鴨川と『パレード』
昼すぎに鴨川に行く。デルタでは、ちっちゃい子が遊んでいる。
「ママー、えびいてはるー!」
「えーどこどこ?……うわっ、つめたっ」
スボンをめくりあげて、母親が川のなかに入っていく。この時期の水は、だんだんと冷たくなっている。子供は川に飛び込んでも大丈夫だ。けれど、大人は片足を入れるだけで全身に寒気が走る。子どもに呼ばれなければ、川に入っていかないだろう。
楽しそうだな、と目を細める。子供も大人も、それぞれ今を楽しんでいる。
こういう光景は好きだ。
ぼくは川べりで本を読んでいる。
本に集中しているときは周りの音が聞こえない。集中できなくなると、周りの音が気になってくる。そういうとき、伸びをしながら鴨川を見渡すのだ。
いろんな人がいる。
親子は川で遊んでいる。修学旅行生や外国人観光客は飛び石を一歩一歩渡る。シート広げてランチしている人たちもいる。ベンチに腰かけるカップルがいる。橋の下で、サックスを吹いている人がいる。橋の上から、デルタを撮っている人もいる。
デルタをあいだにして賀茂川と高野川が流れる。ふたつがあわさって鴨川となる。鴨川から高瀬川、みそそぎ川が分かれて京都を流れる。そしてまた鴨川に戻ってくる。
『パレード』を読み終えた。
鴨川は流れている。ふと鴨川は何を見てきたのだろうかと思った。
「お前には何も与えない。弁解も懺悔も謝罪も、お前にはする権利を与えない」(301頁)
何もいってくれないのが、果てしなく怖かった。何もいえないのが、どうしようもなく苦しかった。
子どもはまだ川で遊んでいた。しかし彼が呼んでも、母親は川に入っていこうとしない。さっきと同じ親子だろうか、疑問が浮かんだ。考えちゃいけないと思った。