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白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。生態日記。

渡部昇一『「人間らしさ」の構造』

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渡部昇一『「人間らしさ」の構造』(講談社学術文庫、1977年)。

 

先日、渡部昇一さんの訃報に接した。

氏の本は『知的生活の方法』は読んだことがあるし、訳書だとフクヤマ『歴史の終わり』を読んだことがある。

それよりも蔵書の多さが有名である。膨大にあるということは知っていたが、ツイッターで流れてきた動画を見て絶句した。晩年になってまで、15万冊余りもの蔵書をしまうために図書館を建てていたとは……図書館と化した家が見られるので、見てほしい。

 

 

【ざっくり要約】

人間は自らの「心のうずき」に従って生きるべきである。それこそが生きがいであり、人間らしさになる。

無意識のうちに、外側の価値観に侵されていないだろうか。親の価値観、友人の価値観、日本社会の価値観……そういうものを内面化して、流されるままに生きてはいないか。いまやっていることは、自分がほんとうにやりたいことなのか。北方謙三ふうにいえば、「こころが震えているか」。

自分のこころと対話して、自分を再発見する必要がある。現在は外側の価値観が大きく変わり続けている時代なのだから、それに振り回され続けるだけでは疲弊する。自分のなかに価値観を取り戻す必要がある。

機能快という概念がある。備わっている機能を使うこと自体に、本来的な快感があるというものだ。男性には筋肉が多く備わり、女性には妊娠する機能がある。それらを使うことに快があるのは動物として当然である。知的な能力を使うことにも快があるだろう。快を感じる能力は、備わっている。

本来ならば、「大恍惚」の状態を目指すべきだが、それは選ばれた人間にのみ許されている。ドラッグでその域を体験するのは、適さない。

普通の人間は、「小恍惚」を数多く経験するべきだ。それは「こころのうずき」に忠実になって、自分のなかに価値観を取り戻さないことには始まらない。自分の生を充実させれば、つまらないことに拘泥することはなく、「小恍惚」を数多く体験できる精神状態になるはずである。人間らしさとは、そういう状態のことである。

 

【感想】

「さいきんの生活は、満ち足りてる?」

何人かに、こんな問いかけをした。

「満ち足りてるよ」と答える人もあれば、「ぜんぜん」と答える人もいた。もちろんぼくは満ち足りていない。

どちらの回答をした人でも、その基準は自分のなかにあるのか、もう一度確認したほうがいい。

 

いま死んでも、自分の人生に満足できますか。

 

この本について、「そもそもうまくいった人の自分語りに過ぎないのはないか」という批判は可能だ。著者からすれば「そういう批判をしてくる人は、自分のなかに軸をもっていない。かわいそうな人だ」ということになるけれど。

ただ、社会に自分をあわせることに疲弊して、なんの楽しみも感じられなくなることがある。こんなことをしたかったわけではないけれど、当面の必要があるから……なんていいわけしながら、最後には自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。

そんなときに自分の中心を見定めておくことは、とても重要なことだと思う。

 

註:2週前に読んだので、不正確な要約である。