白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

メジャー・セカンド

2018年春はアニメが豊作で、有名どころがたくさんある。

キャプテン翼ルパン三世ゴールデンカムイゲゲゲの鬼太郎シュタインズゲート、東京グール、ピアノの森、メジャー・セカンド……。ほんとにたくさん。

 

メジャー・セカンドについて。

メジャー(ファースト)は本田(茂野)吾郎の成長を追った野球マンガだ。ピッチャーの茂野五郎が活躍するのを、小学校のリトルリーグからメジャーのワールドシリーズまで描いている(相棒のキャッチャーは佐藤寿也。通称、トシくん)。

小学時代のぼくは、ゴローみたいにジャイロボールを投げたくて、かなり練習したけど無理だった。どうやっても進行方向垂直に回転しないんだよね。その後いつだったか、前田健太選手が「あれ、無理っすよ」と言っているのを見て、プロ野球選手にできないなら僕ができないのも当然だなと納得した記憶がある。

メジャーに渡った大谷選手が100マイルのストレートを投げて開幕2連勝、ホームラン連続3本打っていて、「ゴローじゃん」って思った。背番号が56番だったら完璧だったな。

 

物語では小学時代からの成長を描いているから、いいときばかりではなく、悪いときもある。とりわけ印象にあるのは、イップスである。ゴローは、ワールドシリーズの大一番でホームランを打たれて、イップス(精神の不調で思うようにプレーできない病気)になってしまった。最初はそんなわけないと拒絶していたけれど、無理やり治療に向かわされて、拒絶しながら受け入れる。走りつづけてきた心が疲れているのを受け入れて、「見てくれている人のために投げよう」と思い定めて、もとの調子を取り戻す、みたいな筋書きだ。

かなり暗いことばかりなのに、なぜか暗いとは思わずに見ていられた。最後は感動できた。

 

メジャー・セカンド第1話を見ながら、「暗くて見たくないなぁ」と思った。

子どもの茂野大吾が、父親の影にとらわれて鬱々とする描写から始まる。すごい父親と何もできない自分を比較して、「もう野球なんかやらない」となって自暴自棄になってしまう。ほんとうは野球をやりたいから、野球のできない自分が嫌になるのだ。ピッチャーになりたいのに、適性がない。バッターとしてもヒットが打てない。父親だけならまだしも、お姉ちゃんは野球の才能がある……ぼくだって頑張ってるのに、なんで……

漫画ならサクッと読み進められるけれど、アニメだとじっくり見させられる。暗くて見ていられなかった。

 

なぜだろうと考えると、答えは明白である。

イップスは外側からの障害なのに対して、鬱々とするのは内側からの障害である。

外側からくる障害にもがき苦しみながら、なんとかそれを克服するのは見ていられる。前向きのエネルギ―が感じられるからだ。

でも、内側からくる障害は、「そんなの知るか。シャキッとせんかいっ」と思ってしまう。サラッと読み飛ばせるならともかく、鬱々とするのを長く見ていられない。さっさと動きだせよ、と思う。

ぼくにとってメジャーは、つぎに何があるか読めない、ワクワクでいっぱいの物語だった。

けれど、人間には鬱々とした時期があるのはあたりまえで、若いときほど対処法がわからないからひどく落ち込んで傷ついてしまう。しかたない。

だって小学4年生だよ。周りは苦労せずにみんな成功しているように見えるんだ。そういう人たちの失敗や努力に対する想像力もない。ジャイロボールを簡単に投げられると思ってたよ、当時のぼくは。

 

鬱々として自分から動けない主人公を動かすのは、新しい出会いである。佐藤寿也の息子が主人公を引っ張りだして、また野球に目覚めさせる(ちょっと原作を読んだ)。

これね、すごく美しいんです。

メジャー(ファースト)では、ゴローがトシくんを救いだした。野球の道に誘って、自分の殻に閉じこもってたトシくんを解放した。

そのお返しにメジャー・セカンドでは、トシくんの息子がゴローの息子を救いだす。ウジウジしてんなよ、って。

メジャー・セカンドの大吾には、克服しなければならない心の闇がある。でも、隣に友だちがいるから乗り越えていくんだろうな。世代を超えた恩返しだ、美しい。頑張ってくれ。

 

メジャーの初放送から、ほぼ15年ですよ、信じられますか。