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白くま生態観察記

こんど上洛する白いくまもん。生態日記。

映画『素晴らしき哉、人生!』

映画

フランク・キャプラ監督『素晴らしき哉、人生!1946年。

 

いままでで、もっとも感動した作品である。

どうしようもなく、ラストで泣きつづけた。映画でこんなに泣いたのは、はじめてだった。

事実、アメリカ映画協会の感動した映画でトップに選ばれている。理想像がありながら、ままならない現実に耐えて生きている人間を、まるごと受けとめてくれる。ラストでは、幸せに包まれること請け合いである。

人間が、すこし良くなる。

 

【感想】

町を出て大きなことをしたい。いまのままじゃダメだ。こんなんじゃダメだと自分に言いつづけてきた主人公。

自分では気づかないうちに、周りに大きな影響を与えて、幸せにしてきた。

生まれてこなきゃよかったんだ……そう思うほどの絶望に接し、助け(さらなる絶望)が与えられる。

主人公はどん底で気づく。自分を責めていたのは、見当違いの話だった。大きなことをしたいという夢は物質的なものではない。精神的に周りの人を幸せにしてきた。自分もほんとうは幸せだったじゃないか。

 

ありえないほどの感動である。主人公の表向きの夢が、挫折し挫折し絶望する。最後の最後でほんとうの望みに気づく。すでに主人公は普段の行動で成し遂げていたのだ。

過去は変わらないけれど、ラストで主人公は過去を再解釈する。自分はこんなにも満ち足りていた。

こころの動きが完璧なまでに描かれている。

導入や途中のエピソードで、多少冗長に感じるかもしれない。その場合は、遠慮なく1.5倍速でいい。最後の最後で、普通の速度に戻そう。

この物語を見ないのは、人生の損だ。

 

【あらすじ・流れ】

導入:主人公ジョージの紹介部分はとても長い。

ジョージはこころ優しく、他人のために自分を投げ出すことのできる人間だった。弟を救うために凍るような水に飛び込み、片耳の聴覚を失う。知り合いのおじいさんの処方箋の間違いを指摘して、おじいさんと患者を救う。

そんなジョージを見ていた天使がいた。

ジョージには夢があった。住宅金融を営む父親のように、小さな町で一生を終えるのではなく、この街を出て、世界を股にかけて活躍したい。

 

 

物語は、父親が死ぬところから動き出す。

父親が死ぬと、営んでいた住宅金融が存続の危機に陥る。この会社がなければ、町の貧乏人は自分の家が持てない。敵対している金融業者は、貧乏人から金をむしり取っていた。

父親の住宅金融は、町の人を幸せにしていた。ジョージは世界に出るのを中止した。弟が大学を卒業して住宅金融を引き継げるようになるまで、自分が町を守ることに決めたのだ。

 

しかし大学に行った弟は、そのまま外で所帯を持ち、生活することになる。他人の幸せを願うジョージは、大きく反対しない。しかし鬱憤は募る。

 

幼馴染と結婚したジョージは、ハネムーンで世界旅行を予定していた。手元には、たくさんの紙幣がある。世界への切符である。

しかし銀行の取り付け騒ぎが発生する。ジョージの住宅金融にも人が押し寄せ、預金を引き出そうとした。やむなく手元の現金を使い切って、危機を脱する。今回も世界には出られない。

 

貧乏人相手の住宅金融は、もうからない。家族に満足な暮らしをさせてやれない。

敵対していた金融業者が高い金でジョージを雇い入れるともちかけてきた。一瞬、金額に目がくらむけれど、町の人たちのことを思いだして断る。ジョージは自分のことよりも、町の人たちを最優先に考えていた。

 

第二次世界大戦が始まる。ジョージは聴覚障害で兵役が免除された。弟は海軍航空兵として活躍し、勲章をもらった。町の英雄として、クリスマスに凱旋してくる。戦争に出られないジョージにとって、ほこらしいことだった。

