白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。生態日記。

『四月は君の嘘』2

『君嘘』をおすすめしたのはいいけれど、ストーリー展開を記述しただけで(それも前半だけ)、「この物語で何が描かれているか」について触れていなかった。

11巻に直接的に言葉にされている。主人公はコンクールの決勝の舞台で、ショパンバラード第一版」を弾く。彼は音の聞こえないピアニストである。しかしだからこそ、自分のなかにある音をよく聴いて、それをピアノで表現することができる。

自分のなかにある音。それは、いままでの人生で触れてきた音である。すなわち、いままで出会ってきた人、過ごしてきた時間、遊んだ場所……そういうものすべてが、自分を形作っている。主人公は、ピアノを弾くと同時に、かかわってきた人たちとの音を表現していることに気づく。端的にあらわした一節が以下のものである。

 

 

僕らは 誰かと出会った瞬間から

一人ではいられないんだ

 

僕の中に 私の中に

君がいる

 

 

主人公の人生は、けっしてモノトーンだったのではなかった。たとえ本人にはそう見えていた時期があったとしても、周りにはいつも幼なじみがいた。母親は早くに亡くなったけれど、母親の残した音が主人公に残っていた。昔弾いていたピアノは、他のピアニストに影響を与えていた。彼らはいまライバルとなって目の前に現れ競って音を作り出している。

なによりヴァイオリニストの少女は、主人公にまたピアノを弾いてほしいと、すべてをなげうった。主人公は、愛されていた。

 

主人公の有馬公正は、けっしてひとりだったのではない。いろんな人とつながっていた。

有馬の心のなかには、みんながいた。みんなの音が有馬のなかにあった。カラフルだったのである。

 

 

私は誰かの心に住めたかな?

私は君の心に住めたかな?

 

君は忘れるの?

 

 

本当は、こう問うまでもないのだ。人と人がかかわった瞬間から、いやおうなしに、こころのなかにはその人がいる。忘れられるわけがない。自分そのものなのだから。「私」は単数ではない。

それでも、ぼくらはこうやって確認したい生き物である。ふとした拍子に、かかわったことを忘れてしまう。自分がほかの人のなかに残っているのか、不安になる。

 

 

音楽は、言葉を超えるのかもしれない。

 

 

言葉を超えて、こころとこころがつながりあう。そのつながりを描いた作品だった。