アニメ『ボールルームへようこそ』
『ボールルームへようこそ』23話
アニメ版が原作を超えて、ついにちーちゃんと多々良くんペアの結末を描いた。
多々良くんは臆病で、自尊感情のないタイプだった。だから、相手の女性にあわせてリード(ダンスにおける男性の役割。女性を導くこと)をしていた。自分のダンスを主張できなかった。
ちーちゃんは勝ち気で、他人に優越している自分が好きなタイプだった。だから、他人にあわせるのが苦手だった。
正反対の人間をペアに組んで、最後どのようなペア関係を描きだすのか。とても興味があった。漫画版は9巻で止まってしまっている。作者の竹内さんは体調を崩しており、続きを描けていない。しかしアニメの制作陣に、続きの構想を伝えている。アニメ版のほうが早くに描きだした。
この漫画の特徴は、ふたりとも変化させて、ペア間の一体感を描きだすことにある。しかし、どうしても多々良くんの内面が中心になる。少年漫画だし、主人公だし、ダンスの方向を決めるのは男だし。
多々良くんにとって、今回のダンス大会で一番ひびいたのはこの言葉だろう。ちーちゃんから「今日は嘘をついちゃいけないよね」と言われて、続く言葉だ。
「多々良の考えていることは、いまだにぜんぜんわからないけれど、
多々良っていう人間は見えてきた気がするよ。
臆病者。
あんたは最高にいい奴だけど
わたしはもっと怖くて強い男が好き」
多々良くんはビクッと身体を震わせた。ちーちゃんを恐れたのだろうか?
違う。多々良くんは、すごくうれしかったはずだ。
ペアを組んでからずっと、ちーちゃんはぼくのことを見てくれていないと思っていた。でも、ちーちゃんは、ちーちゃんなりにぼくのことを見ていたんだ。
このひとは、ぼくのことをちゃんと見てくれて、ごまかさずにぶつけてくれるんだ。
このひととペアを組めて、ほんとうによかった。
自分だって自分の悪いところくらい知っている。知っているけれど、なかなか変えられないのだ。
ちーちゃんに、ズバリそのまま指摘された。
多々良君は考える。ちゃんとぼくのことを見てくれて、想いをしっかり伝えようとしてくれる人間に応えるには、どうしたらいい?
――グダグダ考えないで、変われ。
「この性格に、一番嫌気がさしてるのは、
ぼくだ」
※
23話で、ペアの関係性に回答が出された。
ダンス大会の決勝に向かう場面。
ちーちゃんもちーちゃんで、自分の苦手なところと向き合ってきた。
「わたしね、あんたって人間がいまだによくわからない。
最初はどうにかしてあんたをわかろうとした。でも結局、他人を理解したつもりにはなれても、ほんとうに理解するなんてできない。
だからもう、あんたをわかろうだなんて思わない」
「うん」
「行くわよ」
とても重要だ。
まずは、わかろうと試みる。すれ違って、ぶつかって、いったんどこかに落ち着く。わかった気になる。
でもやっぱり、わからない。
相手を見れば見るほど、一瞬つかまえたと思った相手が、逃げていく。わかった気がしただけに、一層わからない存在になってしまう。
でも、その状態を受け入れることが重要だ。わかろうとしてきたけど、結局はわからない、不安定な安定状態。それこそ人間関係だ。
ダンスの道へ誘ってくれた先生が言う。
「他人ってのは結局不確定なものだ。
理解できないものが目の前にあるっていうのは、恐ろしいと思うか?
目の前にいるのはなんだ?
自分と別の存在がそこにいて、それを理解できないということを知ったとき、
それは、とんでもなくいとおしいものじゃないか。
それだけで
自分が自分であってよかったと
そう思わないか」
わかりえない他者を認めることは、世界の拡がりを認めることだ。理解できた、なんて自分のなかで満足しないこと。理解できない、けれど、いま向かい合っている奇跡をかみしめる。
どうしようもなく、いとおしい。
1-4巻までの多々良君だったら、この状態を受け入れられなかっただろう。
自分が自分じゃなかったからだ。
自分と他人との境界線を見つけられず、ただ自分を他人に同化させることこそがペア関係だと思っていた。多々良君の世界にいたのは、自分だけだった。かりそめの他人を、自分の世界に住まわせていただけなのだ。肥大化した自意識だ。わかりあえない他者を認められなかった。
それでも、ちーちゃんと出会ってから、切実に他者とぶつかって自分自身と向き合った。
その相手と一緒になって、ひとつのダンスを作り上げる。これこそペア関係だ。
来週は第24話、最終話です。
見てきてよかった。