白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

題名未定(1)

その男の剣は、周りの誰よりも重みをともなっていた。

ひと振りするたびに、空間がきしんだ。刀の速度に遅れて緊張がやってくる。力の余韻とともに、刀は静止する。静止したさまにも迫力があった。

彼が刀をおさめる所作も、なめらかだった。流れるような動きに、周囲への警戒は怠っていないことが目線から見てとれた。目線を正面下方に向けていた。焦点をあててはいるけれど、周辺視野で全体を見ている。

彼の見ているものは敵だった。

演武場で型の演武をしているだけなのに、常に目の前に敵がいる。敵を目の前にした緊張感だった。しかも緊張しているだけではなく、力がゆらりと揺れていて、どこかゆるい。いい具合に力が抜けていた。

川谷は、そのさまに打ち抜かれた。

いつのまにか演武は終わっていて、男が刀を地面に置き礼をするのを眺めた。ただ茫然とするしかなかった。固まっていた身体に気づく。肩の力を抜いて息を吐いた。

――ぼくがやっていた剣道とはなんなのだろうかと思った。男の居合に比べれば、子どものチャンバラではなかったか。面を被った敵はいるけれど、それを斬っていたか?

思わず自問する。

答えは出ない。

川谷は踵を返して、八幡宮をあとにしようとした。しかし足は思うように動かなかった。心がそれを拒否していた。

いまこの男に声をかけるべきだと直感した。

川谷は、演武後の彼に駆けよって、

「あの」

と声をかけた。

男は、ん? という表情をして川谷に続きを促した。

「目の前に敵が見えました」川谷は言った。

「ああ、そうだよ。敵がいての居合だからね」

男はなんでもないことのように言った。

「でも、ほかの人には感じられませんでした。あなたにだけ見えました」

男はすこし驚いたように、

「目がいいんだね」

と言った。顔がすこし、ほころんでいた。

「こんど居合に来てみないか?」

男は言った。

川谷は、びくりと身体を反応させ、う、うん……と声にならない声を出した。どうしたいのか、外側からは看てとれない。

男は懐から紙を取りだし、さらさらと毛筆で何か書いた。「決心がついたら、ここに電話してくれ」

その眼は、『きみは電話するよ』とでも言わんばかりだった。

言われるままに、川谷は紙を受け取った。

「じゃあ、今日は終わりだ。着替えないといけないんでね」

川谷はありがとうございますと言って、礼をした。

こんどこそ踵を返して、八幡宮をあとにした。電話番号の書かれた紙を握りしめて。

 

この出会いこそ、川谷の人生が変わった瞬間である。(つづく、予定)