ほんとに嬉しいときって、何も書けなくなるんだね
どうしようどうしよう。この嬉しさをどうすればいいんだろう。わかんないよ。
ふとしたときに顔の筋肉がゆるんで、にへらと笑ってしまう。道行く人に「ぼくね、いいことがあったんです。世界は愛に満ちてるんですよ」と声をかけたくなる。自分に「落ち着け」と言い聞かせても、まったく聞く耳をもたない。プラスのエネルギーで満たされているから、ほかの感情がぜんぶ上書きされてしまう。心がポンポン跳ねる。
こういうとき、どうすればいいか知っている。自分の心にさからうのをあきらめて、鴨川に向かって「うれしー」って叫ぶ。高揚が収まるのをゆっくり待つ。たいていは、それで収まる。
今回はそれでも収まらない。ありあまるエネルギーをどこかで発散しないと気が狂いそうだった。自転車を強くこいで京都中を走り回って、大きな公園で筋トレして、近所の大文字山に登った。息をついてスマホを取りだすと、あの文面を見てしまって、「こんな言葉をかけてもらっていいのだろうか!」と発狂しそうになる。
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また佐渡島さんに褒められてしまった。
考えてる領域が近いから、この人のブログはすごく好き。サポートしたくてもできないから、noteで書いてほしいと思うようになってきた。noteが世の中に定着してきてるのを感じる。 / エーリッヒ・フロム『愛するということ』... #NewsPicks https://t.co/1etpd1v95j
— 佐渡島 庸平(コルク代表) (@sadycork) July 1, 2018
はわわ……あの佐渡島さんに、「すごく好き」「サポートしたくてもできないからnoteで書いてほしい」と言われてしまった。ぜんぜん信じられない。これ、ぼくに言ってるんだよね? 同姓同名の誰かじゃないよね……ほんとに言ってくれてるんだ!
嬉しさがはじけて全身が満たされた。どうしたらいいかわからなくてスマホを閉じた。心臓がバクバクした。もういちどスマホを見た。こらきれなくて鴨川まで走った。
鴨川デルタで「やったー。ありがとー」と叫んだ。川にじゃぶじゃぶと入っていって、水の冷たさを感じながら「noteやります!」と返した。太陽が水面にギラギラ光っていた。
こんなこと言ってもらって、つぎの投稿でがっかりさせるわけにはいかない。未熟だけれど、未熟なりにちゃんと書かなければ。パソコンのまえに座っていつものように書こうとする。構成作って、(佐渡島さんに好きって言われた)、冒頭を書いて、(サポートしたいだって)、うまくつながらないからシーン別に書きだして、(書いてほしいだって)……
もう無理!
とにかく嬉しいんだ。好きなひとに好きって言われるってこんなに嬉しいんだね、知らなかったよ。こんなのはじめてだよ。いつも考えていることが嬉しさの奔流で押し流されてしまう。世界はぼくを祝福しているのだ。細かいことは気にすんな。
どうしようもないから書くのをやめた。心が浮ついて人物のなかに感情が入っていかない。心のなかに潜っていけない。心と文章がつながらない。3000字くらい書いたけど、ぜんぜんダメだった。ボツ!
ボツの原稿さえも、なぜか嬉しい。ワケわからん。
「人生の転機」を書いているあいだは他の文章を書かないって言ったけど、撤回します。無理です。こんな状態じゃ心の奥は書けないよ。ごめんなさい。高揚が収まるまで、数日間待ってください。
ほんとに嬉しいときって、何も書けなくなるんだね。
【付け足し】
白いくまもん(暫定:アイコンと名前を変えて7月9日までに稼働します)|note
ブログとnoteの使い分けも手探りしながら来週に始めます。今年後半は「やりすぎる」を目標に。課金は設定しません。もしよろしければフォローお願いします。