お願いを断ったことがないという闇
このブログで、1年以上前に書いた「コルクラボ」に入った。2020年5月からで、期間は1年ほどを見込んでいる。
そのなかで、ひとつ問いかけられた。考えこんでしまったので、ログをここに残そうと思う。
その問いかけは、「OKするつもりがなかったのに、お願いされてついOKしちゃった経験はある? その一言といっしょに教えてほしい」というものだった。
答えようとして記憶をたぐってみても、どうやらぼくには、お願いされたことを「断ろうとする」経験がない。
つまり「最初はNegativeだったのに、ついOKする」という経験がない。
これはけっこう衝撃で、ほかのひとは、次々とお題に答えている。なるほどと納得するものもある。それなのに、なぜぼくは、この問いに答えられないのだろうかと考え込んでしまった。
ぼくは、お願いされたら、受け入れている。相手自身やその状況にかかわらず、OKしている。
歪んでいると感じた。独立した人間なら、いやなことはいやなはずで、自然に断る案件もあるはずだ。それがないということは、どういうことなのか。
断った記憶を探ってみても、「記者をしていたとき、取材してほしいと言われるのを断る」くらいしかない。
個人的に頼まれ、それを断ったことがない。
じゃあ、ぼくはOKするとき、何を考えているのか。おそらく、相手が大変だからとか、誰かが困っているからとか、そういうのは、まったく関係がない。
そして気づいた。相手が頼んでくれるという関係性がうれしくて、相手に嫌われたくないから、OKしている。徹頭徹尾、自分のことしか考えていない。
そりゃあ、嫌われたくなければ、OKすると思う。
この問いは、つぎの問題をはらんでいる。なぜぼくは、他人から嫌われることをそんなに恐れるのか、という問いだ。これについては、別の投稿をするつもり。
ぼくは記者をやめて、つぎはtoBのエンジニアになる。このブログは、ちょうどよい匿名性があるので、再開する。
見取り稽古の分解能を細かくする――見るということ
グループで居合を教わっているとき、教わっているAさんから
「きみは、ぼく好みの居合をするから……ちょっといいかな」
と声をかけてもらって、5分くらい個人指導を受けた。
Aさんは、居合というアートを探求している人である。教士の段位をもっているし(七段と八段のあいだ)、しかしそれ以上に、周りとは違うレベルの居合をする人だった。見ているものが違うのだ。
当然ぼくも、Aさんを見取りながら稽古をしている。
だから「ぼく好みの居合をする」と言われて、すごく嬉しかった。
――ああ、Aさんもわかってくれるんだ
※
そういう人たちの指摘は、簡潔に的を射たものであることが多い。表面ではなくて、中身の問題を言うからだ。
今回も、端的だった。
「抜き打ちのとき、ひじが伸びてる。ひじが伸びていると、抜いた瞬間に刃先に力を込められない」
「このくらいの余裕が必要なのね。その調整は鞘手で行う」
そう言いながらAさんはやってみせる。ぼくは目を見開いて、動作を分解しながら見た。「ひじ」という要素まで分解したことがなかった。だから、見取り稽古では学べなかったのだ。見取り稽古では、分解能からこぼれ落ちる事項は学び取れない。反省しながら、ひじを含めて動き全体を見た。
右手のひじを軽く緩めた状態で、刀が鞘からほぼ出ている。鞘尻を上げながら、引いている。柄は若干右寄りでいい。標準の形を、自分にあわせているのか。両肩の状態は……どのくらい体を正面に対して傾けるか……ぼくとの差は、刀の長さではないか……
見るべき場所はたくさんあるし、「何を見ているか」こそが稽古ごとの本質でもある。だから若干ぼかします。
見たあとは、自分でやってみる。
最初は適当に、ひじをゆるめて抜き打つだけ。
――おお
と思った。自然と顔がほころぶ。
言われてたけど実践できなかったことが、一気にできるようになった。抜いた瞬間に刀を握りこむこと、横一文字に力を乗せること。手の裡の課題が、ひじを改善することで一気に解決したのだ。
手の裡の変化は、すべてに影響する。ぼくの抜き打ちに、しっかりと力が乗った。刀を制御できている。このイメージは、日本一をとった人の抜き打ちをほとんど同じだ。
――何となく違うなと思っていたのは、これだったか!
