大阪地震――手をつないで帰る親子
ゴロゴロゴロと揺れた。
何が起きたのかわからなくて、ぼんやりと目を覚ましながら、ああ地震かと気づく。
そしてグラグラッ、ドンッと身体が浮いた。
あっ、やばいなこれ。体験したことのない揺れだ。
寝ぼけていたから何も動けない。自作の本棚が倒れるのを覚悟した。倒れてこない。よかった。窓を開けて外を確認する。電信柱のあいだに垂れる電線が大きく揺れていた。スマホの電源を入れて、NHKをつける。
京都府南部は震度5強の揺れである。地震で目がさめたのは、初めてだった。
※
――津波の心配はありません。
――官邸対策室が設置されました。
――鉄道は全線で運転を見合わせています。再開の目途は立っていません。
――上空からの映像です……高槻で火災が発生しています
――道路が陥没して、水が噴きだしています。周囲は水浸しです。
次々入ってくる情報とともに、ときどき建物からミシミシと音がする。体感できない余震が続いていた。当初5.7だったマグニチュードは5.9に修正されて、のち6.1で確定した。
震源は大阪府高槻・枚方付近の地下10km。京都市から30kmしか離れていない。直下型の地震だった。「突き上げられるような」という形容詞の意味を初めて知った。身体を衝撃が貫いて、浮いたような感覚がある。
震源地では、こんなもんじゃないな……東日本大震災、熊本震災を物心ついてから見てきたから、なんとなくわかる。いまは情報が少ないだけで死者も出ているはずだ。
※
外に出ると、近所の小学校から帰ってくる親子に何組も出会った。親子は手をつないで家に向かっている。
子どもはウキウキした表情だったけれど、親はどことなく思いつめた表情である。
なぜだろうか、と何気なく疑問に感じる。
少し考えて、気づいた。
近畿圏は1995年に阪神淡路大震災を経験している。兵庫県を中心に死者6000名を超える災害となった。高速道路が横倒しになった写真は、誰もが見たことがある。
親の年代の人たちは、あの震災を生身で感じたのだ。
小学生を子どもにもつ35-45歳前後の親は、23年前は10代から20代前半だった。多感な時期に震災の日々を過ごしたのだ。避難所暮らしをした人も多いだろう。親戚や近所のひとがなくなった人も多いだろう。もしかすると、親もなくしているかもしれない。とにかく、近畿圏に住んでいる人の多くが大震災を生身で感じた。
近畿圏にはそんな親がたくさんいて、それぞれ想いを抱えながら家庭を築いている。子どもは無邪気に「けっこう揺れた! 学校休み!? やたっ!」と思うけれど、親世代にとってみれば昔を思いだしてしまうし、震源地のひとに思いを馳せてしまうし、だからこそ一層家族を大事に感じる。子どもとつなぐ手に力が入るだろう。
「お母さん/お父さんは、ほかのどんなことより、○○のことが大好きだよ」
近畿の人にとって、今日はそういう日かもしれない。