいことが伝わらなかった」と言っている。これは作家としての個性であり、欠点ではなく特徴でもあった。ただ、違う表現を考えたほうが、幅広く伝えることができる。『秒速5センチ』もそうである。
昨夏の『君の名は。』は違った。せつない・やりきれない・淡い感情をそのままに描くのではなくて、物語に乗せて、感情を伝えることに成功していた。日本アカデミー賞脚本賞を与えるにはまだまだだと思うが、新海さんの脚本面の成長には、目を見張るものがあった。
圧倒的な映像と音楽、伝えたい感情。これらに、ある程度の脚本が備わったのだから、興行的な成功の必要条件は充分あった。現に29週目でも10位を保っている。驚異的な数字である。
昨夏に見たとき、「新海さんの次の作品は、すごいことになる」と思った。早く次の作品が見たい。
第1話
「秒速5センチメートルなんだって。桜の落ちるスピード」
13才の遠野くんと明里さん。
ふたりは、言葉には出さないものの、双方とも相手に好意をもっていた。明里さんが転校することになり、ふたりは離れ離れになった。手紙のやりとりをするうちに遠野くんも引っ越しが決まり、最後にふたりは会うことにした。
遠野くんは、はじめての遠距離旅行。気もちは手紙にしたため、電車もしっかり調べた。しかし当日は雪で、電車が遅れに遅れる。ふぶく雪。暗くなるそと。郊外に行くほど、ひとはまばらになる。待ち合わせはとっくにすぎ、渡すべき手紙も飛んでいく。
駅に着くと、明里はひとりで待っていた。ふたりはご飯を食べ、桜の木の下でキスをする。しかしそれは、別れの印でもあった。
プラットフォームで明里が「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う。絶対」と言う。ふたりは別れる。【ぼく:大丈夫じゃないよぉぉぉ】
明里も手紙をもってきたけれど、渡せない。ふたりのあいだは、なにか阻まれていた。
第2話
遠野は種子島で高校3年生をやっていた。いまでも明里のことが好きで、どこか寂しげ。しずかに弓を引いていた。
そんな遠野は、ほかの男子とは違って見えた。花苗は遠野のことが好きだった。花苗の視点で、第2話が紡がれる。
遠野の帰る時間を見計らって、毎日一緒に帰ることだけが楽しみだった。自分の気もちは伝えられない。
恋や進路に悩む日々。趣味のサーフィンでも、悩みを反映して波に乗れない。
ある夜、遠野に進路のことを聞く。迷いがないように見えて、ただ優しく、どこか超然としていた遠野でさえも、悩みがあることに気づく。わたしだけじゃないんだ。ロケットの運搬車に出会う。「時速5キロメートルなんだって」
憧れの人だって悩んでいることに気づいて【?:甘いと思う】、気もちが解放された花苗は、遠くを見て悩むのではなく、目の前のことに一生懸命になると決めた。サーフィンで、波にも乗れるようになった。告白するなら、いましかない。
遠野と一緒に歩く。しかし遠野は、私を見てなんていない。はっきりと、ダメなんだと悟る。「お願いだから、もう私に、やさしくしないで」。ロケットが、宇宙をめがけて飛んでいく。震える空気。たたきつけられる音。あとに残る飛行機雲。
何もいえなかった。遠野が好きだけど、仕方ない。
第3話
東京で仕事をするようになった遠野は、いまでも明里のことが好きだった。ほかの女には、こころを開けない。
気を紛らわせるために、仕事に打ち込む。打ち込む。日々、こころの弾力が失われていく。あるときふと、仕事をやめようと思う。仕事をやめた。
雪の降る日々、都会にはたくさんの人がいる。しかしまだ、明里が好きだった。
いっぽうの明里は、知らないうちに婚約していた。
【感想】
何回見ても、せつなすぎる。
とくにこれから、東京を離れて、京都に行く。せつない。
モノローグを多用して、登場人物の内面描写をじっくり行う。短編小説を読んでいる雰囲気になる。