白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

福永武彦『愛の試み』

福永武彦『愛の試み』(新潮文庫1975年)。

 

池袋西口から立教大学にいたる道には、文庫本専門の書店がある。大地屋書店と言う。

個人でやっているから、「こういう本はありますか」と訊くと、すぐ答えが返ってくる。何回か通えば、馴染みとして顔を覚えてもらえるのだろう。そういう店が大学の近くにあるなんて、幸運である。ぼくの大学にはない。

 

そこで本書を買った。福永さんの『愛の試み』は、孤独と愛にかかわるエッセー集である。最後のエッセーから、長めに引用したい。

 

「夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず。」

僕は「雅歌」のこの言葉を好む。これは人間の持つ根源的な孤独の状態を、簡潔に表現している。この孤独はしかし、単なる消極的な、非活動的な、内に鎖された孤独ではない。「我心の愛する者をたづねしが」――そこに自己の孤独を豊かにするための試み、愛の試みがある。その試みが「尋ねたれども得ず」という結果に終ったとしても、試みたという事実、愛の中に自己を投企したという事実は、必ずや孤独を靭くするだろう。……愛が失敗に終っても、失われた愛を嘆く前に、まず孤独を充実させて、傷は傷として自己の力で癒そうとする、そうした力強い意志に貫かれてこそ、人間が運命を切り抜けていくことも可能なのだ。従って愛を試みるということは、運命によって彼の孤独が試みられていることに対する、人間の反抗に他ならないだろう (155156頁)。

 

人は、意識しているかしていないかにかかわらず、孤独である。ただし孤独というのは、無価値な状態を指した言葉にすぎない。

その孤独な人間が、自己と世界をどう認識し、そのうえでどう行動するかによって、価値が付与される。

 

本書では、消極的な孤独と積極的な孤独が対置される。消極的な孤独とは、内に閉ざして、ただ自分のなかに沈み込んでいく孤独である。積極的な孤独とは、外に開いて、それだけで充足している孤独である。

 

充足した孤独。

そこでは、愛が試みられる。他者とつながろうとする。他者とはすなわち、異性である。異性は社会への窓口である。

 

孤独と愛にかかわるエッセーを読むことは、充足した孤独を試みることにほかならない。

9篇の掌編も挟まれていて(これが実におもしろい)、たった400円である。買いだ。 

エッセー、あるいはある人のこと

ぼくは、自分の家が好きではなかった。

お彼岸のときは、親戚が集まってかならず勤行をする。大きな線香を立て、漢字の横のふりがなを機械的に音読する。金もあれば、木魚もあり、錫杖も使う。燈明を灯もし、飲食も供する。10数人で夜に行うから、「声がうるさい」と隣家から苦情が来たこともあった。ぼくは、あまり大きな声を出さないのが常だった。

だいたい30分間はかかる。最後には脚がしびれて、立ち上がれない。

毎年2回、これを行う。迎え火や送り火も行う。線香の匂いが服にこびりついて、数日間そのままである。線香の匂いが嫌いになった。

読経する意味を感じられなかった。

 

高校の部活で祖母の実家の島に行ったときには、ぼくだけ一旦抜けて祖母と会った。お墓の前で読経を行うためである。

はじめて会う親戚の女の子が後ろで見ているなか、砂利に正座をして、簡単にお経を唱えた。隣に祖母がいるから、しっかり声を出さなければいけない。どれだけ恥ずかしかったことか。終わったあと、祖母の「ありがとう」に曖昧に答えた。はっきり言って、やりたくなかった。

ほんとうに嫌だった。

 

イギリスに行ったことがある。そこの人はみな、日曜日に教会に行くらしい。

「ほんとうにキリストを信じているの」。同年代の男に訊いてみた。

「ほとんどの人は信じてない。僕もね。でも行くのさ」

こう答えられた。

 ※

 

つい先日、とても親しくしていた友人が、急に亡くなった。

2週間前に一緒に飲んだばかりだった。バカなことばかりを言いあって、最後だからと少しの秘密も打ち明けられて、卒業式で会おうね、と約束した。

終わって、ラインで「お土産、渡すの忘れた!」と言っていた。ぼくは「卒業式で、また会うだろう」と思って、とくに返信しなかった。

 

