しゃがみこむと見えてくるもの。
京都の街を歩くとき、しゃがみこむようにしている。
視点を変えると見えるものが変わってくる。
歩いているときには見えなかったものが、視点をぐーっと下げたときには、大きな存在感とともに目に入ってくる。動きながら高い視点から見下ろすのと、とまって低い視点から眺めるのとでは、世界はまるっきり違って見えるのだ。
いつもと違う世界を、パシャッと切り取ってみる。
敷きつめられた砂利のなかに、たったひとりで立つキノコがあった。
周りのひとたちは豪華な本殿に向かって足を急いでいる。友人や家族や恋人と「この前ねー」とか話しながら、誰も足元のキノコに目を向けようとしない。視線の先は周りの景色をぼおっと見るか、話し相手の顔を見るかのどちらかである。
誰も「あれ見て。あんなところにキノコがある」なんて言わない。
それでも、力強い幹でしっかり立っている。
ひとりでぷらぷら歩いて、ときおりしゃがみ込むから見つけられたんだと思う。
京都は苔の宝庫で、雨の日の苔はすばらしい。
いまは待ちに待った梅雨だ。レインスーツを被ってお寺巡りに行くのが楽しい。
これはハイゴケと言う。全国どこでも見られるけれど、京都のお寺で見ると一味違う気がする。キクラゲっぽい黒いヤツは、正体不明。クニュクニュした食感がおいしそうで、つい写真にとる。
下をハイゴケが覆って、上からスギゴケがかぶさっている。
スギゴケはしっかり管理しないと広がらない。お寺が苔に懸ける想いが伝わってくる。スギゴケがこんもり繁っている庭は、ちゃんと庭師が入っている庭である。
見てのとおり、立体感がすばらしい。雨が降ったあとだと、とんがった一枚一枚が広がっているのだけれど、晴れが続くと葉っぱが閉じてしまう。しかも緑色ではなくて、黒ずんだ茶色に変わってしまう。ちょっとお得感がある。
おお、またキノコです。
日常のなかに非日常を作りだすのは、こんなにも簡単だ。
しゃがみ込むと見えてくるもの。