その日は、住宅金融に監査が来る日だった。適正な取引をしていて、金庫には充分な現金があることを示さなければいけない。

不運なことに、事業を手伝っていた親族の手違いで、現金8000ドルを紛失してしまう。全財産だった。これがないと監査に通らず、ジョージは責任者として捕まってしまう。いくら探しても見当たらない。ジョージの人生は、いつもことが思うように運ばない。楽しいことは、すべて邪魔される。

帰宅して家のなかもひっくりかえすが、予備の金などない。妻にも、子供たちにも、電話をかけてきた相手にもあたってしまう。

なんでこんなにうまくいかないんだ……おれがなにをしたっていうんだ……家族にはこんな貧乏な家にしか住まわせてやれない……自分の夢も我慢して生きてきたっていうのに……生きていて意味があるのか……生まれてこないほうがましだったんじゃないか

ジョージは自分の人生に意味を見いだせず、金を工面するために自殺しようとした。町の人にも、敵対業者にも頼めない。橋の欄干に手をかけた。そのとき、天使が川に飛び込んだ。

他人を優先するジョージは、こんなときでも、飛び込んだ人を助けだした。

天使は、不運続きのジョージを救うために天界から送られてきたと語る。ジョージを救うことができれば、天使の階級があがるのだと。

 

ジョージは絶望している。天使の言葉など、妄言だと切り捨てる。天使がいるなら、自分の人生はもっとよかったはずじゃないか。

自分なんかいないほうがよかった……そうすればみんなもっと幸せになれたはずだ。

 

このつぶやきを聞いた天使は、「ジョージが生まれなかった世界」を見せてあげることにした。

 

ジョージは酒場に行く。楽しいはずの酒場はすさんでいて、貧乏人は門前ばらい。知っている人も、自分だと認識してくれない。ジョージが助けた処方箋のおじいさんは、殺人者として投獄された。

町も退廃している。ジョージが資金援助して大都会に行ったはずの知り合いは、町で水商売をしていた。ジョージが金を貸して一軒家を与えた貧乏人は、強欲な金融業者のせいで、ボロ長屋に住んでいる。

弟は、ジョージがいなかったせいで、そうそうに死んだ。妻になるはずの人は、ひとり身で生涯独身だった。ジョージをみて、変質者だと逃げる。

自宅があるはずの場所は、とうに荒れ果て人が住めるようなところではない。

 

ジョージは、自分がいなかった世界を体験していくうちに気づく。

自分がいなかった世界は、こんなにも悪い世界になっていた。自分がやってきたことは、周りをとても幸せにしていた。

「外に出て、大きなことをしないといけない」という思い込みにとらわれていたけれど、この町の命運を、これだけ変えていた。いままで自分が気づかなかっただけで、すでに大きなことを成し遂げていた。

 

自分がほんとうにしたかったことはなんなのか。自分が求めているものはなんなのか。

町を出て、世界を股にかけて活躍することか。世界を変えるような仕事をすることか。違う。ほんとうにしたかったことではない。

むかしの夢は、「父親のようにはなりたくない」という感情の裏返しにすぎなかっただけだ。地に足がついていない、空虚な夢だった。

求めている幸せは、実は、身近なものだった。

 

この町を変えて、周りの人たちを幸せにしてきたではないか。そんな人たちに囲まれてきて、幸せだったじゃないか。自分は、「町を出たいのに、出られない」という満たされなさだけではなかった。周りの人たちと、一緒だったじゃないか。それを幸せと呼ばずして、なんと言うのか。

自分の人生が不運ばかりで、生まれた意味がなかったなんて、なんて視野が狭まっていたのだろう。

 

こう気づいたジョージは、天使に言って元の世界に戻してもらい。家に走った。

家に帰ると、監査役がいた。牢獄に連れていかれるけれど、そんなことはどうでもいい。自分の名を呼んでくれる。監査役に抱きつく。ありがとう!

子供たち、ありがとう! 生まれてきてくれて、ありがとう!

妻が、外から帰ってくる。きみ、ありがとう! 隣にいてくれてありがとう!

