谷川俊太郎『谷川俊太郎 質問箱』
谷川俊太郎『谷川俊太郎 質問箱』(ほぼ日刊イトイ新聞、2007年)
質問
どうして、にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。
(こやまさえ 六歳)
(追伸:これは、娘が実際に母親である私に向かってした質問です。
目をうるませながらの質問でした。正直、答に困りました〜)
谷川さんの答
ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
「お母さんだって死ぬのいやだよー」
と言いながら
さえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
一緒に泣きます。
そのあとで一緒にお茶します。
あのね、お母さん、
言葉で問われた質問に、
いつも言葉で答える必要はないの。
こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
ココロもカラダも使って答えなくちゃね。
こういう答えかた、とても好きです。詩人だな、と思う。
言葉の限界に挑み続けて、言葉のできることとできないことをわかっているからこそ出せる言葉。
言葉の限界って大きい。その限界を超えようとすればするほど、限界に気づかされる。自分のこころをあらわす言葉をさがしても、しっくりくる言葉が見つからない。
そうやって日々を過ごしているうちに、ココロとかカラダとか、音楽とか映像とか、絵画とか匂いとか。いろんなものの可能性に気づかされる。それぞれの特性があって、それぞれの方法でこころをあらわしていることに気づく。じつは、言葉は単独で存在しているんじゃなくて、いろんなものが混ざりあっているなかにある。境界は浸透しているんです。
だからさ、言葉にしようとして言葉にならないものは、無理に言葉にしなくていいんだよ。変に縮こまったり大きくなりすぎたりしちゃう。もっと素直に、ほかの伝えかたでいいんじゃないの、と思うわけです。
もしくは。そうやって、なんとかこころを伝えようとしている姿だけで、相手からすれば充分なんだと思います。自分ではうまくいかなかったと思っているかもしれないけれど、伝わってるよ。
谷川俊太郎さんはすごい、という話でした。
この回答は有名すぎるので、ひとつふたつ、違うものを。
質問
「大人」になるということは、
どういうことなんでしょう。
谷川さんの「大人」を教えてください。
谷川さんの答
自分のうちにひそんでいる子どもを怖れずに自覚して、
いつでもそこからエネルギーを汲み取れるようになれば、
大人になれるんじゃないかな。
最低限の大人のルールは守らなきゃいけないけど、
ときにそのルールからはずれることができるのも、
大人の証拠。
質問
自業自得で苦しいとき、誰にあたることもできず、
言い訳もできず、というとき、
どうやってその苦しさに立ち向かいますか?
(後略)
谷川さんの答
苦しいのも生きている味わいのひとつだから、
苦しみのグルメになれるといいなぁ。
苦みや渋みや刺すような辛さに、
かすかな甘みもまじっているその複雑な味を知ると、
喜びの味も深まるからね。
(後略)