エッセー、あるいはある人のこと
ぼくは、自分の家が好きではなかった。
お彼岸のときは、親戚が集まってかならず勤行をする。大きな線香を立て、漢字の横のふりがなを機械的に音読する。金もあれば、木魚もあり、錫杖も使う。燈明を灯もし、飲食も供する。10数人で夜に行うから、「声がうるさい」と隣家から苦情が来たこともあった。ぼくは、あまり大きな声を出さないのが常だった。
だいたい30分間はかかる。最後には脚がしびれて、立ち上がれない。
毎年2回、これを行う。迎え火や送り火も行う。線香の匂いが服にこびりついて、数日間そのままである。線香の匂いが嫌いになった。
読経する意味を感じられなかった。
高校の部活で祖母の実家の島に行ったときには、ぼくだけ一旦抜けて祖母と会った。お墓の前で読経を行うためである。
はじめて会う親戚の女の子が後ろで見ているなか、砂利に正座をして、簡単にお経を唱えた。隣に祖母がいるから、しっかり声を出さなければいけない。どれだけ恥ずかしかったことか。終わったあと、祖母の「ありがとう」に曖昧に答えた。はっきり言って、やりたくなかった。
ほんとうに嫌だった。
イギリスに行ったことがある。そこの人はみな、日曜日に教会に行くらしい。
「ほんとうにキリストを信じているの」。同年代の男に訊いてみた。
「ほとんどの人は信じてない。僕もね。でも行くのさ」
こう答えられた。
※
つい先日、とても親しくしていた友人が、急に亡くなった。
2週間前に一緒に飲んだばかりだった。バカなことばかりを言いあって、最後だからと少しの秘密も打ち明けられて、卒業式で会おうね、と約束した。
終わって、ラインで「お土産、渡すの忘れた!」と言っていた。ぼくは「卒業式で、また会うだろう」と思って、とくに返信しなかった。
そのときでいいや。
よくなかった。
第一報はスマホの電源を切っていて、取れなかった。5時間くらい経ってから、共通の友人たちからラインで知らされた。
犬の散歩の途中だった。文面が理解できなかった。けれど、衝撃が胸の奥にどろりとひろがり、息をするのが難しくなるのを感じた。唾がでてきて、何回も飲み込んだ。
すぐには返信できなかった。しかし、対応しなければいけない。40分くらい歩いてから、道にしゃがんで電話をした。犬がそばにいた。
寒空のなか、冷えた指と光る画面だけがあった。無性に犬を抱きしめたくなった。他人の体温が恋しくなる。
※
次の日から、お腹が痛くなった。前にもこういうことがあった。ストレス性の胃痛だ。
痛いけれど、どこかほっとしていた。親しい友人の死が、自分に対して衝撃を与えたという証拠である。無意識下で、すんなりと受け止めているなんて、そんな無情な自分ではなかった。
同時に、死を死として受けとめられるような距離感でもあった。近すぎず、遠すぎず、ちょうどよい親しさだった。
身体に出てくるほどのストレスが積み重なったとき、早朝と夜は大敵である。気もちが下がる。涙が出る。自分を責める。いちばん危ない。
誰かにしゃべりたい。共有したい。慰めあいたい。けれど、ほかの人は、ぼくよりその人と親しかったり長くつき合っていたりして、対等な感情ではない。ひとを失ったときの感情は、それまでの関係性に規定される。相談できる相手を考えたとき、ぼくは浅いほうだった。他の人は受け止めているのに、ぼく程度が、泣き言を言えるか。
そもそも誰かにすがりたいとき、(所属する集団のなかで)ぼくが頼っていたのが、その人だった。すがりたいと考えて、はじめて言語化できた。
「ざんげ
させて
○○ぴ」
個人ラインをたどっていくと、こんな感じで会話を始めた形跡がある。
決まって、
「うけとめるよ
なんでしょう」
「大丈夫だよ○○ぽん」
なんて優しい言葉が返ってきていた。自分のことで手いっぱいでも、誰かに頼られたら、その期待に答えてしまう。そんな人だった。
その甘さに甘えきっていた。
ぼくは何も返すことができなかった。
数日後、葬儀は、ご親族のあいだで行われた。ぼくでさえ、これだけつらいのだから、生まれたときからそばにいた人たちは、どれだけだったのだろうか。ぼく程度が、つらいとは言っていられない。
けれど、つらいものはつらい。お腹は痛い。なにか違うことをしなければいけない。
引っ越しのために部屋を片づけていると、その人からもらったワインボトルやコピーしたノートが出てきた。出てくるたびに、涙がにじんだ。捨てられない。とてもじゃないが、家にいられない。とりあえず、大学に行くことにした。
気もちに、区切りが必要だった。
こういうとき、彼氏彼女がいるひとは、ふたりで乗り越えるのだろう。
ぼくにはいない。どうしようもなく、だれかに会いたくなる。自分の根幹が揺れているときは、なにか確かなものにふれていたい。だけど、ぼくの会いたい人の会いたい人は、ぼくではない。
※
慶應義塾大学の近くには、走って10分くらいのところに、増上寺というお寺がある。芝公園のなかにあって、すぐ後ろには東京タワーがそびえている。
増上寺ではちょうど法要が行われており、誰でも焼香ができた。作法にのっとって行うと、とてもいい香りがした。
目の前には、阿弥陀如来の座像がある。きれいに磨き上げられた床に反射され、とても近くに思える。3月のひんやりとした空気。観光客もいるだろうに、団体さんも自然と声をひそめる空間。数人が椅子に座って、ただ如来を眺めている。
30分くらい、そこに座った。ただ涙が出てくる。鼻にも少ししょっぱい。
5時には目の前で僧侶たちが勤行をしてくれる。ぼくの横で、さまざまな人が手を合わせている。ぼくは、ひとりじゃなかった。
お寺の意味がはっきりとわかった。
誰にもすがれず、自分で乗り越えなくてはならないとき、ただ見守ってくれる存在と場所が必要なのだ。その手助けをしてくれるのが、お寺だ。
昔から仏教は、ぼくのそばにあった。邪魔ものだと思っていた。そのときには必要のないものだった。いまは違った。
しかし、そんな違いはどうでもいい。つらいときに、ひとりで瞑想できる場所が必要なだけだ。
僧侶たちの勤行が終わったとき、ぼくの服には焼香の香りがついていた。
もう嫌な香りではなかった。
お腹の痛みも、和らいできた。
友人の死から、1週間くらいたった。
昨日はお彼岸だった。ぼくの親戚が集まって、いつものように勤行をした。実質、東京で最後のお彼岸である。しばらく戻ってくる予定はない。
20数年生きてきてはじめて、お盆をした気がした。この感覚は、忘れることはない。
春からは京都に住む。
もらったボトルをもって行こうと思う。