 

妻は外で何をしていたのか。

町の人にジョージの危機を伝えたのだ。町の人は、妻の後ろにならんで家に入ってきた。次々とテーブルの上にお金を置いて行って、クリスマスの祝福を言った。テーブルには、お金の山ができる。人波は途切れない。

弟も帰ってきた。町から出ていった人たちからも、融資の電報が届く。家にはクリスマスのメロディーが鳴りひびき、みんなで歌う。

 

人生で最高のクリスマスだった。自分の人生は、こんなにも満たされていた。

 

素晴らしき哉、人生!

福永武彦『愛の試み』

文芸

福永武彦『愛の試み』(新潮文庫1975年)。

 

池袋西口から立教大学にいたる道には、文庫本専門の書店がある。大地屋書店と言う。

個人でやっているから、「こういう本はありますか」と訊くと、すぐ答えが返ってくる。何回か通えば、馴染みとして顔を覚えてもらえるのだろう。そういう店が大学の近くにあるなんて、幸運である。ぼくの大学にはない。

 

そこで本書を買った。福永さんの『愛の試み』は、孤独と愛にかかわるエッセー集である。最後のエッセーから、長めに引用したい。

 

「夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず。」

僕は「雅歌」のこの言葉を好む。これは人間の持つ根源的な孤独の状態を、簡潔に表現している。この孤独はしかし、単なる消極的な、非活動的な、内に鎖された孤独ではない。「我心の愛する者をたづねしが」――そこに自己の孤独を豊かにするための試み、愛の試みがある。その試みが「尋ねたれども得ず」という結果に終ったとしても、試みたという事実、愛の中に自己を投企したという事実は、必ずや孤独を靭くするだろう。……愛が失敗に終っても、失われた愛を嘆く前に、まず孤独を充実させて、傷は傷として自己の力で癒そうとする、そうした力強い意志に貫かれてこそ、人間が運命を切り抜けていくことも可能なのだ。従って愛を試みるということは、運命によって彼の孤独が試みられていることに対する、人間の反抗に他ならないだろう (155156頁)。

 

人は、意識しているかしていないかにかかわらず、孤独である。ただし孤独というのは、無価値な状態を指した言葉にすぎない。

その孤独な人間が、自己と世界をどう認識し、そのうえでどう行動するかによって、価値が付与される。

 

本書では、消極的な孤独と積極的な孤独が対置される。消極的な孤独とは、内に閉ざして、ただ自分のなかに沈み込んでいく孤独である。積極的な孤独とは、外に開いて、それだけで充足している孤独である。

 

充足した孤独。

そこでは、愛が試みられる。他者とつながろうとする。他者とはすなわち、異性である。異性は社会への窓口である。

 

孤独と愛にかかわるエッセーを読むことは、充足した孤独を試みることにほかならない。

9篇の掌編も挟まれていて(これが実におもしろい)、たった400円である。買いだ。 

映画『秒速5センチメートル』

映画

新海誠『秒速5センチメートル』2007年。

 

2017317日深夜、テレ朝で新海誠監督『秒速5センチメートル』を放送していた。

高校時代に弟から薦められて以来、見る機会があると見てしまう。

 

欠点があった。かつての新海さんは、描きたい感情をそのまま描いてしまっていた。表現手法と描きたい感情を、同じように採用するため、伝わらない人には伝わらない。新海さん自身も「伝えたいことが伝わらなかった」と言っている。これは作家としての個性であり、欠点ではなく特徴でもあった。ただ、違う表現を考えたほうが、幅広く伝えることができる。『秒速5センチ』もそうである。

昨夏の『君の名は。』は違った。せつない・やりきれない・淡い感情をそのままに描くのではなくて、物語に乗せて、感情を伝えることに成功していた。日本アカデミー賞脚本賞を与えるにはまだまだだと思うが、新海さんの脚本面の成長には、目を見張るものがあった。

