塾講師
塾講師をしていたことがある。
地元に根ざした小規模の塾だった。
中学3年生、グループ授業の話である。
「初心者に受験学年を任せていいのかよ」と思った。なんの因果か、はじめて受け持ったのが中三だったのだ。教える技術も何もかもわからない。教科は国語だった。現代文を教えるのはいいとして、文法や古典なんて、こっちの知識もあやふやだ。
それでも、やらなきゃいけない。
校舎のなかはにぎやかで、休み時間には小学生中学生の高い声が響く。彼らは顔見知りのようである。
教室に入って、はじめて担当の子たちと顔をあわせる。緊張した6名の表情に、自分の緊張も増幅される。何を話して、どう教えたかは覚えていない。しかし、教えた方針だけは覚えている。
まず高校受験時の国語の役割を明確にして、そのときどうなっていればいいのかを伝えた。逆算して夏休みまでにどういうことをやるのか。今日どういうことをやるのか。「国語は苦手」と言っていたから、苦手なりにどうしていくのか。勉強は楽しいってことも、教えられたらいいな。
ぼくは、何をやればいいのかわからないのに、上から授業をされることが嫌いだった。そういうことがないようにした。
これは正しい。
正しいけれど、間違っていた。
数回授業をしてから間違いに気づいた。生徒がぼくに慣れてくると、授業をまったく聞いてくれなくなった。そりゃ校舎には怖い室長・先生がいるから、授業崩壊にはならない。形だけで言えば、授業は進む。しかし、生徒たちは授業に関心がない。人間は不思議なもので、自分から関心がそれる瞬間を敏感に察する。
「目の前でしゃべっているのに、彼らの関心はぼくに向けられていない」
この状況で、長くしゃべり続けられる人がどれだけいるのだろうか。
はっきりいって、つらい。授業の準備をして、内容は完璧に説明できるようになっている。語彙レベルも中学生相当に落としている。一生懸命やっている。なのになぜ聞いてくれない。塾に来るのは、授業を聞くためだ。まして受験学年である。おかしい。
ひとりだけ、しっかり話を聞いてくれる子がいた。その日は、その子に向かって話した。あとの子は、手に余った。
ベテランの先生に聞いた。
「どうすれば聞いてもらえるんですかね。怒って言うこと聞かせるのは違いますし」
その先生の授業を覗くと、ぼくの話を聞いてくれない子たちも、しっかり授業に引きこまれている。ぼくとベテランの差は何なのか。
「彼らの立場に立ってますか? ○君は勉強できるので私立をねらってます。受験を意識した指導でいいです。でも、△さんなどの公立組は内申点が重要です。中間期末試験が大事です。□君は文章を文章を読む集中力さえないです。
自分のしたいことだけではなく、相手のことを考えてください。力を抜いて」
受験学年に塾に来ているからといって、みんながみんな、受験のための勉強をしているわけではなかった。それぞれの目的があった。
高校受験のとき内申がどれだけ重要なのか、理解しようとさえしていなかった。□くんは文章を読めていないタイプの間違え方をしていたのに、問題の根幹まで考え詰めていなかった。そもそも塾に行くのは、「親が行けと言ったから」みたいなものが多い。本音を言えば、つまらない授業なんか聞くよりも、外で遊びたいのではないか。
ぼくが中学受験をしたとき、勉強が楽しかった。大学受験でも国語などは楽しかった。でも、彼らは違うのだろう。楽しさを押しつけても、楽しいわけがないじゃないか。
その塾は、勉強をするだけの場所ではなかった。彼らはそれぞれ考えることの違う人間だった。受験学年だから、家や学校でいろんな人から無形の圧力を受けている。それに感化されて、どこか不安が付きまとう。でも、塾の仲間と顔をあわせるのは楽しい。
自分はバカだったなぁと思った。
「授業は楽しい」という認識を作る。そうしてから内容を伝える。相手の立場に立って、楽しさを引き出す設計をしないといけない。
それ以降、「休み時間に、みんなに話しかけてみる」「文章に関連したおもしろい雑学を仕入れてくる」みたいなことを始めた。どういう人たちなのかを知って、そういう話題ならウケるのかを考えた。塾講師を始める前は、「勉強そのものが楽しいし、ウケることを考えるのは不誠実」だと思っていた。そうじゃなかった。勉強だけをする場ではないから、楽しいと思ってもらわないと自分の言葉は届かない。楽しさを考えるのは、りっぱな技術なのだ。不必要で不毛な努力ではない。
いちばん効果があったのは、「洗練された下ネタを織り交ぜること」だった。授業準備の6割は、下ネタを考えるのに費やした。バカをやっているなぁと思うだろうか。しかし、これが大事なのだ。楽しい国語の授業になっていたと思う。
彼らはもう大学生だ。塾講師のバイトでもしながら「中三の国語、最初は嫌な奴だったけど、途中からおもしろかったな。はじめての大学生バイトだったのかな」みたいに思ってくれているだろうか。