ぼくは確かな指針を得た。
この感覚を得たまま、抜き打つ動作を再構築していく。
どのくらい鞘を引けばいいか、上下左右どこを意識するか、手の裡はほんとにここでいいか、数ミリ奥にしたほうがいいんじゃないか……
ずっとひじを伸ばしてきたから違和感がある。ゴワゴワした感じを上書きするために、ちょうどいい場所を探っていく。
「こういうことですか」
と聞いた。
そのひとは
「うん、とてもよくなった」
と言ってくれた。
ありがとうございます、と頭を下げた。
※
今日の居合には、ゲストで偉い人が来ていた。
その人は全国大会に出場する人を教えていたから、直接ぼくの指導をすることはなかった。しかし、稽古終わりに刀礼をしていると、
「初段って言ってたよね。きみは居合以外に何かやってた?」
と聞いてきた。
「合気道をやってました」
ぼくが答えると、
「正座の姿勢がよくてね、さまになってた」
と言った。
だからねぇ、見る人が見ると、わかるんですよ。判断するのは、ほんの一瞬でいい。あるレベルに到達しているか、もしくは到達しようともがいているか。すぐわかるんだ。
その人が何をやっているかというのは、本当にすぐわかる。
残酷なことにね。
「あなたのことを、もっと知りたいよ」
あるひとに「自分のことを話さないよね」と言われた。
ぼくは静かに驚いて、目の前のひとを見つめた。反応できなかった。
そのひとはさみし気な表情をまとって、
「ふつうはね、」
と続けた。
「1日、どんな風に過ごしているのかとか、いま外にいるのか部屋にいるのかとか、話してるとなんかわかってくる、たいてい。
でも白くまはわかんない」
※
出会ってから2ヵ月、ぼくらはずっとラインをしていた。
遠距離だから文字のコミュニケーションが主になる。テレビ電話的なアプリがあると言っても、そうそう使えるものじゃない。
相手のことを知りたくても、自分から踏み込んでいくのは難しい。文字でニュアンスを伝えるにはコツがいるし、出会って間もない相手と、阿吽の呼吸みたいなものは望めないからだ。
だから、双方とも自分のことを話す必要があった。
相手のひとは、とても自然に自分のことをしゃべっていた。いま何をしているのか、何に悩んでいるのか、いままでどんな人生を歩んできたのか……さらけ出してくれた。
――わたしはこういうひとです。
もちろん、言葉に隠れて、こういうふうに問うていた。
――あなたはどういうひとなの?
その問いかけに気づいていながら、見て見ぬふりをした。
自分のことをしゃべってこなかったのだ。
※
息を吸って、観念したように話しだした。
――自分のことなんて、しゃべっても意味がないと思ってる
――だって、つまらないでしょ
――自分の話をするより、誰かの話をしたい。誰かの話を聞ききたい
目の前のひとは、先をうながすように、ぼくのことをただ見つめていた。
沈黙が流れた。耐えきれず目をそらした。
「わたしは」
ゆっくりと、そのひとは口にした。
「あなたのことを、もっと知りたいよ」
※
返答を考えるよりも先に、なぜか涙が出てきた。止めようと思っても、後から後からにじみ出てきた。自分の身体が自分のものじゃないような感覚だった。
目元を手でぬぐいながら、うつむいたまま話した。
「ありがとう。そうなんじゃないかな、と気づいていた。じゃないと、こんなに毎日しゃべらないよね。
でも、そう言ってもらわないと怖くて。自分のことを受けいれてもらってるのか不安で。変なことをしゃべった瞬間に縁が切れるんじゃないかと、臆病になってた。意味のないことをしゃべって、呆れられるのが怖い。
だから、自分のことをしゃべるのが苦手なんだ。嫌われるのが怖くて。
気づいてると思うけど、ラインで話しかけるのは、いつもあなただよね。ぼくは絶対に話しかけない。だって、反応してもらえるかわからなくて怖いから」
一気にしゃべった。ほとんど嗚咽のような声だった。ところどころでえずき、そのたびに話は立ち止まった。
そのひとは、聞きにくい話なのに、なんでもないことのように聞いてくれた。
話し終えたあとの沈黙が、心地よかった。
※
「あのさ、こんどから、話しかけてもいいかな。なんでもないことで、ラインしてもいいかな」
泣きはらした目を隠さずに、そのひとを見ながら話した。
「答えはわかってるんじゃない?」
「ごめん、また怖かったんだ……いいんだ、よね」
そのひとは、まったく仕方ないなぁという表情で、
「いいに決まってるじゃん」
と言った。「どんどんしゃべっていいんだよ。だって、わたしもそうしてるでしょ」
「きみのこともしゃべってくれないと、不安になるんだよ。自分だけが怖いと思ってるのかもしれないけど、わたしも、怖いんだよ。もっとしゃべってよ」
茫然としながら、言葉を聴いた。
ぼくだけじゃないのか……ずっとラインで話しているつもりだったけど、会話していなかったんだ。ぼくは自分とだけ会話していた。
