福永武彦『忘却の河』
福永作品は、『愛の試み』『草の花』につづいて3作めである。
『愛の試み』では、「孤独と愛」について福永さんの認識を理解した。「充足した孤独は愛を試みる」という言葉に、胸を打たれた。
『草の花』では、孤独な福永さんの心的世界を味わった。孤独は孤独でしかなかった。愛に理想をもちつづけ、孤独なまま死んだ。
『忘却の河』では、孤独のさきが描かれる。孤独な人間たちは、どのようにしてつながるのか。セックスではない。血縁でもない。こころの※※※※※を明かすことによってのみである。
この3作は、いちどに読むと味わい深い。相互につながっている。『愛の試み』なしには、「孤独と愛」の関係性・世界観が立ち上がってこない。『草の花』なしには、「孤独」を味わいつくせない。『忘却の河』なしには、「孤独」のさきがわからない。
いっしょに読むべきだろう。物語から入って、あとで抽象的な説明を楽しみたい人は、『草の花』→『忘却の河』→『愛の試み』の順番だ。最初に説明を受けて、どう具体化されるのかを楽しみたい人は『愛の試み』→『草の花』→『忘却の河』の順番だ。
福永さんに出会ったのは、ツイッターで友人がRTしたことがきっかけだった。その感想をブログにしたら、ほかの友人からつづきをお薦めされた。
いまのぼくが読むべき本だった。ありがとう。
そして、もう福永さんは読まなくて大丈夫かな、という感じである。
【感想】
男は消極的な孤独であった。自分の殻に閉じこもって、自分の世界で生きている。
当然周りにもそれがわかる。家族はぎくしゃくして、それぞれに孤独だった。
その孤独が充足した孤独に変わるのはいつだろうか。
母親が死んだことをきっかけに、家族がぶつかりあったときである。ぶつかりあって、こころの奥底の苦悩を伝えたときである。
苦悩は自分ひとりのものではあるけれど、自分ひとりに閉じているものではない。外に伝えると、通じるものなのだ。それができたとき、消極的な孤独は充足した孤独に変わる。孤独ではあるけれど、外に開いている。
孤独な男が、最後に救われるのがとてもよかった。
ぼくも救われた。いまのところ、もうこういうのは読まなくていいかもしれない。
【あらすじ・流れ】
男がいた。男は、将来を誓い合った女と死別した。自分の決心がつかない性格のせいで実家の反対を押し切れず、女との結婚を許されなかった。実家が用意した別の女性との婚姻が決まったとき、女は腹のなかの子供ともに崖から身を投げた。
中年の男はこのことを誰にも告げず、心の奥底にしまい込んで、ただ日々を過ごした。妻と娘ふたりと名前もないときに死んだ息子ひとり。
男は若い女と事をなすが、その最中も自分の世界に閉じこもる。昔のことばかりが思いだされる。
娘の香代子は、そんな父親が大嫌いだった。父親と思っていなかった。
自分の責任だとして病気で伏せている母親の介護をしつづけていた。想い人があるのに、私が嫁に行ったら介護する人がいなくなってしまう。思いきれない。なんでこんな家に。
妹の美佐子は姉とは違い、自分の想いに率直だった。
射止めた女優の座とともに、男にも惹かれる。ふたりはデートをしたりキスをしたりするも、美佐子は、愛とはこんなものではないと気づく。男を残して歩き去る。父親は舞台に来ようともしない。
妻は、男が心に何かもっているのは知りつつも、そこには踏み込まなかった。
ある家の書生と懇意になるも、また自分がそれを望んでいながら、行為に及ぶことを恐れてしまう。わたしは人妻である。書生は戦争に行き、死んだ。
再び男の視点に戻る。
家族は、それぞれ心に何か抱えていた。それを隠し合っていて、なにもつながっていなかった。
そんなとき、母親である妻が死ぬ。
男は妻を愛していたことを認識する。しかし何もできなかった。自分のせいで。自分を責める。
娘の美佐子は悲しいときにはひとと会いたいタイプで、酔っ払ってダンスをしている。男は四十九日もたたないのにふざけている娘をしかりつけた。娘は反発する。怒鳴りあう。感情が出る。
