なんの研究をしているんですか
誰かに会うたび、「大学院生です」と自己紹介する。
嘘ではない。大学院に籍を置いているのだから。
わかっている人たちは、続けてこう問う。「なんの研究をしているんですか」。ぼくは学部卒論の内容を答える。
嘘ではない。あの論文は、考察すべき点をいくつも残している。考えていないことはない。
しかしながら端的にいって、ぜんぶ嘘である。上の回答は、すべて詭弁にすぎない。ごまかしだ。
自分がよくわかっているし、同等かそれ以上に、相手側にもわかってしまう。
とある政府系シンクタンクの説明会に出た。
このシンクタンクは近年採用に力を入れており、今年はとくに採用枠が多い。この先も、この分野の研究を地道に続けていれば、博士途中には拾ってもらえそうな感がある。
周りにいた人のうち3人からは、黴臭い史料の山に埋もれて研究をしてきた人特有の雰囲気が感じられた。類は友を呼ぶというけれど、なんとなく同類のにおいはわかる。
同じにおいがした。正確にいえば、学部2年までのぼくと、同じにおいがした。
いまのぼくからは、どこをほじくり返しても同じにおいはしない。
質疑応答で、目の前の研究者にもわかっただろう。ぼく程度がにおいの違いに気づくのだから、その世界で何十年とやってきた人が気づかないわけがない。
「こいつは研究をしていない」
確実に伝わった。そのことがはっきり伝わってくる。ぼくは場違いな存在だった。
去年すこしだけ就活をやった。ある新聞社の面接で、「あなたは、価値を感じていない仕事もできますか」と訊かれた。
訊かれた瞬間、どう答えればいいのか、迷った。当然、価値を感じていないことなどやりたくはない。けれど面接という場では「できます」と言わなければいけない。できます、というようなことを、たどたどしく答えた。その後の連絡はなかった。
研究をしていない院生という、矛盾した立場にある。
そうしたところにいるのだからと、いままで関心のなかった講義を中心にとっている。食わず嫌いなだけであって、すこし勉強すれば楽しいところが見つかると言い聞かせながら、「つまらない」という感情を飲み込んで日々を過ごしている。
北方兄さんに怒られそうな生きかたである。