そのときでいいや。

 

 

よくなかった。

 

 

第一報はスマホの電源を切っていて、取れなかった。5時間くらい経ってから、共通の友人たちからラインで知らされた。

犬の散歩の途中だった。文面が理解できなかった。けれど、衝撃が胸の奥にどろりとひろがり、息をするのが難しくなるのを感じた。唾がでてきて、何回も飲み込んだ。

すぐには返信できなかった。しかし、対応しなければいけない。40分くらい歩いてから、道にしゃがんで電話をした。犬がそばにいた。

寒空のなか、冷えた指と光る画面だけがあった。無性に犬を抱きしめたくなった。他人の体温が恋しくなる。

 ※

 

次の日から、お腹が痛くなった。前にもこういうことがあった。ストレス性の胃痛だ。

痛いけれど、どこかほっとしていた。親しい友人の死が、自分に対して衝撃を与えたという証拠である。無意識下で、すんなりと受け止めているなんて、そんな無情な自分ではなかった。

同時に、死を死として受けとめられるような距離感でもあった。近すぎず、遠すぎず、ちょうどよい親しさだった。

 

身体に出てくるほどのストレスが積み重なったとき、早朝と夜は大敵である。気もちが下がる。涙が出る。自分を責める。いちばん危ない。

誰かにしゃべりたい。共有したい。慰めあいたい。けれど、ほかの人は、ぼくよりその人と親しかったり長くつき合っていたりして、対等な感情ではない。ひとを失ったときの感情は、それまでの関係性に規定される。相談できる相手を考えたとき、ぼくは浅いほうだった。他の人は受け止めているのに、ぼく程度が、泣き言を言えるか。

 

そもそも誰かにすがりたいとき、(所属する集団のなかで)ぼくが頼っていたのが、その人だった。すがりたいと考えて、はじめて言語化できた。

 

「ざんげ

させて

○○ぴ」

 

個人ラインをたどっていくと、こんな感じで会話を始めた形跡がある。

決まって、

 

「うけとめるよ

なんでしょう」

「大丈夫だよ○○ぽん」

 

なんて優しい言葉が返ってきていた。自分のことで手いっぱいでも、誰かに頼られたら、その期待に答えてしまう。そんな人だった。

その甘さに甘えきっていた。

ぼくは何も返すことができなかった。

 

数日後、葬儀は、ご親族のあいだで行われた。ぼくでさえ、これだけつらいのだから、生まれたときからそばにいた人たちは、どれだけだったのだろうか。ぼく程度が、つらいとは言っていられない。

 

けれど、つらいものはつらい。お腹は痛い。なにか違うことをしなければいけない。

引っ越しのために部屋を片づけていると、その人からもらったワインボトルやコピーしたノートが出てきた。出てくるたびに、涙がにじんだ。捨てられない。とてもじゃないが、家にいられない。とりあえず、大学に行くことにした。

気もちに、区切りが必要だった。

 

こういうとき、彼氏彼女がいるひとは、ふたりで乗り越えるのだろう。

ぼくにはいない。どうしようもなく、だれかに会いたくなる。自分の根幹が揺れているときは、なにか確かなものにふれていたい。だけど、ぼくの会いたい人の会いたい人は、ぼくではない。

 ※

 

慶應義塾大学の近くには、走って10分くらいのところに、増上寺というお寺がある。芝公園のなかにあって、すぐ後ろには東京タワーがそびえている。

 

増上寺ではちょうど法要が行われており、誰でも焼香ができた。作法にのっとって行うと、とてもいい香りがした。

目の前には、阿弥陀如来の座像がある。きれいに磨き上げられた床に反射され、とても近くに思える。3月のひんやりとした空気。観光客もいるだろうに、団体さんも自然と声をひそめる空間。数人が椅子に座って、ただ如来を眺めている。

 

30分くらい、そこに座った。ただ涙が出てくる。鼻にも少ししょっぱい。

5時には目の前で僧侶たちが勤行をしてくれる。ぼくの横で、さまざまな人が手を合わせている。ぼくは、ひとりじゃなかった。

 

