こころ
「違うんだ。君の心が閉じているんだ。もっと目の前の人間を見てよ」
心がどれだけ大事なのか、わかっていなかった。
複数人が集まって何かを作り上げるとき、まず個人の努力が重要だと思っていた。
個人が努力して、必要なことをやるのが決定的に重要だと思っていた。自分のやることをやって、他の人もやることをやって、それを合わせれば勝手に最高のものができると思っていた。少なくとも同じ方向を向いている以上、ぼくが自らに課すだけの努力を、他の人もやるのは当然だ。そうでないと合わないし、相乗効果も生まれないじゃないか。
もちろん、自分と他人が違うのもわかる。自分と他人は違うから、それぞれの努力目標は違う。しかし、だからこそ同等に遠い目標を設定して、努力を向けるのは当然だろうと思っていた。本気でやれよ。こっちは本気でやってるのに、なんでやらないんだよ。自分で努力しろよ。
この気持ちを押し殺しながら、表面上は「あとはぼくがやるから」「まかせて」なんて言っていた。ぼくがやるほうが早い。ぼくがやったほうがクオリティ高いものができる。大変なのは大変だけど、やるってきめたのだから、自分でやるほうがいい。みんないろいろ忙しいし。
「なんか疲れてない?」
顔をのぞきこまれて、ふいに言われたのを思いだす。
「大丈夫だよ」
嘘だった。はっきり言ってかなりつらかった。自分だけで努力していた。やることは無限にあった。ここで終えていい、という合格基準はなかった。できることはすべてやる。自分ひとりだけど、しかたない。
そんなんでも、結局なんとかなってしまう。なんとかなってしまうから、気がつかない。周りが努力せずに自分だけが努力していると思っている。自分にだけこんなに負担があるのはおかしい。
おかしいのは、自分なのに。
自分で書いていて恐ろしいと思う。
こんな人がチームにいたら、どれだけ最初はやる気があっても、途中でやる気がなくなる。
ふざけるなよ、勝手にやってろよ。息苦しいったらない。すこしでも弱音を吐いたら、白い眼で見られる。自分も自分なりにやってるのに、なんであいつ以下の努力は努力に値しないみたいに見られなきゃならないんだ。どれだけ上から目線なんだよ。
まして、そんな人がプロジェクトの運営をしていたらと思うと震えあがる。
周りのモチベーションを殺していることに気づかないで、自分ひとりだけが頑張ってると思う人。自分の熱意を他人に押しつける人。到達ラインを示さず、無限の献身を要求する人。それでいて、なぜか自分のおかげで組織が回っていると思う人。
周りは勝手に抜けていくだろう。それを「やる気がないからしかたない」と思う。組織に属しているのに、あいつはわがままだと思う。自分が排除しているからそうなっている、のに気づかない。
こんなふうにしないことは、最低限の条件である。
マネジメントは、こういったことがわかってこそ、さまざまな技術が生きてくる。「目標を共有する」「到達過程を示す」「最低ラインを共有する」「優先順位をつける」「周りの意見を聞く」。「損得のともなう決断は、決断をしたうえで、損を飲んでくれるようお願いする」。
いろいろあるけれど、結局は「いま集まってくれて、ありがとう。つらいときもあるかもしれないけど、お願いします。一緒にいいものを作り上げていこう」という心が大事なのだ。その心がないかぎり、諸々はうまくいかない。ひずみができたとき、それは回復せずに拡大する。いつか暴発する。
個人の努力ではない。心が大事だ。心を重ねることができたときに、すべてはうまくいく。
といっても、心はそうそう開くものではない。みっともない。みんな防備した状態で生きている。だからこそ、努力や技術が見えやすい。しかし努力や技術ではない。そんな小手先ではなく、心を一致させることが根本的に重要だ。
こういうことを、うまく伝えられないなと思う。たぶん昔の僕に言っても、「そりゃそうだよ。他人とぼくは違うし、わかってるよ。配慮している。心が重要なのもわかっている。こういうふうにすればいいんでしょ」と返してくるだろう。
「違うんだ。君の心が閉じているんだ。もっと目の前の人間を見てみてよ」
つくづく、言葉は無力だなと感じる。それでも、言葉にしていくしかない。