優しさのベクトル
女性がお酒を飲みながら愚痴る。
「男からライン来てるんだけどさ……見てよこれ。「もしよかったら、ついでにご飯食べない?」だよ? 何なのこれ? もしよかったらって何? ついでにって何? 誘うんならちゃんと誘えっての」
ぼくは男の側に立って反論する。
「いや男からすると、君の予定はわからないから、負担かけたり重くなりすぎたりしちゃ悪いなって思って、そういう言葉づかいになってるんだよ。察してあげてよ」
ほーらきた、という顔をして、その人が続ける。
「そんなのわかってる。けっきょくさ、断られるのが怖いから予防線を張ってるんじゃないの。臆病なんだよ、この人は」
言いたいことは言いきったという顔をして、その人はビールを飲んだ。
ぼくは何も反論できなかった。正しいから、何も言えない。
この女性の言うことは至極まっとうだ。誘いたいなら普通に誘えばいい。たかがご飯である。「おいしい店見つけたんだけどさ、食べに行こうよ? ○曜日はどう?」みたいに言えばいい。なのに、「断られたらどうしよう」とか「なんか恥ずかしい」とか思って、予防線をたくさん張られても興ざめだ。
誘われてるのだから「もしよかったら」なんてあたりまえだ。よければ行くし、嫌なら行かない。「ついでに」って、ついでってなんだよ。私はついでの存在かっ!
何も言えなかった理由はそれだけじゃない。
自分のことを言われているようで、グサグサ刺さってきた。こういうふうにラインしてしまう男の気もちが、すごーく分かる。ぼくもこうやってしまうタイプだ。
――断られるかもしれないから、正当な言いわけが欲しいな……「もしよかったら」って付けたら、断られたとき傷つかなくて済む。
――誘ってるんけど、あからさまに誘うのは恥ずかしいから、オブラートに包んで、「ついでに」って付けよう。ついでなら断られても傷つかないし。
――それに、こういう言葉をつけたら、相手からしたら断りやすいよね。重くならないしさ。相手のために、こういう言葉を付け加えるんだ。
だいたいのところ、こういう感じでラインの文面を作って、ドキドキしながら送信するのである。自分の臆病さを覆い隠すために、「相手のため」という理屈を使う。
この考え方には、相手のことを考えている俺って優しい人間だ、という意識が根底にある。救いようのないほど、身勝手な「優しさ」である。
※
こういう優しさをどういうふうに理解したらいいのかと、ずっと考えていた。さいきん答えに辿りついた。
つまり、優しさのベクトルが違うのである。
この優しさは、傷つきたくない心から出たもので、自分を守るための優しさである。優しさのベクトルが自分に向いているのだ。優しさというよりも、もはや臆病と言ったほうが適切である。その臆病を隠すために、優しさというラベルを貼って自分自身に納得させていた。「ぼくは優しいんだ」みたいに、傷つかないための精一杯の予防線を、優しさであると誤信していた。
ほんとうの優しさというのは、ベクトルが自分に向かうのではなくて、相手に向かっているものを言う。自分の世界で完結するのではなくて、相手の存在を受け入れて大事にするのが優しさである。
相手に優しくなろうとすると、傷つくことを覚悟しなくちゃいけない。優しさが受けいれてもらえないことなんて、たくさんある。でもだからといって、優しさのベクトルが自分に向いた状態で「ぼくは優しいんだ」といくら言ったって、そんなもの優しくない。弱い自分が傷つかないようにしているだけだ。
偽の優しさは、相手からすると一目瞭然である。冒頭の女性みたいにすぐ見破られてしまう。
――あぁ、この人は自分のことしか考えてないんだ。
(付け足し)
もし今だったら、どう誘うかなと考える。
――ふいに君の顔が見たくなってさ、ご飯食べに行かない?
かっこいい。ぼくも言われたい。かっこいいけど……ウン、無理ですね。嘘つきました。好きな人ほど言えなくなるよ。こんなこと言えるんだったら、こういうブログは書いていません。