しかしここで、隠していた心の苦悩を打ち明ける。自分は養子として生まれ育ったこと。母親とは別に愛していた人を、自分のせいで死に追いやったこと。
打ち明けたとき、ふたりは真につながった。
孤独な家族は、愛を試み、成功した。
【心に残った言葉たち】
小父さんはわたしが病気だから親切にしてくれるんじゃなくて、御自分が寂しい人だから、わたしみたいな寂しそうな女を見ると親切にしなくちゃ気がすまないのよ。そうよ、わたしだって寂しい、寂しくて寂しくて死んじまいたいことだってあったわ。だから来てよ。ね、いいでしょう、約束して。そして私は約束した。誰が私のことを寂しい人だなどと言ったろう。大の男をつかまえて、やっと二十くらいの娘が寂しい人だなどと言うことがあるものだろうか。
この瞬間に死ぬことが出来たならどんなにか幸福だろうと考えていたのだ。
結局、己という男には人間としての一番大切なもの、生きることへの誠意が足りなかったのだ。
二人きりの時間を過したり、手を取り合ったり、接吻したりしたところで、それは愛ではなかった。そこには心の通い合っているものは何もなかった。しかし、それが愛になるかもしれない、と考えることはできた。そう考えなければ自分が惨めでたまらないような気がした。
わたしはその時も何という心のつめたい人だろうかと憤ったが、しかし今から思えば、あの人には何かしらそれに触れると疼くような深い傷痕が心にあったにちがいない。ただわたしはそれをたずねようとしなかったし、あの人はわたしに教えようとはしなかった。
あの人は癇癪をおこすけれどそれはじきに褪め、それまでの感情のたかぶりを恥じるかのように自分の殻のなかに引きこもった。そういう人だった。それでもわたしにつらくあたったとか、やさしくなかったとかいうわけではない。ただそのやさしさは、これという理由もないのにふと冷たくなり、そうなるともうわたしには手がつけられなかった。
そのかたは心のそこにどうにもならない恋ごころをもち、ひそかにそれに耐え、そして歳月のむなしく過ぎ行くのにやさしい涙をこぼしていられたのだ。
おくさん、僕はあなたが好きだ。……それはどういうことだったのだろう。その言葉をわたしはどんなにか切望し夢にまで願っていたのに、わたしは不意にこわくなり身をしりぞけた。それは夢でこそ可能なので現実におこることはないと信じていたためだろうか。わたしは後ろにさがり、呉さんは茫然としたように畳に座っていた。……すみません、と呉さんはあやまった。わたしはその時いまにも泣き出しそうだった。何のすまないことがあろう。それを望んだのはわたしだった。
妻が死に、私は人前では一雫の涙をも零さなかったが、深く歎いた。済まないことをした、お前という女の一生を、私のような男を夫婦になったばっかりに、何のしあわせなこともなくてこうして死なせてしまった。そう私は心のなかで詫びたが、そんなものが何になろう。
なぜ人は、相手が生きている時に考えなければならないことを、その人が死んでから無益に振り返ってみるのだろうか。
自分にすべてを委ねて、わたしを離さないでといっている女に、既に心は離れ、彼の手は誰の背でもない虚無の上をむなしく撫でていたのだ。彼の手は嗚咽とともに痙攣する妻の背中を、ゆっくりといつまでも撫でていた。
美佐子が、ぽつんと言った。お父さんは冷たい人ね。
そんなこと考えもしなかった、と香代子は正直に答えた。パパが心配するなんて。どうしてパパが心配するの。自分の子でもないくせに。
大学を途中でやめるまで、私は私の友人たちを見るたびに何かが違う存在、何かが欠けている存在として、自分を意識した。
わたし、そういうお父さんが好きよ、と美佐子は言った。お父さんはいつも御自分の心を隠そう隠そうとしていらっしゃる、そういう時にお父さんはとても寂しそう。でも本当はお父さんはずっとこころのやさしい人だったのね。私たちがみんなそれをわからなかったのね。