小学校の想い出②
2000年のある日、『ハリーポッターと賢者の石』を買ってもらった。
小学2年生だった。
それまで夜更かしをしたことはなかった。暗くなるまでサッカーや缶蹴りをしていたから、夜の6時には疲れ果てて、夕食を食べたらすぐ寝ていた。
その日だけは、違った。
「これ話題になってるの。面白いかもよ」
仕事から帰ってきた母親に、分厚いハードカバーを手渡された。遊んでクタクタの身体だけれど、疑いながら読んでみた。
止まらなかった。
「ご飯だから降りてきなさい」と言われても、返事さえしなかった。子ども部屋の戸を閉めて、一心にページをめくりつづけた。しびれを切らした母親が、「聞こえてるんだから返事しなさい!」とドンドン階段を駆け上がってくる。しかしぼくは、ずっと読み続けた。母親が部屋に入ってきて、ハリポタを取りあげる。
「あっ」
「ご飯だよって何度言ったらわかるの!」
「読んでたのに! 今のページに糸挟んでない」
「ご飯がさめちゃうでしょ」
「怒るんならなんで本を買ってきたんだよ。ご飯なんていらない」
「ご飯はみんなで食べるの。食べ終わったら返すから」
無理やり食卓に着かされて、無言でご飯を食べた。さっさと食べて、本のつづきを読みたかった。
「ごちそうさま」とぶっきらぼうに言った。本を取り返して、部屋に戻って読みふけった。お風呂にも入らなかった。普段寝る時間になっても、かまわず読んだ。母親が無理やり電気を消す。「もう寝る時間でしょ」ぼくはおとなしく従った。布団に入った。
しかし、それだけで終わらなかった。
布団をかぶって考えた。
部屋の電気を付けたら、光が漏れて母親に「起きてる」とバレてしまう。どうしたらハリポタのつづきを読めるのか……
小学2年生のぼくは、掛け布団をベッドから引きずりだして、勉強机を覆った。勉強机には蛍光灯が付いていて、そのなかだったら安全だと思った。
暗い部屋に作り上げた秘密基地みたいな場所で、背中を丸めてハリポタをめくった。
とにかく面白かった。
読みきったとき、何時だったのかわからない。「スゲー」って興奮しながら読みつづけて、最後の行を読み終わったときには、余韻にひたった。
当時ハリポタは二巻まで出ていた。
つぎの日の朝「お金をください」と両親に直訴した。お年玉は親が管理していて、手元にはなかったのだ。お札をポケットに入れて、放課後、友だちを遊ぶのすっぽかして隣駅の書店まで自転車を漕いだ。
児童書コーナーに平積みされた『ハリーポッターと秘密の部屋』を見つけた瞬間、買うことを忘れて、椅子に座って読み始めてしまった。ただただ面白かった。
気づいたら外は暗かった。
「怒られる」
と思って、急いで本を買った。つづきはどうなるんだろと想像しながら、自転車で帰った。
案の定、両親はカンカンだった。
――連れ去られたんじゃないかと心配した
――じいちゃん家に行ってないかと電話した。いまじいちゃんが探し回ってる
――お父さんも、仕事を切り上げて帰ってきて、いま探しに行ってる。
怒られながら、ぼくは「探してくれなんて頼んでないのに」とつぶやいた。怒りはヒートアップした。はやく本のつづきが読みたかった。帰ってきたんだからイイでしょと思った。
それでも目の前で大人が怒るのが怖くて、意思に反して涙が流れた。ゴーヤを噛みしめた気もちがした。
ビニール袋を取りあげられて、中身のハリポタを突きつけられた。
「反省してないから、明日までお預けね」
「返してよ! ぼくが買ってきたんだ」
「誰のお金だと思ってるの」
お年玉でもらったお金なんだから、ぼくのお金だ……必死で抵抗したけれど、「自分で稼いだお金じゃないでしょ」と受けいれられなかった。
まるでダーズリー家のハリーだと思った。
むっつりしたまま寝た。翌朝、「本を返してもらう約束だよ」と不機嫌なまま言った。反省してない、と怒られた。朝っぱらから親と喧嘩した。感情が昂って泣いた。結局、返してもらった。
うつむいてハリポタを読みながら、集団登校した。休み時間も読んだ。授業なんて聞かなかった。
そうやってハリポタを読み終えると、また1巻から読みなおした。友だちとは、めっきり遊ばなくなった。放課後はハリポタを読む時間だった。繰り返し読んだ。
親が心配しだして「たまには外で遊んだら」と言ってきた。
遊びに行ったふりをして、本屋で立ち読みしつづけた。泥がついてないのも変だから、帰りに公園で砂をかぶった。
これがもっとも古い読書体験である。