白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

京大の学園祭

――いったい子供は、「絵」を描いているのだろうか。「絵」ではないのだ。自分の若々しい命をそこにぶちまけている(岡本太郎『自分の中に毒を持て』、123頁)

 

京大は学園祭の時期である。

11月23日から26日までの4日間。

直接の会場ではないはずの院棟周辺にも、ひとがたくさんいる。最寄駅からの通り道に位置しているからだ。

あふれる人波を自転車で通り抜けようとして失敗する。自転車を降りて、ゆっくり歩く。楓が赤く色づいているのを発見する。歩く人たちは、どこか高揚している。コートの前を開けてシュッとした雰囲気の人よりも、ジャンパーに身をくるんでもさっとしている人たちのほうが多い。それだけ寒いのだろう。もしくは、ファッションに関心がないか。後者のほうかもしれない。お父さん世代の人たちが多い。

慶應の学園祭と比べて若い人たちは少ない。垢ぬけた雰囲気の人は、もっと少ない。

三田祭は、すこし苦手だったな」

そんなふうに思いながら、自転車をとめた。学祭を回る。

4日間唯一の平日。人が少ないときを狙って。

 

校舎のなかまで響いてくるバンドの演奏。出店から漂う食べものの匂い。「○○どうですか」と声をかけてくる大学生。

こういうのは大抵どこも同じ。学祭だなぁと懐かしい。

とりあえずのお目当ては、『蒼鴉城』を買うこと。京大の推理小説研究会の部誌だ。綾辻行人さんや法月綸太郎さんが所属していたサークル、と言えばわかるだろうか。日本でもっとも有名な推研だ。40号の記念誌を買った。彼らの寄稿もある。昔からこういうサークルは応援したくなる。何かを作り出すのって神秘じゃないですか。

話は変わるが、院の知り合いも所属している。古き良き京大生の例にもれなく、彼も講義をサボり続けている。彼の名前を部誌の後ろで見つけた。

 

ぶらぶら歩く。

古本市がある。よい状態の『ノラガミ』1-17巻が1000円。破格だ。買った。

陶芸部が作品を売っていた。波の形をしたカップが売られていた。釉薬の色も良い。買った。

クジャク同好会なる怪しげな団体が、クジャクを2匹展示している。「飼育にお金がかかります! 募金お願いします」。そう言われちゃ、応援するよね。クジャクの卵の殻やクジャクの羽も売られている。鈴虫飼育セットも一緒に売っている。なんでもアリやなぁと楽しくなってくる。HPを見ると、どうやら田中神社のクジャクも、この同好会出身らしいhttp://www.kupeacock.com/?p=1841。あれは見事だった。

校舎のなかでは、吹き抜けを使って、自作UFOキャッチャーをやっている人たちがいた。1メートル四方はある大きなUFOが、うぃーんと動くのだ。人間の胴体くらいのスティッチたちがビニールにくるまって、転落防止ネットに転がっている。UFOでぬいぐるみたちを救いだすミッションなのかもしれない。

正門前のどでかい看板には、女の子の絵が描かれていて、「美少女戦士! 森鴎外!!」と書かれている。おもわず吹きだす。

写真部の作品のひとつに、「京大生の敵」と題して、自転車撤去作業トラックが写っている。歩行者の邪魔にならないように整然と美しく路駐された自転車たちを、問答無用に撤去していくトラックだ。森見さんの『四畳半神話大系』を読むと、いかに暴虐非道の行いかがわかる。これは本当に敵だ。ぼくも愛車をやられて、2300円が飛んでいった。乱暴に扱われたのか、チェーンが緩んでいた。許せん。

学生だけではなく、フリマをしているおじさんおばさんたちもいた。いろんな人を包みこむ雰囲気がある。

 

回りながら、慶應と比べて、なんで京大の学祭は居心地がいいのか考えていた。

なまの人間を感じたからだ。

「自分の若々しい命をそこにぶちまけている」やつらがたくさんいて、そういう存在がふつうに受け入れられている場所だからだ。それはバンドやダンスだけではない。推研もクジャク同好会もUFOキャッチャーも美少女戦士森鴎外も、みんな自分という存在を精いっぱい表現している。

お祭りだからそういう側面はどの大学にもある。慶應にもあった。しかしどこか、一定の枠を感じていた。窮屈だった。たとえば服装や化粧をとっても、三田祭では参加者にそれなりの要求がある。重武装をしないと、あきらかに浮いてしまうのだ。洗練されていないと、受け入れられない雰囲気がある(もちろん僕だけかもしれない。だが、僕がそう感じていたという事実が、僕にとっては重要になる)。

京大にも制限はある。けれど、何やってもいいんだ、という共通理解があたりまえに存在している。いろんな人間が身近にいても、普通に受け入れられる。

自分をそのまま出してもいいんだ。

そういう青くさい願望と衝動を見ている気がした。とても居心地がよい空間だった。