圧倒的な映像と音楽、伝えたい感情。これらに、ある程度の脚本が備わったのだから、興行的な成功の必要条件は充分あった。現に29週目でも10位を保っている。驚異的な数字である。

昨夏に見たとき、「新海さんの次の作品は、すごいことになる」と思った。早く次の作品が見たい。

 

1

「秒速5センチメートルなんだって。桜の落ちるスピード」

13才の遠野くんと明里さん。

ふたりは、言葉には出さないものの、双方とも相手に好意をもっていた。明里さんが転校することになり、ふたりは離れ離れになった。手紙のやりとりをするうちに遠野くんも引っ越しが決まり、最後にふたりは会うことにした。

遠野くんは、はじめての遠距離旅行。気もちは手紙にしたため、電車もしっかり調べた。しかし当日は雪で、電車が遅れに遅れる。ふぶく雪。暗くなるそと。郊外に行くほど、ひとはまばらになる。待ち合わせはとっくにすぎ、渡すべき手紙も飛んでいく。

駅に着くと、明里はひとりで待っていた。ふたりはご飯を食べ、桜の木の下でキスをする。しかしそれは、別れの印でもあった。

プラットフォームで明里が「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う。絶対」と言う。ふたりは別れる。【ぼく:大丈夫じゃないよぉぉぉ】

明里も手紙をもってきたけれど、渡せない。ふたりのあいだは、なにか阻まれていた。

 

2

遠野は種子島で高校3年生をやっていた。いまでも明里のことが好きで、どこか寂しげ。しずかに弓を引いていた。

そんな遠野は、ほかの男子とは違って見えた。花苗は遠野のことが好きだった。花苗の視点で、第2話が紡がれる。

遠野の帰る時間を見計らって、毎日一緒に帰ることだけが楽しみだった。自分の気もちは伝えられない。

恋や進路に悩む日々。趣味のサーフィンでも、悩みを反映して波に乗れない。

ある夜、遠野に進路のことを聞く。迷いがないように見えて、ただ優しく、どこか超然としていた遠野でさえも、悩みがあることに気づく。わたしだけじゃないんだ。ロケットの運搬車に出会う。「時速5キロメートルなんだって」

憧れの人だって悩んでいることに気づいて【?:甘いと思う】、気もちが解放された花苗は、遠くを見て悩むのではなく、目の前のことに一生懸命になると決めた。サーフィンで、波にも乗れるようになった。告白するなら、いましかない。

遠野と一緒に歩く。しかし遠野は、私を見てなんていない。はっきりと、ダメなんだと悟る。「お願いだから、もう私に、やさしくしないで」。ロケットが、宇宙をめがけて飛んでいく。震える空気。たたきつけられる音。あとに残る飛行機雲。

何もいえなかった。遠野が好きだけど、仕方ない。

 

3

東京で仕事をするようになった遠野は、いまでも明里のことが好きだった。ほかの女には、こころを開けない。

気を紛らわせるために、仕事に打ち込む。打ち込む。日々、こころの弾力が失われていく。あるときふと、仕事をやめようと思う。仕事をやめた。

雪の降る日々、都会にはたくさんの人がいる。しかしまだ、明里が好きだった。

いっぽうの明里は、知らないうちに婚約していた。

 

【感想】

何回見ても、せつなすぎる。

とくにこれから、東京を離れて、京都に行く。せつない。

モノローグを多用して、登場人物の内面描写をじっくり行う。短編小説を読んでいる雰囲気になる。

 

O・ヘンリー『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21篇』

文芸

O・ヘンリー(芹澤恵訳)『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21篇』(光文社[古典新訳文庫]、2007年)。

 

O・ヘンリーの短編集は、いろいろな版元から翻訳されている。また、青空文庫でも「最後の一葉」「賢者の贈り物」などを読むことができる(http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person97.html)。

 

