白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

さらけだした、その先。

ぼくが「さらけだし」を始めたのは佐渡島さんに言われてからだけど、さらけだしたらどういう状態になるかについて彼は語らない。表の場所で語っているのを見たことがない。

そうすると、あまり考えない人たちは「とにかく、あけっぴろげにすること」を第一目標にしてしまう。しかし、何でもかんでも公にすることは美しくない。佐渡島さんがそれを目標にしているとは思えない。 さらけだすのであって、ぜんぶ公にするのではないのだ。

 

さらけだすことの最終目標は、心をひらいた状態で生きることである。心をひらいて、心で感じながら表現できるようになった状態が「さらけだした」状態である。ここを目指さないと、すべてが無意味なのだ。

心のひらいた状態とは何か。

演出家の鴻上尚史さんが的確に描写している。彼が俳優のスタート・ラインについて語った文章から引用する。

 

 

あなたが一番心を許している相手と、同じ部屋にいるとしよう。他にはもちろん誰もいない。素敵な音楽が流れている。あなたにとって、一番心を許している相手とは、誰だろう。恋人か親か、例えば恋人としよう。軽くお酒でも飲み、セックスが終わった後だと思ってもらいたい……

あなたの心は、無防備なはずだ。今、恋人が何かささやけば、あなたの心は、あなたの意志を超えて、敏感に反応する。普段、人から何を言われても簡単に傷つかないあなたの強い心が、その何百万分の一のささいな言葉にも、深く深く傷つくだろう。だからこそ、恋人の何気ない言葉にも、あなたは無情の幸せを感じる……

その時、あなたの右側の壁が、音もなくゆっくりと外に向かって倒れ始める。静かに、壁は倒れ切る。そして、そこには何百、何千という観客が座っている。

恋人を見つめていたあなたは、ゆっくりと右側を見つめようと首を回し始める。

その時、あなたの心が、恋人を見つめていた気持ちのまま、何百、何千という観客を見つめられた場合にのみ、あなたの心は「リラックス」していると言える。その心だけが、「開いている」という状態に達する。

演技は、まず、その状態から始まる。その状態に心を持っていけない俳優は、俳優の資格がない。それは、まず、すべての演技のスタート・ラインなのである。(鴻上尚史『真実の言葉はいつも短い』知恵の森文庫、2004年、99-100頁)

 

 

さらけだしたほうがいいよ、とぼくが言うのは、「心が閉じてるよ。ひらいたほうが生きやすいよ」と言っているにすぎない。誰にも彼にもさらけだすのはアホウだ。さらけだしても公にしないことはある。

ただ、自分の心にすなおになって、心の声を聞いて生きることが重要である。表現者になろうとしないかぎり、その先は必要ない。

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井上雄彦『リアル』

この場面は何回読んで好きなんです。