自分はなんて子供だったのだろうと痛感した。自分のことしか考えていない大バカ者だった。
「じゃあさ、ちょっといいかな。実はね……」
ふっきれたように自分のことをしゃべった。なんでもない話を、なんでもないように。こわばっていた緊張がほぐれていった。
世界はこんなにも、やさしかった。
小学校の想い出②
2000年のある日、『ハリーポッターと賢者の石』を買ってもらった。
小学2年生だった。
それまで夜更かしをしたことはなかった。暗くなるまでサッカーや缶蹴りをしていたから、夜の6時には疲れ果てて、夕食を食べたらすぐ寝ていた。
その日だけは、違った。
「これ話題になってるの。面白いかもよ」
仕事から帰ってきた母親に、分厚いハードカバーを手渡された。遊んでクタクタの身体だけれど、疑いながら読んでみた。
止まらなかった。
「ご飯だから降りてきなさい」と言われても、返事さえしなかった。子ども部屋の戸を閉めて、一心にページをめくりつづけた。しびれを切らした母親が、「聞こえてるんだから返事しなさい!」とドンドン階段を駆け上がってくる。しかしぼくは、ずっと読み続けた。母親が部屋に入ってきて、ハリポタを取りあげる。
「あっ」
「ご飯だよって何度言ったらわかるの!」
「読んでたのに! 今のページに糸挟んでない」
「ご飯がさめちゃうでしょ」
「怒るんならなんで本を買ってきたんだよ。ご飯なんていらない」
「ご飯はみんなで食べるの。食べ終わったら返すから」
無理やり食卓に着かされて、無言でご飯を食べた。さっさと食べて、本のつづきを読みたかった。
「ごちそうさま」とぶっきらぼうに言った。本を取り返して、部屋に戻って読みふけった。お風呂にも入らなかった。普段寝る時間になっても、かまわず読んだ。母親が無理やり電気を消す。「もう寝る時間でしょ」ぼくはおとなしく従った。布団に入った。
しかし、それだけで終わらなかった。
布団をかぶって考えた。
部屋の電気を付けたら、光が漏れて母親に「起きてる」とバレてしまう。どうしたらハリポタのつづきを読めるのか……
小学2年生のぼくは、掛け布団をベッドから引きずりだして、勉強机を覆った。勉強机には蛍光灯が付いていて、そのなかだったら安全だと思った。
暗い部屋に作り上げた秘密基地みたいな場所で、背中を丸めてハリポタをめくった。
とにかく面白かった。
読みきったとき、何時だったのかわからない。「スゲー」って興奮しながら読みつづけて、最後の行を読み終わったときには、余韻にひたった。
当時ハリポタは二巻まで出ていた。
つぎの日の朝「お金をください」と両親に直訴した。お年玉は親が管理していて、手元にはなかったのだ。お札をポケットに入れて、放課後、友だちを遊ぶのすっぽかして隣駅の書店まで自転車を漕いだ。
児童書コーナーに平積みされた『ハリーポッターと秘密の部屋』を見つけた瞬間、買うことを忘れて、椅子に座って読み始めてしまった。ただただ面白かった。
気づいたら外は暗かった。
「怒られる」
と思って、急いで本を買った。つづきはどうなるんだろと想像しながら、自転車で帰った。
案の定、両親はカンカンだった。
――連れ去られたんじゃないかと心配した
――じいちゃん家に行ってないかと電話した。いまじいちゃんが探し回ってる
――お父さんも、仕事を切り上げて帰ってきて、いま探しに行ってる。
怒られながら、ぼくは「探してくれなんて頼んでないのに」とつぶやいた。怒りはヒートアップした。はやく本のつづきが読みたかった。帰ってきたんだからイイでしょと思った。
それでも目の前で大人が怒るのが怖くて、意思に反して涙が流れた。ゴーヤを噛みしめた気もちがした。
ビニール袋を取りあげられて、中身のハリポタを突きつけられた。
「反省してないから、明日までお預けね」
「返してよ! ぼくが買ってきたんだ」
「誰のお金だと思ってるの」
お年玉でもらったお金なんだから、ぼくのお金だ……必死で抵抗したけれど、「自分で稼いだお金じゃないでしょ」と受けいれられなかった。
まるでダーズリー家のハリーだと思った。
むっつりしたまま寝た。翌朝、「本を返してもらう約束だよ」と不機嫌なまま言った。反省してない、と怒られた。朝っぱらから親と喧嘩した。感情が昂って泣いた。結局、返してもらった。
うつむいてハリポタを読みながら、集団登校した。休み時間も読んだ。授業なんて聞かなかった。
そうやってハリポタを読み終えると、また1巻から読みなおした。友だちとは、めっきり遊ばなくなった。放課後はハリポタを読む時間だった。繰り返し読んだ。
親が心配しだして「たまには外で遊んだら」と言ってきた。
遊びに行ったふりをして、本屋で立ち読みしつづけた。泥がついてないのも変だから、帰りに公園で砂をかぶった。
これがもっとも古い読書体験である。