カプセルホテル
長方形の通路は、真っ白な壁で覆われていた。湿度管理された空気が身体にまとわりつき、呼吸をするたびに乾いたゼリーを飲み込むようだった。空気清浄機の回る音がやまない。匂いのない無機質の空間だった。天井からは白い光が照らす。行きかう人たちは、黒い服の上下で統一されている。どこかで見た未来の病棟のようだった。
「ここにサインしてください」
差し出されたタブレットには傷一つない。スタッフが流れ作業のように宿泊手続きを進めていく。ぼくは、言われたことに対して必要最小限の回答をするだけでよかった。
「キーをなくされると、追加費用がかかりますのでお気をつけください。チェックアウトは明日朝10時までにお願いします」
スタッフはカードキーとともに、室内着を手渡した。あの真っ黒の衣服だった。
なんの感情もなく、ただの機械的な通常作業だった。人間性が極端までそぎ落とされた汎用AIかと思う。部屋はほとんど埋まっているようで、ぼくはそのなかのひとつを借りる存在にすぎなかった。
エレベーターでシャワー階に行く。シャワーを浴びて、歯を磨いて、寝る支度を整える。真っ黒い上下に着替えると、この空間の一部になった気がする。人間ではない何か。ゴワゴワした肌触りなのがリアルだった。エレベーターでカプセル階に行く。やけに白い廊下と、真っ黒い服。はたから見たら滑稽だけれど、周りがそうしているから気にならない。カプセルホテルの一部として生まれ変わった。
カプセル階だけは、ほかの階とは異なって照明が落とされている。まるで蜂の巣のように、カプセルの穴のひとつひとつが壁に空いている。シャッターの閉まっているカプセルでは人が寝ているし、シャッターが閉まっていないカプセルにはこれから人が入る。通路は足元が見える最低限の明るさで、開いているカプセルから漏れる明るさが通路を照らしている。
指定されている穴に、ぼくは頭から入った。天井はそれなりに高く、座っても頭はつかない。横も狭いというほどではなく、寝返りを打てるだけの広さは確保されている。枕もとの時計でモーニングコールを設定し、シャッターを閉めて通路と途絶した。ぼくは、ひとつのまゆのなかで眠りについた。
翌朝、昨日と逆の順番で外に出る準備をする。
「ありがとうございました」
出口で声をかけてくるAIみたいな女性から早く逃げたくて、早歩きで近くの人混みに逃げ込む。息をついて、人間のむせるような匂いを吸い込む。
寝るためだけに最適化されたあんな空間、もう絶対に行かないと決意した。寝るために最適化された結果、人間に不適合な場所になってしまっている。