名前
学部の国際法は、1,2限の連続講義だった。内容はもう覚えていない。
けれど、忘れられない話がある。
講義は女性が担当していた。何かを説明している最中、突然、マイクで問いかけてきた。
「みなさんは、好きだった子の名前を、自分の名前と組み合わせて悶えたことはありませんか」
ナニを言っているんだこの人は。大教室のみんながそう思った。
なにしろ、まじめな話をしている最中に、いきなりぶっこんでくるのだ。ちゃんと聞いていた人は、落差に驚いただろう。ぼーっと聞き流していた人は、おもしろいな、としっかり聞き始める。ぼくは、2限が終わったら、昼ご飯なに食べようかな……と集中が途切れかけていた。けれど現実に引き戻されて、話に聞き入ってしまった。
ぼくも、やったことがあるから。
でも、そんなこと、あけっぴろげに言えるはずもなかった。口にするのが恥ずかしかった。
講義の最中に話しだすなんて、この先生、くそおもしろいな、と思った。もうすこし話聞いてみよう。
「たとえば女の子なら、好きな男の子の苗字を、自分の名前のまえに付けてみたり。男の子なら、自分の苗字の後ろに、好きな女の子の名前を付けてみたり」
先生は、ぼくらの反応が鈍いことに気づく。
「あれ、みなさんやらなかったんですか? わたしはやっていました。おかしいのかなぁ」
ぼくらは、恥ずかしかったから反応できなかったのだ。たぶん、みんなやったことがあるから、反応しなかった。大教室だったから、もしかすると、好きな相手が周りにいたのかもしれない。隣に、片想いの相手がいたのかもしれない。つきあっている人と一緒に講義を受けていたら、まさか「結婚」を考えているなんて、そんな恥ずかしいことを悟られるわけにはいかない。反応できるわけないのだ。
でも、すこし教室がざわつく。「この先生、急にナニ話してるんだろうね」なんて、近くの友だちとクスクス笑う。恥ずかしさを隠すための笑いだ。おかしいよね、先生変だよね。自分もやっていたという事実はさておいて、先生のおかしさを話題に上げる。そうすることで、ほんのり赤くなった顔を隠そうとする。
みんなの注目を集めて、先生は講義に戻った。毎年やっていて、毎年同じ反応を受けているのだろう。ほんわかした雰囲気の先生だった。おちゃめなことをするものだ。
――男の子なら、自分の苗字の後ろに、好きな女の子の名前を付けてみたり
や、やったことあります!
なんて、言えるわけもなかった。でも、どうせ、みんなやっているのだと思う。いくら妄想しても、誰にも怒られないし。夢の世界なら、何やってもOKだし。現実がままならないからこそ、せめて自分のなかだけでは……夜、布団のなかで妄想して、ワーって言いながら枕に頭を押しつけて脚をバタバタさせる。ノートの切れはしに、合成した名前を書いてみたかもしれない。
ぼくはちょっと変だから、女の子の苗字に、ぼくの名前をくっつけたりもしていた。日本では、基本的に男の苗字+女の名前だけど、女の苗字+男の名前もおもしろいんじゃないか、と思った。苗字の選択はどっちでもいいのだから。やってみると、常識に反発したような背徳感があって、すばらしい。
相手の名前が変わるのもアリだし、自分の名前が変わるのもアリだ。
背中がくすぐられるような楽しみがある。にやっと笑う。