道化
「○○のこと、どう思う―?」
「あいつトロいし、変に笑ってるし、なんかキモイわ―。無理」
「だよな。俺も無理だわ。話しかけてくんなっての」
となりから会話が聞こえてくる。
自分のことかと思って傷つきかける。こっそり顔をみて、知らない人であることを確認する。ほっとする。
こういうふうに話を振られたとき、どう返答するか迷う。
「どう思う?」ったって、どうとも思っていないのだ。自分とは関係ない赤の他人。たまたまクラスで一緒になっただけの人。話したり笑ったりもするけれど、その人をどう思うかなんて意識したこともない。
「□なとき、△する人だよね」。
話の流れにあわせて、悪めのイメージで説明するか、良さげなイメージで説明するか、迷ってから答える。相手はタイムラグを気にしながらも、自分の感情にそって発言を解釈するから、正解のイメージになることが多い。はずれていても、客観描写なので問題はなかったりする。とにかく、話を振った相手は「私が○○をどう思うか」に関心があるので、描写から僕がどう思ってるかを解釈する。「やっぱり。ゆるせないよねー」と返される。違うんだ。どうでもいいんだ。なんにも思っていないって言うのが正しいんだ。
不思議に思う。話しかけてくる相手は、そんなに他人のことを思って生活しているのだろうか。あいつはいいやつ、あいつは悪いやつ。そんなことしていて、疲れないのだろうか。
ぼくはたいていの人に関心がない。
関心がないのが悪いことのような気がして、「あいつ嫌いだわー」って言ってみたりしたこともある。そうすると、きらい、の三文字から放たれる強い負のエネルギーに驚く。そんな強い言葉を使ってしまって、自分のことが嫌いになる。
「あいつはダメなやつだ」
――まさかそんなことほんとうに思ってないですよね? とは言えずに、適当に話を合わせてしまう。「□のとき、△するのはよくないですよね」。会話を成立させるために、心からずれた言葉を口にする。心から外れた言葉は、脳みそで処理しないといけない。だから疲れる。どれだけ自分を覆って生活しなければいけないのか。
どうでもよくない?
この世界のほとんどのことはどうでもいいじゃないか。自分の好きなことと親しい人くらいにしか興味がない。どうでもいいって思うのは悪いことなのか。こう思うのは、自分だけなのだろうか。いやそうでもない。じゃあ何なのか。
「どうでもいい」では会話にならないこともわかる。何言っても「んなことどうでもいいよね」みたいに返してくる人と、話をしたいとは思わない。
どうするか。どうやって自分を偽るか。フィクションの世界だ。そのフィクションを積極的に維持していかなければならない。本音むきだしの言葉では、世界は成立しない。
「話をしてくる相手がどういう人間なのか」。分析しながら話すと、たのしいことに気づいた。
道化だ。みんな、道化がうまかっただけじゃないか。