光文社のものに収録されている短編は23篇となる。以下、収録順に挙げる。

「多忙な株式仲買人のロマンス」「献立表の春」「犠牲打」「赤い族長の身代金」「千ドル」「伯爵と婚礼の客」「しみったれな恋人」「1ドルの価値」「臆病な幽霊」「甦った改心」「十月と六月」「幻の混合酒」「楽園の短期滞在客」「サボテン」「意中の人」「靴」「心と手」「水車のある教会」「ミス・マーサのパン」「二十年後」「最後の一葉」「警官と讃美歌」「賢者の贈り物」

 

いくつか簡単にあらすじ・感想を。

短編小説はアイデアとひねり方とオチが肝なので、下を読まずに本を読んでほしい。自分用メモ。

 

「千ドル」

【あらすじ】

放蕩息子が、父親の死で千ドルを相続する。千ドルという中途半端な金の使い道に困る。いろいろな人に話を聞いた末、こころを入れ替え、愛していた(そうと気づく)人にすべて渡すことに決めた。

金の使途は、弁護士に報告することになっていた。封筒に入れて弁護士に会うと、追加の遺言があることを知らされる。「千ドルを遊びに浪費していたら、5万ドルは愛していた人に。千ドルを他人のために使っていたら、5万ドルは息子のもとに」。

これを聞いた瞬間、封筒を破り棄て「くだらないことに使っちゃいました。見るまでもありません」。弁護士はやっぱりという顔をする。息子は口笛を吹きながら出ていく。

【感想】

とてもいい。

 

「伯爵と恋人」

【感想】

まさに理想の女性ではないだろうか。黒服が似合って、きりっとしている。最初はツンとしていているのに、最後の段になって最大の打ち明け話をされる。か、かわいい。

 

1ドルの価値」

【あらすじ】

裁判官に、「いつか殺してやる」という手紙が届く。彼は取り合わずに、鉛製の偽造1ドル硬貨を作った犯人の裁判の準備をする。

犯人の妻から、「いままで犯人は悪かったが、今回は私のためにやった」ゆるしてくれないか、と嘆願される。しかし裁判官は、取り合わない。

証拠の1ドル硬貨をもったまま、恋人と狩りに行く。そこで冒頭の殺人予告をしたやつが、銃をもって殺しに来た。裁判官がもっているのは、狩りのための散弾銃。射程が短い。圧倒的な不利。どうするのか。

「少し時間を作ってくれ」そう恋人に言った裁判官は、狙いをつけると、射程外の相手を打ち抜いた。

どうやったのか。裁判官は1ドル硬貨を加工して、銃弾に仕上げたのだった。

裁判長に言う。「証拠がなくなったので、裁判はできません」

 

【感想】

冒頭からただようサスペンス感。続きが気になる。ラストは、どうするんだこれ……と思いながら、完璧なオチ。すごい。

 

「甦った改心」

【あらすじ】

天才的な鍵開け師は、銀行強盗を繰り返していた。当然、何度もつかまっていた。警官は我慢がならず、つぎは絶対に減刑などさせないと言っていた。

鍵開け師は、しかし、別の町で恋に落ちる。好きな相手の家は資産家だった。そのため、まっとうな仕事に就く。健全な人間関係を築く。名前も変える。何年もたって、その恋人と結婚することになる。警官に「改心した。見てくれ」と言って、街に呼ぶ。

警官が来た日、資産家の家に、新しい金庫が届く。正規の方法でなければ、作った業者でないと開けられない。間違って、その家の子供が中に入って閉じ込められる。開けなければ死んでしまう。

鍵開け師は、警官の前で、むりやり金庫を開ける。子供を救う。「さあ捕まえてくれ」

「人違いのようですな。名前が違います」警官は言った。

 

「警官と讃美歌」

【あらすじ】

冬を越すために、彼は刑務所に入ろうと思った。簡単なことだ。犯罪を犯せばいい。

高級な店で無銭飲食をしようとしたら、服がダメで門前払い。

ショーウィンドーを叩き割っても、犯人が目の前に居続けるわけがないと切り捨てられる。

普通の店で無銭飲食をしたら、ボコボコにされて放り出される。

傘を盗んだら、その傘も盗難物だった。

こぎれいな女性に迷惑をかけようとしたら、その女性は売春婦。

気が狂ったふりをすると、そのまま放っておかれる

簡単なはずなのに、とても難しい。道を歩いていると、讃美歌が聞こえる。おもわず立ち入る。こころに染み入る。「ああ、これからはまっとうに生きよう」

警官が来た「何をしているんだ。ここで」。「刑期は3か月」

 

