齊藤亜矢『ヒトはなぜ絵を描くのか』
齊藤亜矢『ヒトはなぜ絵を描くのか』(岩波書店、2014年)
岩波書店『図書』2017年12月号で、齊藤さんの文章を読んだ。
「サルを追いかけていたら、崖から落ちて背骨を骨折した。サルを追いかけて? と笑われることも多いが、まったく笑いごとではなかった」
と始まる冒頭に引きこまれて、最後まで吸い込まれるように読んでしまった。
衝撃的な体験をしたあとの脳の反応には、なるほどと思わされた。夢の解釈やPTSDの話もすんなり入ってくる。けれどなにより、崖から落ちていくときの描写が妙に臨場感たっぷりで、おもしろかった。「高いところから落ちるときは、途中で気を失うものかと思っていたが、意識はそのまま。人生が走馬灯のように見えることもなく、頭によぎったのは、まだ何もしていない、時間を巻き戻したい、という思いだけだった」。かなり切羽詰まった状況なのに、どこか面白みのあるタッチで描かれる。文章全体にやさしい目線が感じられた。アウトリーチに最適な文体である。
肩書きをみると、芸術認知科学という耳慣れない分野が目に入った。脳科学と芸術の交差かな、と思いつつ本を探した。
岩波の『図書』は大学生協や大型書店に置いてあるかもしれないから、探してみるといい。
『ヒトはなぜ絵を描くのか』
洞窟壁画の謎に認知科学から迫っていく。古い壁画だと、数万年前のものがある。かなり原始的な絵だ。ヒトはなぜ絵を描いたのか。どう描いたのかという難問が横たわる。
でも、ぼくはアレと思う。古すぎて、脳科学からはアプローチできないのでは。認知構造から違うんじゃないか。脳自体を再現できないじゃないか。
けれど、原始的ということはアプローチ不可能ということを意味しない。その認知構造はむしろ、類人猿と似ているのではないか。ホモ=サピエンスの幼児期と類似性があるのではないか。そういうアプローチを取る。なるほどね、と思う。
ヒトや類人猿では、どの段階の認知発達段階なのか、という問いに迫る。実験を示しながら答える。そうして、より本質的な問題に移る。絵を描くとはどういうことか。なぜ描くのか。絵を見るとはどういうことか。筆者の関心は、むしろこっちのほうにあったのだろう。後半部がとくに面白い。
このくらいの軽い本なら、形式ばる必要はない。読んでいて心地が良かった。
示唆のある言葉たち。
いま、芸術の創造と受容について考えているので、それを中心に。
記号的な表象を描くには、自分の描く線にモノの形を見出す記号的な見方が必要だ。一方で、モノを写実的に描くときには、その記号的な見方を一時的に抑制しておいて、見たモノをありのままの形や線の二次元的布置としてとらえる必要がある。この二つの見方をいわば行き来することによってはじめて、見たモノの形を正確にとらえて描くことができるのではないか。デッサンは、手技的な訓練なのだと思われがちだが、むしろ記号論的な見方を抑制して、直観的なモノの見方を身につける認知的な訓練でもありそうだ。57頁。
必要のあるものだけに目を向け、それを記号化してしまう。いわば本のあらすじだけを読んでいるようなわたしたちに、子どものときのように世界を新鮮に見せてくれる。それがアートを鑑賞するときに心の作用であり、おもしろさではないかという気がしている。90頁
簡単に「何か」として分類できないようなものに対峙するとき、ヒトは心の底にあるより深いイメージを探し、掘り起こそうとする……イメージの探索。95頁
「何か」わからない作品を見つめていると、頭の中でイメージの探索がおこる。そこで気づきがあったものは、深く印象に残る。96頁
内藤礼「たとえば今、木漏れ日からさす光がカーテンにきらきら映し出される感じ。そんな普段の生活の中の一場面や自然の美しさを、いいなあと感じている。ほんとうはそうして自分で感じているだけでいいのだけれど、その「感じ」をアートのなかに表現したい。別にだれがしなくてもいいのだけれど、やらずにはいられない。わたしは、究極に美しいものを作りたい」106頁