お寺の意味がはっきりとわかった。

誰にもすがれず、自分で乗り越えなくてはならないとき、ただ見守ってくれる存在と場所が必要なのだ。その手助けをしてくれるのが、お寺だ。

 

昔から仏教は、ぼくのそばにあった。邪魔ものだと思っていた。そのときには必要のないものだった。いまは違った。

 

ぼくの家は真言宗豊山派である。増上寺は浄土宗である。

しかし、そんな違いはどうでもいい。つらいときに、ひとりで瞑想できる場所が必要なだけだ。

 

僧侶たちの勤行が終わったとき、ぼくの服には焼香の香りがついていた。

 

もう嫌な香りではなかった。

お腹の痛みも、和らいできた。

 

友人の死から、1週間くらいたった。

昨日はお彼岸だった。ぼくの親戚が集まって、いつものように勤行をした。実質、東京で最後のお彼岸である。しばらく戻ってくる予定はない。

20数年生きてきてはじめて、お盆をした気がした。この感覚は、忘れることはない。

 

春からは京都に住む。

もらったボトルをもって行こうと思う。

映画『秒速5センチメートル』

新海誠『秒速5センチメートル』2007年。

 

2017317日深夜、テレ朝で新海誠監督『秒速5センチメートル』を放送していた。

高校時代に弟から薦められて以来、見る機会があると見てしまう。

 

欠点があった。かつての新海さんは、描きたい感情をそのまま描いてしまっていた。表現手法と描きたい感情を、同じように採用するため、伝わらない人には伝わらない。新海さん自身も「伝えたいことが伝わらなかった」と言っている。これは作家としての個性であり、欠点ではなく特徴でもあった。ただ、違う表現を考えたほうが、幅広く伝えることができる。『秒速5センチ』もそうである。

昨夏の『君の名は。』は違った。せつない・やりきれない・淡い感情をそのままに描くのではなくて、物語に乗せて、感情を伝えることに成功していた。日本アカデミー賞脚本賞を与えるにはまだまだだと思うが、新海さんの脚本面の成長には、目を見張るものがあった。

圧倒的な映像と音楽、伝えたい感情。これらに、ある程度の脚本が備わったのだから、興行的な成功の必要条件は充分あった。現に29週目でも10位を保っている。驚異的な数字である。

昨夏に見たとき、「新海さんの次の作品は、すごいことになる」と思った。早く次の作品が見たい。

 

1

「秒速5センチメートルなんだって。桜の落ちるスピード」

13才の遠野くんと明里さん。

ふたりは、言葉には出さないものの、双方とも相手に好意をもっていた。明里さんが転校することになり、ふたりは離れ離れになった。手紙のやりとりをするうちに遠野くんも引っ越しが決まり、最後にふたりは会うことにした。

遠野くんは、はじめての遠距離旅行。気もちは手紙にしたため、電車もしっかり調べた。しかし当日は雪で、電車が遅れに遅れる。ふぶく雪。暗くなるそと。郊外に行くほど、ひとはまばらになる。待ち合わせはとっくにすぎ、渡すべき手紙も飛んでいく。

駅に着くと、明里はひとりで待っていた。ふたりはご飯を食べ、桜の木の下でキスをする。しかしそれは、別れの印でもあった。

プラットフォームで明里が「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う。絶対」と言う。ふたりは別れる。【ぼく:大丈夫じゃないよぉぉぉ】

明里も手紙をもってきたけれど、渡せない。ふたりのあいだは、なにか阻まれていた。

 

2

遠野は種子島で高校3年生をやっていた。いまでも明里のことが好きで、どこか寂しげ。しずかに弓を引いていた。

そんな遠野は、ほかの男子とは違って見えた。花苗は遠野のことが好きだった。花苗の視点で、第2話が紡がれる。

遠野の帰る時間を見計らって、毎日一緒に帰ることだけが楽しみだった。自分の気もちは伝えられない。

恋や進路に悩む日々。趣味のサーフィンでも、悩みを反映して波に乗れない。

ある夜、遠野に進路のことを聞く。迷いがないように見えて、ただ優しく、どこか超然としていた遠野でさえも、悩みがあることに気づく。わたしだけじゃないんだ。ロケットの運搬車に出会う。「時速5キロメートルなんだって」

