白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

ジコチューな「大丈夫?」

一昨年の春から、「大丈夫?」と聞くのをやめている。

たいていの人は、それほど親しくない人に対して「大丈夫じゃない」と言わない。私は限界です、いっぱいいっぱいでやるべきこともできません、なんて不名誉なことを言うだろうか。言うわけがない。

だから大丈夫とは聞かずに、ほんとうに大事な人なら仕事を奪うようにしている。もっとも大丈夫じゃない人は他人に「大丈夫じゃない」とは助けを求められない人なのである。何も行動しないくらいなら、おせっかいなほうがいい。

そんな簡単なことに気づかなかった……と言えば、普通の話である。

 

ほんとうは、自分が嫌いになったのだ。自分が何を考えているか、敏感に感じられるようになったのである。「大丈夫?」と聞いて相手を心配しているふうを装いながら、その実、自分の心の安寧を求めている。手助けしたいと思っているように見せながら、行動しないことの言い訳を巧妙に作り上げている卑怯さが嫌になったのだ。

大丈夫? と聞くときの心が満足する感じはすばらしい。何もしていないのに、何か偉いことをした気もちになる。他人の疲れている様子に気づいて、そこに手を差し伸べる。周りの人間は何も言っていないのに、私だけはすこし相手の内側に踏み込んで心配する。「大丈夫?」と言って、「ううん、大丈夫だよ」と疲れた笑いを顔に張りつける相手を見て、(心配したけれど、大丈夫と言うのだから大丈夫なんだろうな)と安心する。つらそうだけど、頑張ってね。あまつさえ応援したりする。

「大丈夫?」と聞くのは、自分が何も行動しないことの言い訳を作る言葉なのである。目の前にいる人の作業を具体的に分担するのが面倒くさいから、「大丈夫だよ」と返ってくるのを期待して「大丈夫?」と聞いているのだ。「大丈夫だよ」という声を聞けば、それ以上なにか積極的にやる必要はない。非常に便利な予防線を張ったことになる。

相手にとってみれば「大丈夫だよ」と言ってしまったのだから、いまさら「大丈夫じゃない」とは言いにくい。正常の思考能力があれば、いちど相手の手を振り払っておきながら、助けを要求するなんてできるはずがない。

実に巧妙な仕組みだ。「大丈夫?」と言って一番得をするのは自分自身であり、言われたほうが心理的に損をする。自分が得する構図に暗黙のうちに気づいているから、「大丈夫?」と聞くのである。「大丈夫?」と聞くときに考えているのは自分のことだけで、その世界には相手はいない。自分で自分を満足させる言葉なのだ。

よい人間のふりをした悪人であることに気づかないで、優しい言葉をかけたと勘違いしている。

とてつもないバカ者だった。