白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

人間の強さ

マツコの知らない世界』を見ていた。いろんな分野のオタクが出てきて、好きな分野を紹介していく番組。触れたこともない世界が目の前に広がるから、楽しい。

さて、ホットケーキミックスの回である。

この番組では、ゲストが「なぜ対象にのめりこむようになったのか」を説明しながら、自己紹介をする。なぜホットケーキミックスにのめりこむようになったのか、ゲストは語りだした。「拒食症で、24歳のとき24キロまで体重が落ちちゃって……入院したんですね、死ぬ寸前だってことで」。

ほんとうなら、入院生活の話をして、ホットケーキミックスに救われた体験を語る予定になっていたと思われる。

しかし、語っていくうちにゲストは涙声になっていく。目も潤んでいく。やがて、言葉が続かなくなってしまう。

拒食症のときの、壮絶な体験を思いだしたのだろう。成人女性が24キロしかないのは異常だ。たべようとしても、たべられない毎日。食べものを口に入れても、吐いてしまう。家族や仕事先、大事な人にまでかなり迷惑をかけて、私生活はぐちゃぐちゃになったはずだ。

まして初対面の人たちを前に、慣れない場所で語るのだ。何台ものテレビカメラが前にある。ライトに照らされる。周りの視線はすべて自分に向かってくる。

極度に緊張しているのに、それとは真逆に、自分のもっとも弱いところを語らなければならない。

同じ状況に置かれて、泣かない人間など、いない。

ぼくは「泣いてもいいんだよ。落ち着いてからでいいから、大丈夫だよ。ごめんね、そんなこと話させちゃって」とテレビに言いながら、自分勝手にも、つらかった記憶を重ねてしまった。そうして、涙ぐんでいる自分を発見する。

画面が変わって、ゲストは語りだした。一時的にメガネが外れている。涙を拭いて、再出発したのだ。がんばって、と応援した。

 

『スーパープレゼンテーション』を見ていた。アメリカのプレゼンテーション番組をNHKが再編成したものである。ネットでも見られる。むかし紹介した。

今回は、生と死について。

ひとりめのプレゼンターは、元警察官。自殺しようとする人を、思いとどまらせる仕事をしていた。場所は、アメリカの有名な橋。

「自殺しようとする人がいます」と通報がある。自殺志願者は、橋の欄干を飛び越え、外側のパイプに乗っている。眼下には水面。落下すれば、数百メートル先の水面に全身が叩きつけられる。全身の骨が折れ、凶器となって内臓を突き刺す。ほぼ間違いなく、死ぬ。

元警官は、そういう人たちに、飛び降りを思いとどまらせる仕事をしていた。数百名の命を救い、助けられなかったのは2名だけ。その経験から、自殺しようとする人に対して、どう対応すればいいのか、説く。「話を聞いてあげてください。ただ聞くだけでいいんです」。

 

もうひとりは、コミュニティの再生に取り組む人。使われなくなった建物の壁に、「もし私が○○だったら……」みたいな掲示板を作って、地域の人に書きこんでもらう。壁に何か書くのは楽しいから、みんな書きこむ。そうして、街角にちょっとおかしな、ちょっと人間味のある掲示板ができあがる。

「この町には、顔はわからないけど、こんな人たちも暮らしてるんだ」。人生が交差する瞬間を作るのだ。

プレゼンターは、「死ぬ前に、私は○○したい」という掲示板を出現させたときのエピソードを語りだす。

 

2009年に私は大切な人をなくしました。ジョーンという名の私にとって母のような人で、それは予期しない突然の死でした。それから死についてよく考えるようになって、自分に与えられた時間をありがたく感じ、自分に与えられた時間をありがたく感じ、自分の人生にとって大切なものが何なのか、はっきり見えるようになりました。でも日常生活の中で、その視点を維持するのを難しく感じてもいました。日々の些事に追われて、大切なものを見失いがちだったんです(https://www.ted.com/talks/candy_chang_before_i_die_i_want_to/transcript?language=ja

 

スライドには、「死ぬ前に私は、海賊罪で裁かれたい」という中年の男性の写真が映し出される。もちろん彼は、海賊のコスプレをしている。会場にはどっと笑いが沸き起こる。ぼくも、笑った。そこには、人生を楽しむ人間がいた。

大事な人をなくすエピソードを語りながら、この人も涙ぐむ。「母のような人」なのである。単純な母ではない。血がつながっていないのに、自分にかかわってくれる必然性がない人なのに、あんなに未熟だった私につきあってくれた人。たくさん迷惑をかけたのに、それでもやさしく厳しく接してくれた人。

そういう人をなくした経験を語れば、自然と想いがついてくる。たぶん彼女の目の前には、ジョーンさんがいた。泣かないわけがない。

 

こういう人たちを見ながら、数年前のぼくだったら、どう思うか考える。

「テレビに出るってわかってるんだから、泣かないように準備しろよ。自分の弱さを、少なくともこの場ではこらえろよ。みっともないなぁ」

と思っていただろう。人前で泣くのは、弱い人間の証だと思っていた。役割をまっとうしろよと思っていた。それが強い人間だと思っていた。

けれど、違うのだ。

泣いて、でもそこでやめずに、「わたしは伝えにきたんだ」と決意して、話だす。

弱くなっても、覚悟を決めて立ちあがる。ここに強さがある。人間がいる。

プレゼンの観客も、スタンディング・オベーションをしていた。