『フォレスト・ガンプ』
映画『フォレスト・ガンプ』
1950年代~1970年代、アメリカが大きく揺れ動いた時代を、ただまっすぐに駆け抜けた青年の映画。けっこう好き。
主人公のフォレスト・ガンプには、自閉傾向があった。言葉を文字通りにとらえて、ルールには愚直で、周囲の空気は読めず、人間関係は苦手で、興味をもつ範囲は狭いけれどひたすらにやり続ける、みたいな。
「知能指数が低いから養護学校のほうがいいですね(こういう言いかたも当時をあらわす)」と言われて、母親は一生懸命に息子を教育しようとした。悪い足には矯正具をつけた。夫のいなかった母親にとって、息子に人並みであって欲しかった。
彼の人生が始まったのは、同級生の女の子に「Run! Forest, Run!」と声をかけられたときである。足の矯正具が外れ、彼は自由になった。その解放感のまま走りつづけた。
頭は弱かったけれど、足の速さが買われてアメフト推薦で大学を卒業した。考えずに命令に従ったから陸軍兵士として成功した。傷を負って病院に送られたけど、卓球にのめりこんで代表選手になった。身近な人を大事にしたからエビ漁でも成功した。運が転がってきて投資で一生の財を築いた。「人生はチョコレートの箱みたいなもの、開けてみるまで中身はわからない」
何もかもうまく行ったように見えるけれど、たったひとつ欠けているものがあった。 彼は、自分を受け入れて自由にしてくれた女の子のことが、ずっと好きだったのだ。
しかし彼女は、人生がうまくいってなかった。夢は実現せず、刹那的に時代に流されていた。いつも成功する彼のことを、見ていられなかったかもしれない。自暴自棄になっていた。そういうとき、ただまっすぐに「好きだよ」って言われるのは、正直つらい。まっすぐな彼と、ひねくれきった自分を認識するからだ。
彼女が疲れ切って、フォレストのもとに戻ってきたときが最高のシーンだと思う。
フォレスト「結婚しよう」
女「……愛が何なのか知らないくせに」
フォレスト「僕は頭は良くないけど、愛がどんなものかは知ってるよ」
彼女はフォレストと寝て、つぎの朝、何も言わず去っていった。
――「人の気持ちもわからないバカ」っていうのは、彼女にとって、言ってはいけない言葉だった。ひどいことを言ってしまったと一瞬で気づいて、同時に、自分の気もちにも気づいたんだと思う。私はこの人のことが好きで、つらいときに甘えてしまうのも彼で、甘えさせてくれるのも彼で。まっすぐに想ってくれている彼のことを、私はずっと避難場所として使い捨ててきた。わがままに依存してたんだ。
自分こそ何もわかってなかった。もう甘えていられない。
たぶん、こういう変遷をへて、彼女は彼と寝て、彼のもとを去ったのだ(好きだから離れなければならない……人生!)。
あとはサラ―っと終わる。
フォレストは、ただ走る。たぶん、何もわからなくて頭がパンクしていた。なんで彼女は僕と寝てくれたのに、何も言わず去ったんだろう……ってね。男女の仲になるってのは、OKってことなんじゃないのか。彼にとって男女の機微を理解するのはこのうえなく苦手で、でも一番好きな相手だったから考えつづけた。頭がパンクして、走るしかなかった。「Run! Forest, Run!」
彼は、3年たって彼女に呼び出される。そうして、実はフォレストの子どもがいて、もう6歳近いことを知らされる。彼女は不治の病気を患っていて、先が短かった。
ふたりは結婚して、つかの間の幸せを得る。
子どもの人生が始まる。