【感想】

完璧なプロット。

 

「最後の一葉」

【あらすじ】

画家のたまごが集まる貧乏街。彼女が住むアパートは、かつて画家を目指した老人のものだった。

友人が大病をわずらう。「生きたいという気力がなければ、難しいでしょう」

彼女は老人に話す。「友人は、窓から見える葉っぱが散り終えるのを見てから、死にたい」。

一枚。また一枚と葉っぱは落ちていく。しかし最後の一葉は、雨が降っても落ちない。

老人は雨に濡れて、肺炎になって死んでしまう。友人は、山を越す。

よく見ると、最後の一葉は向かいの壁に描かれたものだった。老人が雨に濡れながら、夜のうちに描いたのだ。傑作の一葉を。

 

「賢者の贈り物」

【あらすじ】

クリスマス・プレゼントを選ぶ、貧乏な一組の恋人がいた。

女は、男の時計につける鎖を買った。そのために、流れるような髪を売った。

男は、女の髪に刺す櫛を買った。そのために、自慢の時計を質に入れた。

夜ふたりが会うと、男は固まった。彼女の長い髪がない......櫛を見せると、女は泣きながら「私の髪は、伸びるのが早いのよ」と言った。

女は鎖を見せながら「あなたの時計にぴったりなの。時計を出して」

男は言った。「プレゼントはしまって、ご飯にしよう。プレゼントは、いまのぼくたちには上等すぎたんだ」

 

【感想】

この作品だけは、神の視点が入ってきて若干戸惑う。しかし完璧なプロットである。

ウィリアム・L・デアンドリア『ホッグ連続殺人事件』

文芸

ウィリアム・L・デアンドリア(真崎義博訳)『ホッグ連続殺人事件』(2005年、早川書房)。

 

【あらすじ・流れ】

ある町で、連続殺人事件が発生した。不可能としか思えない状況で、だれにも姿を見られずに完全犯罪を遂行していく。被害者はバラバラ。殺人を行ったあとには、かならずHOGの名で声明文が届く。

この連続無差別殺人に、町は恐怖に包まれた。「なぜわれわれがそんなめに? 人々は神に尋ねたが、答えは得られなかった」

この犯人はだれなのか。

 

【感想】

まず注意を。登場人物が多く、また覚えにくい名前である。読み進めていけばわかるが、登場人物をたどる必要はない。ストーリー・トリックを楽しむのが主だから、人物名はまったく覚える必要はない。

描かれるトリックは、爽快である。盲点を突かれる。美しいトリックに、最後の一文の余韻。

とてもよかった。

 

 

【トリック】

最後の一文がすべてを示している。

「みんな神の手(Hand Of God)で殺されたのだ」

HOGとは神のことだった。

完全犯罪の数々は、神の手、すなわち偶然に過ぎなかったのだ。看板が落ちてきたり、つららが落ちてきたり。冒頭2ページ目に「なぜわれわれがそんなめに? 人々は神に尋ねたが、答えは得られなかった」と書かれているが、壮大な伏線だった。

犯人は、偶然によってもたらされる死をHOGの名で後づけすることで、あたかも殺人鬼がいるかのように偽装した。

殺人鬼と犯人は、別々だった。

犯人の意図は、偶然による死(それなりの町なら、毎日ひとは死んでいく)にHOGの名で一貫性を持たせて、連続殺人の文脈に置こうとしたことにある。この連続殺人は、動機も対象も固定されない無差別殺人だったから、そのなかに自分だけの殺人計画を紛れ込ませようとしたのだった。

 

吉本ばなな『キッチン』

文芸

吉本ばなな『キッチン』(角川書店1998年)

