白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

佐渡島さんとのこと

ぼくが佐渡島さんと出会ったのは、2016年11月のNHK「プロフェッショナル」だった。

その日の番組は、10代vsプロフェッショナルと題した特別編だった。そのひとつの企画に、天才編集者と称して佐渡島さんが出てきた。

番組のサイトは残っているけど、映像は残っていないhttp://www.nhk.or.jp/professional/18/movies3.html

しかし、脳内に佐渡島さんの映像が焼き付いている。その日からずっと、ぼくは佐渡島さんと一緒にいた。

 

大きくて派手な眼鏡。

椅子に背を預けてだらっとした姿勢。

「プロフェッショナル」冒頭の佐渡島さんである。

第一印象は、けっしてよいものとは言えない。ぼくの思い描く編集者は、もっと地味で誠実そうなイメージだった。真逆の存在に見えたのだ。

しかし、佐渡島さんが10代参加者の原稿に向かった瞬間、「アレ、なんか違うぞ」と直観した。一瞬で集中して、周囲の空気が引き締まった。プロにしか出せない緊張感である。

佐渡島さんは、原稿にバババッと目を通して、それをトンと机において、手を頬に添えて、相手の目を見ながらひと言だけ告げた。

 

「つまんない。これのどこに君がいるの?」

 

冷たくてはっきりした声。

女の子は、固まってしまう。

そりゃそうだ。10代で、はじめて編集者に会うのだ。自分の分身を見せて、ドキドキしながら(褒めてくれるかもしれない)と思っている。どんなふうに評価してくれるのかなと緊張していたら、いきなり「つまんない」と言われる。

一気に被告人席に立たされた気分になるだろう。問いかけではなくて、死刑宣告に聞こえる。情状酌量の余地さえない。(私の原稿、そんなにつまらないの……)と落ち込む。

ほんのちょっぴりだけ、かわいそうに思った。

 

しかし、ほんとのことを言うと、ぼくはヒリヒリとした快感に包まれた。

「やっべぇ。このひとはホンモノだ」と直観した。心が躍った。

経験上、頭のいいひとは短文で会話する。グダグダしゃべるのではなくて、本質だけをズバッとしゃべる。脳の回路がとてもシンプルなのだ。シンプルだから、たくさんの情報を処理できるし、説明する能力も高い。頭のいいひととは、考えるべきことを考えて、考える必要のないことは考えないという見極めのできるひとのことである。

「ホンモノだ」という直観を裏付けるように、ほかの参加者の作品も一刀両断していく。「何を描きたいのか、わかんない」「で、ここの感情は何?」「そう思ってるのに、なんでそのまま描かないの」「このレベルじゃデビューできないね」「ほんとはそうじゃないでしょ。考えてないよ」

ぼくだったら、泣きだすかもしれない。鋭利な言葉が次々と突き刺さってくる。「ごめんなさい。許してください」と言って逃げ出したくなる。

けれど、そのうちに気づくのだ。「このひとは、素人同然の相手を作家として扱っている。対等な関係だ」。作家として扱うから、ほんとうに思ったことを伝えている。子どもだからと、ぞんざいに甘く接するのではなくて、1対1の対等な人間として本気で接している。だからこその直球な言葉だ。

これが佐渡島さんか。

 ※

 

思春期の少年少女に一番足りなかったのは、心をひらく作業だった。

「恥ずかしい」「嫌われたら嫌だな」「こう描いちゃいけないのでは」。そう思った瞬間に、表現は表現でなくなり、自己満足に堕してしまう。もちろん技術的な未熟はあっただろうけど、佐渡島さんは心の問題を指摘しつづけた。

 

「自分が恥ずかしいと思って守ってるものって、ほとんど、恥ずかしくも何ともないよ」

「自分が、恥ずかしいと思ってるだけ。自分で自分を守ってるだけ」

「心の中でさ、制限かけてちゃだめだよ」

「自分の心をさらけ出すのやめてたら、面白いもんかけないよ」

「俺が引くような話してほしいな」

 

感動の波が押し寄せてきた。

なんという指導をしているんだ、このひとは、と思った。創作において、さらけだすことの重要性を滔々と語っている。感情を表出するだけではなくて、表現の域に高めたいなら、ぜんぶ出しきって傷ついてボロボロにならないと無理だよ、と言っていた。

 

「内臓をひっくり返すくらい自分をさらすのがソロだろ。君はソロができないのか」(『Blue Giant』)

 

表現以前の問題としてステージが違う。もう2段階くらい上がってこないと、土俵にすら立てないよ。それだけを告げていた。そして、毎日ひとつ作品を作ることを課した。作るたびに見せにこいと。毎日作品を作れた人はいないようだったが、なんとか10代の子たちは喰いつこうとした。

10代vs佐渡島さんの企画が終わる最終日、女の子が作品を提出した。初日に「つまんない」と言われた子だった。

佐渡島さんは作品をじっくり読んで、頬に手を当てながら、ひと言だけ言った。

「普通だね」

女の子は顔をほころばせた。作家と編集者の対決だった。

 

「プロフェッショナル」を見おえた瞬間に、身体にビリビリ電流が走った。ホンモノの編集者ってこういう対話をするのかと感動した。佐渡島さんの方向性に、ぼくの未来はあると思った。

佐渡島さんを脳内編集者にしてしまえ。彼に「面白い」と言わせれば大丈夫だ。

映像を5回くらい見て、ぼくの内面に佐渡島さんを作り上げた。とりあえず毎日何か書こうとブログを始めた。

何か書くたびに「つまり、何が言いたいの」「さらけだせよ」「つまんない」「誰に向けて書いてるわけ」「で、これのどこに君がいるの」と白いメガネの佐渡島さんが言ってきた。妥協をまったく許してくれない。

もうボロボロだった。

なんでこんなつらいことやってんだ。才能なんてないじゃん。くっそ、やめてやると何度も思った。毎日書くはずだったのが、だんだん完成させられなくなって、題材も見つからなくなって、無理に書かなくてもいいかな。週末にまとめて書こう。だんだん書かない日のほうが多くなった。

それでも書かないでいると、ふつふつと書きたい欲が増してきて、いつのまにかパソコンを開いている。そうしてブログを再開する。

 

前回のコルクラボの記事を、佐渡島さんが「面白いし、的確」と表現してくれた。

心が震えた。

よっしゃと思った。

内心でずっとダメだしされ続けて、何度もやめてやると思ったけれど、本物の佐渡島さんが「面白い」と言ってくれた。佐渡島さんに「面白い」と言わせた! 20代前半で佐渡島さんに「面白い」と言わせたひと、めったにいないのでは!?

めちゃくちゃ嬉しかった。何でもできる気がした。

 

ぼくはずっと、佐渡島さんに「面白い」と言ってほしかったのだ。「プロフェッショナル」を見たときから、それだけを求めていた。

ずっと好きだったからリプするのも恥ずかしい。想いが積もって重すぎるリプになってしまって、なんかもうリプできなくて、仕方がないからブログに書いて、心のなかで「ありがとー」と叫んでいる。片想いしてる少女の気もちがよくわかる。好きな相手にさらけだせないよね……

 

生の佐渡島さんに会うのは、ぼくが作家として出会うときだ。

こんどは紹介記事ではなくて、ぼくの作品で「面白い」と言わせたい。

 

 

(付け足し)

そんなこんなで、ぼくと佐渡島さんの話でした。

コルクラボのみなさん、ぼくも勝手にコルクラボにいるつもりなので、生暖かい眼で見守ってください。

次回からは通常営業に戻るので、コルク中心の話はおしまいです。興奮して眠れなかった……