白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

ぼくは、泣けなかった――人生の転機⑦

その子が死んだという知らせを聞いても、ぼくは泣くことができなかった。

 

メールを開くと「○○さんが亡くなりました」という文面があった。

得体のしれない衝撃を受けた。頭の芯がひえていく。唾をごくりと飲み込んだ。タールのような液体が喉から腹のうちへゆっくりとしたたり落ちた。腹の底に溜まりつづけた粘性の黒い液体は、やがて腹を埋めて胸を圧し口までせりあがってきた。ぼくはしゃがみこんで突然の吐き気を押しこめようとした。息が自然と速くなった。周りから音が消えて、視界から光が失われていった。力強く手を握りしめていることに気づいて塊をほどくと手のひらは白かった。ゆっくりと血の色を取り戻していく肌を眺めていた。寒かった。

 

ゆっくりと深呼吸を繰り返して、何が起きたか理解しようとした。妙に頭は冴えていた。このあいだ一緒に飲んだ女友達が死んだ。それはわかった。けれど、大きな岩をそのままぶつけられたように感じて、その岩が何でできているのか窺う余裕はなかった。消化不能の衝撃だけを与えられて、ぼくの脳みそは中身を知ろうとするのを拒否した。

 

これを悲しみというのだろうか。友だちが死んだから悲しい。そう単純なものではなかった。悲しいとはどういう感情を言うのだろうか。胸のうちに溜まった粘性の液体は悲しみなのか。メールを読んだときの衝撃は悲しみなのか。違う。涙も出てこない。目はカラカラに渇いていた。

世界のなかでたったひとりぼっちのように感じた。ぼくの世界には誰もいなかった。この感情は何なのか。まったくわからなかった。

部屋に引きこもった。ほかの友だちと旅行に行く予定があったけれど、ぜんぶキャンセルした。無理だった。活力が精神から根こそぎ奪われた。

 

ぼくは学生側の代表となって、ご両親と電話やメールでやりとりした。葬儀等について、学生側とのすり合わせる必要があったからだった。

最初のひとことをどう言えばいいかわからなくて、数時間PCと向き合った。わからなかったから、ネットで調べた。「お悔やみ申し上げます」「とても残念です」「訃報を知り、大変驚いています」「哀悼の意をささげます」と書いたほうがよくて、「つくづく・重ね重ね・この先もという言葉は使わないほうがいい」ということだった。

ふざけんなと思った。まったく参考にならなかった。そんな外側の論理で、ぼくの心のうちを伝えられるわけがなかった。子どもを亡くした親の心に伝わるわけもなかった。ネットで検索上位にある言葉たちは、どこまでも身勝手な言葉だけだった。誰かの死を知らされて何か返信しないといけない状況に置かれたとき、そのひとが安心したいから使うことばだった。自分が誰かの死と向き合いたくなくて、相手の心のうちを想像するのも疲れるから、とりあえずお仕着せの言葉で流そうとする。吐き気がした。

こんなものに頼ろうとしてしまった自分自身に失望した。絶望した。バカだった。自分のなかから、ことばを絞りださなければいけなかった。

 

自分が文章で取り乱すわけにはいかなかった。もっともつらいのは子どもを亡くしたご両親で、ぼくはただの友だちに過ぎなかった。圧倒的な断絶があった。

考えて考えて考えて、たった200字くらいの文章を作るのに、2時間かかった。できあがった文章を見て、クソだなと思った。自分の思っていることの半分も込められていない。相手のご両親はこちらを気遣ってくれてさえいるのに、ぼくは、ご両親にたいしてどう言えばいいのかわからなかった。けれど、とにかく返信した。自分の心とことばがつながっていないことを、これほど憎んだ瞬間はなかった。

 

ご家族とメールや電話でやりとりしながら、ほかの友だちと相談しながら、種々の調整を機械的に進めた。メールをもらったらまず受領返信する。連絡とれなさそうなときは事前に言う。どれもぜんぶ死んだ女友達がふつうにやっていたことだった。こんな単純なことさえ、ぼくはできていなかった。

式の場でご家族とあった。泣いていた。学生の多くも泣いていた。ほんとうにつらいのはご家族だろ。泣くなよと思った。泣かないようにしている人たちもいたけれど、こらえきれていなかった。

ぼくは、泣けなかった。泣かないようにしていたのではなかった。ただ泣けなかったのだ。周りがなぜ泣いているのか、理解できなかった。ぼくは悲しみを感じていないのか。心が麻痺しているのか。冷たい人間なのか。わからなかった。悲しくないわけはない。でも悲しみとは言えない。悲しいって何なんだ。わからなかった。

 

目の前で彼女が笑っていた。白い菊の花と黒い額縁に囲まれて、着物姿の彼女が笑っていた。

ぼくは、ただ見つめた。