白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳版(紀伊国屋書店、1991年)

エーリッヒ・フロム(鈴木晶)『愛するということ』新訳版(紀伊国屋書店、1991年)

 

超短文要約

愛は世界にたいする能動的な態度・人格である。

 

――ざっくり内容紹介

 

この本は「愛は技術だろうか」という衝撃的なことばで始まる(第1章)。

フロムによると、多くの人は愛に飢えているけれど、愛について真剣に学ぼうとしていない。その根底には、愛についての三つの誤解がある。

①愛を、愛することではなく、愛されることの問題として捉えていること

②愛を、対象の問題であって、自らの能力の問題ではないと考えていること

③恋に落ちる体験と、愛にとどまっている状態を混同していること(falling in loveとstanding in love)

これらの間違いを指摘しながら、「愛とは、愛する技術の問題である」とフロムは言っている。

 

ところで「愛は技術である」の技術とは、どういう意味だろうか。たんなるテクニックなのだろうか。原典を確認すると、最初の一文はこう始まる。

 

IS LOVE an art?  Then it requires knowledge and effort.

――愛とはアートだろうか。そうだとすれば、知識と努力が必要である。

 

この問いかけにたいする答えは、もちろんYes である。しかしここに大きな問題が潜んでいる。artは何を意味するか、という問題である。アートは、単なる技術以上の意味をもつからだ。

Artには複数の重要な意味がある。すぐ思いつく絵画、芸術のような意味のほかに、liberal artsのような人文科学を示す意味もある。今回は、「技術」・わざという意味で用いられている。

ただし、この意味でのアートは、誰がやっても同じ結果になる画一的な技術ではなくて、むしろその人の個性がにじみ出ている人間臭い「技術」である。

たとえば絵画を描くさいには、絵画理論や画材について学ぶだけではなくて、実際に描いていくなかで得ていく経験も重要である。そうした理論(知識)と経験が混ざりあって、その人だけの方法論ができあがる。そうした技能をアートと呼ぶ。経験だけでもないし、知識だけでもない。相互に浸透しあった「技術」である。

この場合、技術と訳したら、アートのニュアンスが抜け落ちてしまう。だから多くの訳者は技術と訳さない。文脈に即して、わざとか、術(すべ)とか、技芸とか、訳し分けるひとがほとんどである。

この本の文脈では、アートは態度attitudeや人格characterを意味している。単なる技術ではないのだ。

 

本書の素晴らしい点は、愛を適切に身につけた人間が、どのような状態になるかを明確に示していることである。けっきょくのところ、愛と人格の成熟は切り離せない(第4章、第2章)。

 

「愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである」76頁

「一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。誰かに「あなたを愛している」と言うことができるなら、「あなたを通して、すべての人を、世界を、私自身を愛している」と言えるはずだ」77頁

 

つまり、愛とは自らの態度・人格である。この世にたいする能動的なありかたこそ愛なのだ。

具体的には、自分が自分であることを受け入れて、他者が他者であることを受け入れる。自分の可能性を信じて、他者の可能性も信じる。自分が傷つくのを過度に恐れず、自分そのものを他者に与えることができる。相手に依存したり見返りを要求したりすることはない。自分だけの世界に閉じこもらない。他人への配慮を忘れず、他者に誠実に応答する責任をもつこと。他者が他者であることを尊敬し、その他者の内面を知ろうとすること。

そういうのをひっくるめた態度や人格の到達点が、愛である。

 

ただし、上に羅列したような要素をそのまま実践しても、愛にはならない。愛とは態度や人格であり、個別のテクニックではないからである。だから、習練が必要なのだ。

愛のアートを身につけるために必要な修練として、以下のものがあげられている(第4章)*。自律、集中、忍耐、最大の関心。愛について最大の関心をもって、忍耐強く、自律しながら、習得に向けて集中し自分に敏感になること。

それに加えて、とくにナルシシズムの克服と信念と勇気が必要である。自己中心的な世界の解釈から外れて、自らの愛を信じ、他人の可能性を信じること。そして、愛する行為に自分をゆだねる勇気をもつこと。時間がかかる道程である。

自らを習練することで、愛する態度・人格(アート)を身につける。そのための本である。

 

*:ただし、この部分は要約に適さない。諦めた。ぜひ本を手にとって、読んでみてほしい。

 

感想

ああ、これでよかったんだ、とほっとする内容だった。ぼくがここ数年ずっとやってきたことを肯定してもらった感じがした。

おそらく、ぼくがまだ出来ていないのは「自分を愛する」ことだな……愛って難しいわ。

 

読んだ手順

・世界観を説明している本である。

・わかるひとはわかるし、わからないひとはわからない類の本。

・そして、わかるひとにとっては、当たり前すぎてまとめにくいタイプの本。こういうのを書けるひとは尊敬する。

・わからないひとは、ポイントを読み取れないまとめをしてしまう。

・『愛することについて』の要約・まとめがwebに散見されるけれど、「愛は技術である」と喧伝するものは、まったくの誤読である。「愛は態度・人格である」もしくは「愛はアートである」と要約するひとを信じるべき。

・愛の理論や愛の中身は重要ではなく、愛のアートを身につけた人間がどう世界を見ているかが重要である。愛のアートを身につけた人は、自然と愛を体現するからである。

・逆に、愛のアートを身につけない人が、愛の中身や理論を実践したところで、愛の形をした別物になってしまう。

・このパラドックスを読み取れるひとなら、1500字程度の要約では、第2章を中心にしない。第4章を中心にする。アートとしての愛が表現されている部分を抜き出して、その修練の方法を抜き出すのが1500字要約の仕事になる。

・ただ、修練の方法こそアートの本質に属するから、要約には適さない。うまい言いかたがあったら教えてほしい(このブログの居合カテゴリは、アートの習練方法を書きだしている)

・(某後輩に向けて):こんなふうに読むのが「能動的に読む」ということです。

・能動的に読む、というのもアートだから短く説明しにくい。やって見せるのが唯一かな。

・まとめは苦手です。自己採点するなら60点くらいかな。