三浦しをん『風が強く吹いている』
夜中の11時に読みだした。そのまま、深夜3時半まで読んでいた。
普段なら「明日もあるし、ここでやめて寝よう」と手をとめる。しかし本書には、先を読みたいと思わされた。心のままにページをめくっていたら、いつのまにか読み終えていた。ひさしぶりの体験だった。
物語から離れがたい体験。
そういう思いにさせられるものを、一流の物語という。
文庫にして650頁。分厚い長編である。
しかし物語の世界にぐいっと引きこまれるから、長いとは感じない。むしろ、短いとさえ感じる。
爽快な読後感なのだ。
箱根駅伝の描写が爽快さをもたらしている。250頁/650頁を占める駅伝は、スポーツ特有の「この先どうなるのだろう」という目を離しがたい感覚を与える。
早く先が読みたい。
読者は、こう思う。
ここからが真骨頂である。著者のうまさは、箱根駅伝を、完全に内面から描くことにある。読者は、先の結果を知りたい。が、それ以上に、タスキをつなぐ10人それぞれの心を読みたいと思わされる。
構造的に「結果がどうなるのだろう」と思わせておいて、じつは「内面を味わわせる」のだ。内面を描くだけでは、停滞しがちである。構造を使うことで、スピードを維持したまま、内面を味わわせることに成功している。だからこそ、分厚い本を分厚いと思わせず、爽快な読後感を達成している。
すばらしい。
たまたま竹青荘に住んだなりゆきで、駅伝を走ることになった10人。彼らは、ただ走って勝つことを目標にしていない。タイム的に速いことだけを目標にしていない。
じゃあ、何を求めて走るのか。
回答はさまざまになる。そのさまざまを、10人の内面を通して描きだした。
「それぞれの走る意味」を主軸においた本書は、箱根駅伝という構造を使った。
箱根駅伝に入るまでの前半部は、ぼくは漫画的だと感じた。コマをパンパン切り換えていって、長距離を説明しながら、主要人物を紹介しながら、いろんなエピソードを挟みながら、目標まで強引にもっていく。空白行さえ入れずに視点が移り変わっているのも、漫画的である。
強引さは否定できない。ぼくは長距離をやっていたから、「そんなうまくいくかよ」みたいなところがある。しかしそれは重要ではない。設定の一部なのだ。強引なくらいの設定のほうが、引きこまれる。夢があるから。
前半部は、漫画で描いたほうがうまくいくかもしれない。でも後半部には、小説でなければ、描きだせない世界がある。その世界に緩やかに移り変わっていくためには、前半部を小説で描く必要があった。漫画的なストーリー進行をしながら、心を丁寧に追っていくことが不可欠だったのだ。そうして箱根駅伝で、読者は10人の心に触れる。
ああ、世界はこんなに豊かだったんだ。
爽快な読後感だけが残る。