 

大事な誰かをなくしたひとたちの短編集。3篇おさめられており、表題作は連作である。残るひとつは「ムーンライト・シャドウ」である。

初期の作品だということからわかるとおり、文章には拙さが見られる箇所もある。しかしそれ以上に、光るものがある。こころのなかを描くのが、とてもうまい。

 

【あらすじ】

 

「キッチン」

唯一の親戚である祖母を亡くした私は、死を受け入れられない。キッチンだけが安息の場所だった。成り行きで田辺雄一の家に居候することになり、その「母親」とも交流していくうち、死を受け入れられるようになる。「自慢の祖母でした。」

 

「満月――キッチン2」

ひとりで生活するようになった私は、「母親」の死を知らされ、雄一の家に泊まる。家族でも恋人でもない関係は、ここちよい。雄一を好きな女性から「おかしい」と突きつけられる。私は仕事で泊まりの出張に行くことになる。

いっぽうで、悲嘆にくれる雄一は逃げた。遠くに旅行に行った。主人公はここちよい友人(責任を負わなくてよい)の立場ではなく、恋人として関係をもつ決心をしてカツ丼を届ける。

 

「ムーンライト・シャドウ」

恋人を事故で亡くした私は、恋人の弟と交流しながらふっきれない日々を送っている。ある女性との導きで恋人ともう一度会うことができ、ふっきれた。

映画『ミッドナイト・イン・パリ』

映画

ミッドナイト・イン・パリ

 

アカデミー賞脚本賞受賞。

 

わかりやすい流れ。いいアイデア、いいひねり方、いいオチのつけ方。

 

【あらすじ・流れ】

主人公のギルは、フランスに婚約者家族と旅行に来ていた。1920年代のフランスが最高だと思っていて、作家になりたかった。婚約者とは価値観が合わない。婚約者は、未来を夢見ていた。

 

ある夜、12時の鐘がなるとき、目の前に昔の自動車が現れる。

酔っていたギルは、中から誘われて乗った。

 

そこは1920年代のフランスだった。

パーティ会場には、夢にまで見た人物たちがいる。フィッツジェラルドコクトーヘミングウェイピカソ。会場を離れ、ひとりで外に出ると、現在に戻る。

自作の小説の評価をもらいに、毎夜訪れることになる(婚約者がいるから、毎日戻る必要がある)。才能があると評される。

やがてアドリアナに恋をしたギルは、彼女を伴って外に出る。

同時代人と一緒なら、現在に戻らない。

 

しかしその途上、さらに昔の馬車が通りかかる。それに乗るふたり。

そこはアドリアナが夢見るベルエポックの時代だった。入れ子構造である。

アドリアナが熱中するのを見たギルは、状況を客観視する。そして気づく。過去に憧れる行為には、際限がないのだ。その時代に慣れると、もっと昔に憧れるだけである。その繰り返しだ。

 

つまりギルは、現在の重要性に気づいた。

いままでは婚約者の不倫から、目を背けていた。作家になりたいという願望を、直視してこなかった。パリに住みたいという夢を、見ないようにしていた。

過去への執着をあらわすアリアドナと決別し、現在に帰る。

 

現在に戻ったギルは、これらすべてを清算する。婚約破棄。作家を目指す(腕は認められたのだ)。パリに残る。現在を充実させることを選んだ。

 

そうしたとき、ギルが歩く隣には、「雨のパリが一番好きなのよ」という女性がいた。

 

 

【感想】

過去に憧れる青年が、過去に憧れるのは現在への不満の裏返しであることに気づき、その現在を充実させることを選び取る物語。

 

ショートショートや短編小説を読んでいるかのような作品だった。キレっキレである。

サイドストーリーとして、婚約者の父が毎夜いなくなるギルを怪しんで探偵をつける。ギルをつけて1920年代に行った探偵は、そこでとらえられる。みたいなものもあった。婚約者家族は現在への不満と未来を象徴するので、まあ捨象していいでしょう。