憧れの人だって悩んでいることに気づいて【?:甘いと思う】、気もちが解放された花苗は、遠くを見て悩むのではなく、目の前のことに一生懸命になると決めた。サーフィンで、波にも乗れるようになった。告白するなら、いましかない。

遠野と一緒に歩く。しかし遠野は、私を見てなんていない。はっきりと、ダメなんだと悟る。「お願いだから、もう私に、やさしくしないで」。ロケットが、宇宙をめがけて飛んでいく。震える空気。たたきつけられる音。あとに残る飛行機雲。

何もいえなかった。遠野が好きだけど、仕方ない。

 

3

東京で仕事をするようになった遠野は、いまでも明里のことが好きだった。ほかの女には、こころを開けない。

気を紛らわせるために、仕事に打ち込む。打ち込む。日々、こころの弾力が失われていく。あるときふと、仕事をやめようと思う。仕事をやめた。

雪の降る日々、都会にはたくさんの人がいる。しかしまだ、明里が好きだった。

いっぽうの明里は、知らないうちに婚約していた。

 

【感想】

何回見ても、せつなすぎる。

とくにこれから、東京を離れて、京都に行く。せつない。

モノローグを多用して、登場人物の内面描写をじっくり行う。短編小説を読んでいる雰囲気になる。

 

O・ヘンリー『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21篇』

O・ヘンリー(芹澤恵訳)『1ドルの価値/賢者の贈り物 他21篇』(光文社[古典新訳文庫]、2007年)。

 

O・ヘンリーの短編集は、いろいろな版元から翻訳されている。また、青空文庫でも「最後の一葉」「賢者の贈り物」などを読むことができる(http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person97.html)。

 

光文社のものに収録されている短編は23篇となる。以下、収録順に挙げる。

「多忙な株式仲買人のロマンス」「献立表の春」「犠牲打」「赤い族長の身代金」「千ドル」「伯爵と婚礼の客」「しみったれな恋人」「1ドルの価値」「臆病な幽霊」「甦った改心」「十月と六月」「幻の混合酒」「楽園の短期滞在客」「サボテン」「意中の人」「靴」「心と手」「水車のある教会」「ミス・マーサのパン」「二十年後」「最後の一葉」「警官と讃美歌」「賢者の贈り物」

 

いくつか簡単にあらすじ・感想を。

短編小説はアイデアとひねり方とオチが肝なので、下を読まずに本を読んでほしい。自分用メモ。

 

「千ドル」

【あらすじ】

放蕩息子が父親の死で千ドルを相続する。千ドルという中途半端な金の使い道に困る。いろいろな人に話を聞いた末、こころを入れ替え、愛していた人にすべて渡すことに決めた。

金の使途を、弁護士に報告することになっていた。明細を封筒に入れて弁護士に会うと、追加の遺言があることを知らされる。「千ドルを遊びに浪費していたら、5万ドルは愛していた人に。千ドルを他人のために使っていたら、5万ドルは息子のもとに」。

これを聞いた瞬間、彼は封筒を破り棄て「くだらないことに使っちゃいました。見るまでもありません」。弁護士はやっぱりという顔をする。息子は口笛を吹きながら出ていく。

【感想】

とてもいい。

 

「伯爵と恋人」

【感想】

まさに理想の女性ではないだろうか。黒服が似合って、きりっとしている。最初はツンとしていているのに、最後の段になって最大の打ち明け話をされる。か、かわいい。

 

1ドルの価値」

【あらすじ】

裁判官に「いつか殺してやる」という手紙が届く。彼は取り合わずに、鉛製の偽造1ドル硬貨を作った犯人の裁判の準備をする。

犯人の妻から「いままで犯人は悪いことをしてきたが、今回は私を救うために法を犯した。ゆるしてくれないか」と嘆願される。しかし裁判官は取り合わない。

裁判官は証拠の偽造1ドル硬貨をもったまま恋人と狩りに行く。そこで冒頭の殺人予告をしたやつが、銃をもって殺しに来た。銃弾が浴びせられる。応戦しようとしても、裁判官がもっているのは狩りのための散弾銃。射程が短くて届かない。圧倒的な不利である。どうするのか。

