白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

圓光寺

圓光寺

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雨が降った。よい状態の苔を見られる。圓光寺に行ってきた。

圓光寺のある一乗寺は坂になっている。急なので、自転車で登るのは難しい。自転車を押しながら目的地まで。

 

圓光寺http://www.enkouji.jp/grounds.html

池泉式の庭園がある。建物に座っても見られるし、回遊することもできる。竹林も広がっている。下には苔が敷きつめられ、杉苔の立体感がすばらしい。武骨な石塔に目が吸い寄せられる。池には蓮が植わっている。水音が身体を震わせてくる。たまたま鷺がいて、立ち姿に見とれた。

特筆すべきは水琴窟。大きな盆から流れ出る水が、地面に埋められた壷に落ち込む。その音を自然に聴くだけでないのだ。竹筒が地面近くまで伸びて、竹筒を介して耳元で水琴窟の音を感じることができる。音は増幅されるが、うるさくない。いままでで一番の水琴窟だった。癒される。

 

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こっから下は、枯山水の体験記。どういう箇所に目をつけながら、どういう解釈を重ねて、枯山水全体の見立てを解明していくのか。現時点の到達点を記録する意味で記しておく。

※謎解きとして楽しめる禅宗枯山水なので、謎解きしたいかたは下は読まないでください。ただ見るのもよいのですが、正しく解釈することによって作庭家の意図を把握でき、一歩深く味わえるんですね。

 
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苔と松に囲まれた参道を歩くと、枯山水が飛び込んでくる。

かなり異様な光景だ。

地面に細長く突き刺さった立石。瓦で段々と整えられた白川砂。歩道にまで砂があふれだして、庭との区別がない。こんな庭は見たことがない。

いったい何を表しているだろう。

一般的な禅宗枯山水ではない。どう考えても、あの高々と突き刺さった石は、山を模したものには見えない。どちらかといえば、何かが結晶化したイメージが沸きあがる。一か所の石だけ3mほどの高さがあるが、それ以外は1mもないくらいだ。歩道を挟んだ奥にも、1m級の石が数か所突き刺さっている。山じゃないなら何なのか。しかも一か所は高く、それ以外は低い(それでも高いし、細長い束である)。関連性を見出したほうがいいかもしれない。
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瓦で砂を段々にした意味は何なのか。砂紋は、波紋を基本に渦巻紋を組み合わせる。瓦の段々を考えると、これは海で間違いないだろう。うねりによる波の厚みを、瓦で強調している。

よく見ると、斜め上方向に筋が入った石が置かれている。石の先は細くなっていて、根元は太い。その根元には筋と直角になるように立石が配されている。立石は石の両側に置かれている。この解釈がキーになる。直観した。

この庭は何を見立てているのか。

確定しているのは、砂は海を見立てていることだけだ。しかし禅宗の庭によくあるような、山から水が流れて海にそそぐ形ではない。高々と突き刺さった3mの立石がそれを否定する。あれほど細長い石は、地上の構造物でありえるのだろうか。現代のホテルやタワーを見立てている可能性は? いやない。斜めに立っているからだ。倒れてしまう。海ともイメージがあわない。火山の噴火や間欠泉はどうだろうか。ありうるかもしれない……火山の噴火。強烈な縦のイメージ。細長い立石と符合する。斜めが重なるのは、ほとばしる勢いを示す。

キーだと思った石はどうか。斜め上方向に筋が入り、先は細く根元は太い。根元の両側には1m級の立石が配されている。わからない。

 

基本に戻る。海であることは間違いないのだから、この庭は、禅宗枯山水の応用系だと考えてよい。中国の風景・事物・伝承を見立てたものだと解釈していいはずだ。保険として日本古来のものも見立てた可能性があると考える。

ここで気づく。何ということだ。いままで、立ったまま観察していた。視線を下げてみてわかることはないだろうか。座り込むと驚く。3m級の細長い立石は、天に刺さっていくイメージが強調される。地面に刺さっているものではないかもしれない。キーだと思った石にも発見がある。根元の両側の1m級の石は、耳に見える。斜め上方向に細長くなるのは、何かの横顔に見える。

横顔。待てよ。あの石組は、顔だ。古来中国に関連する生き物で、細長い耳をもつ生き物。頭は細長い……麒麟だ! 両側の立石は耳ではない。角だ。麒麟だとすると、下は海じゃないかもしれない。雲か。瓦を使うことで、何層にも重なる雲をあらわしていたのか。そうすると3m級の立石は稲妻だ。雲を突き抜ける閃光のイメージ。なるほど。得心がいった。

 

まとめるとこうなる。この枯山水は、禅宗枯山水の様式を用いて、伝説の聖獣「麒麟」が雲海を駆け巡るさまを見立てた。駆けたあとには稲妻が起こり天を裂く。鑑賞者は、雲海のうえを歩きながら、雲から顔をのぞかせる麒麟と出くわすのだ。

なんという緊張感だろうか。稲妻が光る一瞬に、麒麟の顔が照らされる。咆哮が聞こえてきそうだ。山の上という地形を生かした大胆な構成もすばらしい。後ろを見ると京都の街が広がっている。ほんとうに雲海のうえにいるようだ。だからこそ白川砂と歩道に区別をつけなかったんだ。安全圏から鑑賞するのではなく、ほんとうの白雲に立っているがごとく体感してほしかったのだ。

震えた。すごいと思った。こういう考察ができるところに、枯山水の醍醐味がある。

 

これには後日談がある。

麒麟ではなく、龍だったのだ。庭の名前は「奔龍庭」。あっちゃー。

だいたいの解釈は間違っていないけれど、1m級の立石が奥にいくつかあったのを忘れていた。龍の長い全身(から出る突起)をあらわしていたのだ。

いずれにしろすばらしい枯山水体験だった。