映画『ラブ・アクチュアリー』
ゼミの先生のおすすめで、1年半前に見た。そのときよりも、あきらかに登場人物の気もちが読めた。読めた結果、いろいろとクるものがあった。最後は感動した。よさみが深い。
あとヒュー・グラントさんはかっこよい。
アラン・リックマンさんに合掌。顔を見てもスネイプ先生だとは思えないけれど、声はスネイプ先生だった。
『ノッティングヒルの恋人』も内容を忘れてしまったので見る。『ゴーンガール』はストーリーを覚えているので見ない。両方とも見て損はないです。
【構成・ストーリー】
場面は、クリスマス前のイギリス。
9組それぞれの愛を追っていき、クリスマス当日、それらをコンサート会場で一気にまとめあげる。ぐわーっと。そのままヒースロー空港でエピローグ。
登場するのはこんなひとたち。英国首相は、給仕にひとめ惚れ。親友の彼女(妻)がすきな男。外国人のお手伝いさんに恋をする作家。片思い中の息子、などなど
冒頭での「愛はあふれている」との言葉どおり、さまざまな愛の一場面を追った作品だ。
【感想】
第一印象として、雑多な作品である。
あたりまえだ。たった2時間ちょっとに、9組もの愛が描かれるのだから。それぞれに割かれる時間は、15分くらい。詰め込んだなぁという印象は否定できない。それも、描かれかたに差がある。ポルノを撮っているふたり組が描かれているものの、何を表現したいのか読み取れない。削ったほうがいい。
しかし、「雑多だ」という反応は監督の想定どおりだろう。なにしろ冒頭で「世界に愛があふれている」というのだ。あふれているのだから、いろいろな形の愛を描くことに必然性がある。それでも一本の軸をとおす必要があるから、クリスマスと音楽という手法を使った。最初にレコーディングされたクリスマスソングは、ことあるごとに出てきて、物語に筋をとおす役割をもった。雑多だけれど軸があることを、音楽で感じさせる。場面がトントン変わるけれど、登場人物の顔と声で「あの人たちの話に移ったな」とわかってしまう。人間の認知能力を映画という手法で信じ切った作品でもある。
雑多なことは短所でもあるけれど、長所でもある。
なぜなら、さまざまな愛が描けるから。そして最後にまとめたとき、集合的な感動を表現できるから。
たとえば、結婚する親友の彼女のことが好きだった男。想いを胸に秘めたまま、結婚式に出てカメラを回す。「これでいいんだ」と自分に言いきかせる。
後日、彼女がやってきて、「あのときの動画、見せて」という。「なくした」と言いはる男を振り切って、強引に動画を流す。そこに流れるのは、彼女の顔を追いつづけた動画である。結婚式という晴れ舞台で、最高の笑顔をみせる彼女が延々と映っていた。
男は彼女だけを見ていたのである。カメラのレンズを通すことで、視線がさらされてしまった。胸のうちが、彼女に知れてしまった。自分だけの秘密にしておくつもりだったのに。男は彼女と一緒に入られなくなり、逃げ出す(このあとの物語は感動的だ)。
たとえば、給仕に恋をした英国首相。立場を考えて自分で自分を縛るけれど、ことあるごとに感情が出てしまう。公と私、身分の差。いろいろな板挟みをへてクリスマスの夜どうするのか。
たとえば、言葉を共有しない作家とお手伝いさん。ふたりは同じ時間と場所を共有していながら、母語が違うために想いだけは共有できない。お互いに、お互いのことがすきなのに、その想いが伝わらないもどかしさ。そのまま期限がきてお手伝いさんは、異国に帰ってしまう。もんもんとする作家はクリスマスの日、決心をする。
ざっと心に残った話だけでも、三つ思い浮かぶ。これを長所といわずに何というのか。場面や登場人物が変わっても、映像であれば、すぐ「あの話に移ったな」と理解できる。映画という特性をうまく使ったといえる。
このようないろいろな愛を、クリスマスでいっきにまとめあげる。「想いがつたわらない」状態から、すべて「想いがつたわった」状態に一気に変わる。感動する。よかった。