励まして。
あるひとから「励まして」と言われたことがある。
そのひとは自由なひとで、いつも笑っていて、マイナスの感情なんて傘に降った雨粒みたいに流れ落ちていくひとだった。
だから、そのひとが落ち込むなんて予想外で、ぼくに言ってくるのも予想外で、というか、そんなことを誰かに言われたのも初めてだったから、いろいろと慌てた。
落ち込んだ直接の原因はわかっていた。ツイッターで、そのひと自身がネタにしていたからだ。難しい試験に通って進路を決めたのに、単位計算を間違えて卒業に失敗したのが原因だった。ぼくは「自分でネタにするんだから大丈夫だろう」と判断して、むしろ拡散したほうが笑い種として消費できると思って、複数人でRTしたり、「やっちまったなー」と笑って返信したりした。
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「励まして」と光るラインの通知をみて、あちゃー、これはどうしたもんかなと頭をかいた。
このひとは、思いもつかなかった事実を突きつけられて、驚いて、傷ついて、その事実にどう対処したらわからなくて、自らツイッターでネタにしたのだった。傷ついたから、つながりを求めて、みんながいるツイッターに書きこんだのだ。表面上は「いつものわたしだから、笑って流せるよ。大丈夫。みんなも笑ってよ」と言いながら、裏側ではほんとうに傷ついていた。
ぼくは内面を推察しようともせず、ただ「そのひと自身がネタにしているから大丈夫」という理由で、いじるのに参加したのだった。みんなでいじって、アハハと笑うことが、あえてツイートしたそのひとを救うことになると思っていた。
バカだな俺、と思った。何にもわかってないじゃないか。
どう言ったら励ませるのかな、と必死に考えた。「つぎしっかりやればいいよ」「心配ないさ」「酒でも飲むか」「元気出せよ」「よくあるミスだよ」……考えれば考えるほど、ぼくの想いを伝えることばはなくて、どれを言ってもそのひとを励ませると思えなかった。答えは見つからない。
しかし、いつまでもラインを未読にしておくわけにはいかない。ツイッターで直前まで返信していたからオンラインなのは知っているし、そのひとは今傷ついているのだ。
アホなりに一生懸命頭を働かせた結果、出てきたのは他愛ない言葉だった。
「ごめんね、いくら考えても、何て言えばいいかわからなくて」
「きみなら大丈夫だよ」
「頑張りすぎちゃったんだよ。ちょっと休むくらいでちょうどいいんだよ」
内心では、「なにが大丈夫なんじゃーい」とか「休むのがちょうどいいって言う資格あるのかーい」とか思っていたけれど、まあ、しょうがなかった。当時のぼくには精いっぱいだった。
そのあと、小一時間ほどラインしつづけた。そのひとは最後には「ありがと。元気出た」と言ってくれた。強がりじゃなかったと思いたい。というか、思いこんだ。誰かに内面を打ち明けたのに「あーあ、こいつに話すんじゃなかった」って結果にしたら、そのひとがかわいそう。
傷つけてしまった責任は果たせたかな。
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今なら、どういうふうに励ますのだろうか。
隠している感情を吐き出してもいんだよ、ぼくが聞いてるよ、というメタ・メッセージを伝えると思う。そういう感情を引き出す言葉……いや、正解はないか。もう一回同じ状況にならないと、わからん。
でも、今なら、ひととおり感情を吐き出させた後に、「大丈夫だ! 俺が保障する」みたいに言ってあげられる。こういう断定がどれだけ相手を安心させるか、わかってきた。そういう断定をするときに恥ずかしさを感じなくなった。
すこしは成長してるのかな、俺。