悲しいから泣きますか――謎のプリンス
塾講師をしていたころ
「悲しいのに泣けない人っているけど、感覚がわかんない。わたし卒業式とか号泣しちゃう」
と言っている人がいた。同じ教室に「悲しくても泣かない」という人もいれば、「そもそも泣かなくね。なんで泣いてんの。みっともない。」と言っている人もいた。
先生は? と訊かれて、「悲しいから泣くんじゃなくて、悲しいときに温かい想いに触れると泣くんじゃないかな」と答えた。自分のなかに潜りすぎたと思って、「卒業式じゃ泣かないなぁ」と訂正した。
ぼくの理解だと、純粋な悲しさは、涙と何の関係もない。そもそも純粋な悲しさが存在しないからだ。すべての感情は変化でしかない。悲しいときに泣くか否か、という問いが間違っている。どんな風に感情が動いたときに泣くか、という問いが正しい。
『ハリーポッターと謎のプリンス』を読んでいた。
最後の場面で、魔法学校の校長ダンブルドアが死ぬ。第1巻から第6巻まで、ずっとハリーを見守って導いてくれたおじいさんである。史上最強の魔法使いで、何でも知っていて頼りがいがあり、物腰はやわらかくユーモアに富んでいる。想像しうるかぎり、最高のおじいさん。みんなに尊敬されていて、とりわけハリーと親しかった。
ダンブルドアが殺される場面を読んで、ぼくらも悲しくなる。ハリーに感情移入しているのだから、大事な人を失ったときの感覚を思いだす。
でもこの場面で泣く人は少ないはずだ。ダンブルドアの死は、いい意味でも悪い意味でも衝撃でしかない。悲しい、と感じる余裕はないし、涙を流す暇もない。ただただ衝撃なだけである。ぼくも泣かなかった。
ぼくが泣いたのは、医務室の場面である。ダンブルドアが死んで、ほかの仲間も傷ついている。とくにビルは、狼人間に噛まれて顔がグチャグチャになった。婚約していたビルだったけれど、母親は当然、婚約相手は結婚を望まないだろうと思って「結婚すると思ったのに……」と泣きだした。
婚約相手のフラーは怒りだして、「結婚すると思ったって何? このケガがどうしたの? かっこいいじゃない。私は結婚する。なんにも変わらない」と決意を示した。泣いた……
つまり、である。全体として悲しみが支配しているときに、すごく温かいものに触れると泣いてしまうんじゃないか。
ダンブルドアが死んで皆も傷ついているときに、婚約相手のフラーがゆるぎない愛を示す。もはや愛が残っていなそうな場所で、確かな愛があると泣いてしまう。
卒業式で泣いてしまうのは、すこし複雑かもしれない。もうみんなと会えないという悲しい事実だけではない。悲しさのなかで、楽しくて友情に溢れた日々を連想する。この落差に泣いてしまうのだ。同時にいろんなことを考えてしまうんだね。
みたいなことを、桜が満開の鴨川で考えていた。
めっちゃ号泣してたから、ちっちゃい子に変な目で見られた。