「あなたのことを、もっと知りたいよ」
あるひとに「自分のことを話さないよね」と言われた。
ぼくは静かに驚いて、目の前のひとを見つめた。反応できなかった。
そのひとはさみし気な表情をまとって、
「ふつうはね、」
と続けた。
「1日、どんな風に過ごしているのかとか、いま外にいるのか部屋にいるのかとか、話してるとなんかわかってくる、たいてい。
でも白くまはわかんない」
※
出会ってから2ヵ月、ぼくらはずっとラインをしていた。
遠距離だから文字のコミュニケーションが主になる。テレビ電話的なアプリがあると言っても、そうそう使えるものじゃない。
相手のことを知りたくても、自分から踏み込んでいくのは難しい。文字でニュアンスを伝えるにはコツがいるし、出会って間もない相手と、阿吽の呼吸みたいなものは望めないからだ。
だから、双方とも自分のことを話す必要があった。
相手のひとは、とても自然に自分のことをしゃべっていた。いま何をしているのか、何に悩んでいるのか、いままでどんな人生を歩んできたのか……さらけ出してくれた。
――わたしはこういうひとです。
もちろん、言葉に隠れて、こういうふうに問うていた。
――あなたはどういうひとなの?
その問いかけに気づいていながら、見て見ぬふりをした。
自分のことをしゃべってこなかったのだ。
※
息を吸って、観念したように話しだした。
――自分のことなんて、しゃべっても意味がないと思ってる
――だって、つまらないでしょ
――自分の話をするより、誰かの話をしたい。誰かの話を聞ききたい
目の前のひとは、先をうながすように、ぼくのことをただ見つめていた。
沈黙が流れた。耐えきれず目をそらした。
「わたしは」
ゆっくりと、そのひとは口にした。
「あなたのことを、もっと知りたいよ」
※
返答を考えるよりも先に、なぜか涙が出てきた。止めようと思っても、後から後からにじみ出てきた。自分の身体が自分のものじゃないような感覚だった。
目元を手でぬぐいながら、うつむいたまま話した。
「ありがとう。そうなんじゃないかな、と気づいていた。じゃないと、こんなに毎日しゃべらないよね。
でも、そう言ってもらわないと怖くて。自分のことを受けいれてもらってるのか不安で。変なことをしゃべった瞬間に縁が切れるんじゃないかと、臆病になってた。意味のないことをしゃべって、呆れられるのが怖い。
だから、自分のことをしゃべるのが苦手なんだ。嫌われるのが怖くて。
気づいてると思うけど、ラインで話しかけるのは、いつもあなただよね。ぼくは絶対に話しかけない。だって、反応してもらえるかわからなくて怖いから」
一気にしゃべった。ほとんど嗚咽のような声だった。ところどころでえずき、そのたびに話は立ち止まった。
そのひとは、聞きにくい話なのに、なんでもないことのように聞いてくれた。
話し終えたあとの沈黙が、心地よかった。
※
「あのさ、こんどから、話しかけてもいいかな。なんでもないことで、ラインしてもいいかな」
泣きはらした目を隠さずに、そのひとを見ながら話した。
「答えはわかってるんじゃない?」
「ごめん、また怖かったんだ……いいんだ、よね」
そのひとは、まったく仕方ないなぁという表情で、
「いいに決まってるじゃん」
と言った。「どんどんしゃべっていいんだよ。だって、わたしもそうしてるでしょ」
「きみのこともしゃべってくれないと、不安になるんだよ。自分だけが怖いと思ってるのかもしれないけど、わたしも、怖いんだよ。もっとしゃべってよ」
茫然としながら、言葉を聴いた。
ぼくだけじゃないのか……ずっとラインで話しているつもりだったけど、会話していなかったんだ。ぼくは自分とだけ会話していた。
自分はなんて子供だったのだろうと痛感した。自分のことしか考えていない大バカ者だった。
「じゃあさ、ちょっといいかな。実はね……」
ふっきれたように自分のことをしゃべった。なんでもない話を、なんでもないように。こわばっていた緊張がほぐれていった。
世界はこんなにも、やさしかった。