「少し時間を作ってくれ」。そう恋人に言った裁判官は、狙いをつけると射程外の相手を打ち抜いた。

どうやったのか。

裁判官は1ドル硬貨を加工して、銃弾に仕上げたのだった。

裁判長に言う。「証拠がなくなったので、裁判はできません」

 

【感想】

冒頭からただようサスペンス感。続きが気になる。ラストは、どうするんだこれ……と思いながら、完璧なオチ。すごい。

 

「甦った改心」

【あらすじ】

天才的な鍵開け師は銀行強盗を繰り返していた。当然、何度もつかまっていた。警官は我慢がならず、つぎは絶対に減刑させないと言っていた。

鍵開け師は、別の町で恋に落ちる。好きな相手の家は資産家だった。信用を得るため、まっとうな仕事に就いた。健全な人間関係を築く。名前も変える。何年もたって、その恋人と結婚することになる。警官に「改心した。見てくれ」と言って、街に呼ぶ。

警官が来た日、資産家の家に新しい金庫が届く。正規の方法でなければ、作った業者でないと開けられない。間違ってその家の子供が中に入って閉じ込められる。業者が来るには時間がかかる。はやく開けなければ死んでしまう。

鍵開け師は、警官の前で金庫をこじ開ける。子供を救う。「さあ捕まえてくれ」

「人違いのようですな。名前が違います」警官は言った。

 

「警官と讃美歌」

【あらすじ】

冬を越すため彼は刑務所に入ろうと思った。簡単なことだ。罪を犯せばいい。

しかし、高級な店で無銭飲食をしようとしたら、服がダメで門前払い。

ショーウィンドーを叩き割っても、犯人が現場に居続けるわけがないと言われ放置される。

普通の店で無銭飲食をしたら、ボコボコにされて放り出される。

傘を盗んだら、その傘も盗難物だった。

こぎれいな女性に迷惑をかけようとしたら、その女性は売春婦。

気が狂ったふりをすると、そのまま放っておかれる

法を犯すのは簡単なはずなのに、とても難しい。道を歩いていると、讃美歌が聞こえる。おもわず立ち入る。こころに染み入る。「ああ、これからはまっとうに生きよう」

警官が来た「何をしているんだ。ここで」。不法侵入だった。

「刑期は3か月」

 

【感想】

完璧なプロット。

 

「最後の一葉」

【あらすじ】

画家のたまごが集まる貧乏街。彼女が住むアパートは、かつて画家を目指した老人のものだった。

友人が大病をわずらう。「生きたいという気力がなければ、難しいでしょう」

彼女は老人に話す。「友人は、窓から見える葉っぱが散り終えるのを見てから、死にたいと言ってました」。

一枚。また一枚と葉っぱは落ちていく。しかし最後の一葉は、雨が降っても落ちない。

老人は肺炎になって死んでしまう。いっぽう友人は病気の山を越す。

よく見ると、最後の一葉は向かいの壁に描かれたものだった。老人が雨に濡れながら、夜のうちに描いたのだ。傑作の一葉を。

 

「賢者の贈り物」

【あらすじ】

クリスマス・プレゼントを選ぶ、貧乏な一組の恋人がいた。

女は、男の時計につける鎖を買った。そのために流れるような髪を売った。

男は、女の髪に刺す櫛を買った。そのために自慢の時計を質に入れた。

夜ふたりが会うと、男は固まった。彼女の長い髪がない......櫛を見せると、女は泣きながら「私の髪は、伸びるのが早いのよ」と言った。

女は鎖を見せながら「あなたの時計にぴったりなの。時計を出して」

男は言った。「プレゼントはやめて、ご飯にしよう。プレゼントは、いまのぼくたちには上等すぎたんだ」

 

【感想】

この作品だけは、神の視点が入ってきて若干戸惑う。しかし完璧なプロットである。