白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

生で聴いた桂歌丸――慶應三田演説館

ゼミの先輩が神田松之丞の講談を生で聴いたらしい。

彼の講談は、ぐいっと世界に引きこんでいく手腕がすばらしい。いつのまにか彼の世界に入りこんで、そのまま終わりまでもっていかれる。

松之丞はお客とのコミュニケーションが上手で、空気感を捉えながら話をつないでいくから、生で聴くのと録音で聴くのとではまったく風景が違う。

生で聴きたい講談師のひとりである。

 

そう言えば、と思いだした。

慶應にいたころ、三田演説館で桂歌丸の落語を聴いたことがある。

2016年の12月だ。

歌丸笑点から退いてちょうど半年。入退院を繰り返して、そのあいまに慶應で落語会を開いてくれた。「生の歌丸を聴けるのは最後だな」と思って、寒空の下、長い列に並んだ。

 

演説館は満員も満員だった。隣の人と肘が触れあうくらいに敷きつめられた座席だけではなく、周り三面にずらっと立ち見が並んだ。それでも、ぜんぜん入りきらなかった。

歌丸が出てきて、舞台袖から上がってくる。すこしの段差を登るのも介助が必要で、腕は骸骨のように細くて、痛々しかった。それでも高座に上がると、ひとりで歩いて、ひとりで座布団に座る。落語家の矜持だった。

お辞儀をして、深く息を吸って話し出してからは、歌丸の円熟の世界が広がった。

肺炎に苦しんでいたとは思えないほど、くっきりと通る声だった。歌丸さんが中学生で落語家になる決意をした話から始まって、笑点の話に移っていて、英語の問題への珍解答を紹介しながら、学問と絡めて慶應への挨拶を済ませる。そして、いつのまにか鍋草履の話に変わっていて、「何を忘れたんですか」「鍋ん中に草履を片っぽ忘れたんだ」で終わる。ひとつひとつの話で何度も笑わされて、会場はゲラゲラ笑う声で満ちていた。そうして歌丸は深々とお辞儀をしたあと、ひとりで立って袖まで歩いて消えていった。

 

話と話の接続がなめらかだったことに驚いた。天才的だと思った。道端で会って、気軽に「わたしってこういうもんです」「笑点とかやってきました」「慶應っていいところですねぇ」と世間話をしていたと思ったら、いつのまにか鍋草履に突入している。噺に入ったことにまったく気づかなかった。(あれ、場面が違うぞ)と気づいたときには鍋草履の導入を終えていた。

「さて、ここから鍋草履に入りますよ」と言うのは簡単だけれど、お客に悟らせないうちに、なんでもないことのように鍋草履に入るのは、なかなかできることではない。(うぉ、やられた)と思う間もなく、トントンと話は進んで、話にのめりこんだまま、最高のオチに収まる。

すっげー、さすが歌丸だと思いながら、拍手していた。めちゃくちゃ面白かった。

 ※

 

身体の調子がかなり悪いようで、たぶん頭も動いていなかったし、呼吸も精一杯だった。ところどころ言い間違えたり、息継ぎしたりしていた。言い間違えるたびに、頭をブルンブルン振っていた。「こんなんじゃいけません」と自分に喝をいれているようだった。

しかしぼくからしてみると、そういった間を含めて、歌丸の円熟した話芸だった。身体の不調からくる間が、まったく嫌じゃない。まして話のつなぎかたは天才的だ。満足以上である。

それでも歌丸さんからすると、完璧な演技ではなかった。高座に上がった以上、自分の都合ではなくて、お客のために演技を完遂すべきと思う人である。言い間違えて一番悔しかったのは歌丸さんだった。思いどおりにならない身体を抱えて、それでもお客が呼んでくれるから精一杯の準備をして、なのにやっぱり身体が思うようにいかない。

こんなふうに内心を推察されるのさえ嫌だろう。落語家は芸で勝負するんだ。人間で勝負するんじゃない。まして未熟な芸をしているのに、その内側を酌量されるのは、侮辱だと思うに違いない。

 

けどねぇ。

歌丸さんは、この慶應での落語会の5日後に、また入院したのです。ボロボロの身体で最高の演技をして、お客のひとりにこういう感想を書かせるくらいだから、誰も責めないよ。歌丸という芸名ではなく、歌丸さんと呼ぶときくらい、心情を酌ませてもらいます。

生で聴けて、よかったなぁ。

ありがとうございました。