居合
居合をはじめた。
きっかけは、ちょうど一週間前、岩清水八幡宮で居合道の奉納演武をみたことである。
巻いた畳や竹を切っていた人たちは、それこそ真剣だった。斬れる人は斬れていたし、失敗する人はかなり失敗していた。見ているうちに「切れそうだな」という人と「切れなさそう」という人がいることに気づいた。なんとなくわかるけれど、説明できない。
形を演武している人の所作は、単純に美しかった。目に力を入れて前方を凝視する姿からは、「斬るぞ」という気合が見て取れた。実際、美しい形を行う人は、刀を振るたびに風切り音が鳴っていた。斬っている。やってみたいと思った。
集中している人からは、どことない緊張感がただよってくる。周りの空気を変える。空間を支配する。
振り返ると、さいきん集中しきっていないなと思った。ふわふわしている毎日で、軸が定まっていない。こんなんじゃいけないとはわかっているけれど、与えられる課題で忙しいふりをして毎日を浪費している。なにか打ち込めるものが欲しかった。
そんなわけで居合をはじめた。