書くことが怖い
6月から8月にかけて、怒涛のような日々を送った。
コルクラボ関連でイロイロあって、いろんな自分を知れて、いろんな人にも会えた。ずっと会いたかった佐渡島さんとも握手した。「また来てよ」とも言われた。
世のなかにはこんなに嬉しいことがあるんだと涙した。
ストレスで体調を崩して、友人を亡くして、自分を再構築しなおそうと決意してから、はじめて笑った。はしゃいだ。人と話すって楽しいんだと心から思った。
夢のような日々だった。マリオのスター状態みたいな日々だった。何をやってもうまく行くし、みんな喜んでくれる。
そろそろ、夢だったのだと思い知る必要がある。
ある人に「調子のってない?」「自分ひとりでやってるつもり?」と言われた。
ギクリとして、しどろもどろに
「いや、そんなつもりはなくて……」
と返した。自分自身が調子のっているのを自覚していたから、突きつけられて動揺したのである。さっと目を伏せた。
たったひと言で、書くことが怖くなった。
心と文章がつながらなくなって、何を書いてもダメな気がして、書かなきゃいけないことも書けなくなって、「もうこれでいいや」と投げ捨てる。それが一番よくないと知ってはいながら、書くことが怖くなっている自分がいた。
いま何を書いても「調子にのっている」自分が現れてしまう。無理やりに抑えようとすれば、自分ではない不自然な日本語になってしまう。そう思うと、にっちもさっちもいかなくなって、ぼくは逃げるように書き捨てた。
書くことが怖いのではない。「たいしたものが書けないんだと、みんなに失望されるのが怖い」。つまり、読まれるのが怖いのである。
だからnoteから逃げてブログに帰ってきた。
noteには顔の見えたみんながいる。なのにぼくは、うまく書けないのを書きなおすこともしないで、これでいいやと放り投げた。いまの心の状態では、これ以上よくすることはできないのだけれど、とにかく僕は、やっちゃいけないことをやってしまった。
なんかもう、いろいろ疲れたのだ。
――内省できて、自分のことをよく知ってるね。
――感じたことを言語化するのがうまいね。
――読みたいよ。
スター状態の音楽が鳴っている最中には気にならなかった言葉たちが、一気にのしかかってきた。いい感じに力が抜けている状態を作りだしたのに、8月に入ってから、あきらかに力が入りすぎている。読む人を意識しすぎて、心の状態が変になっている。怖い。ハイにならないと書けない。
いっぽうで、こういうふうに心を仕向けたのも事実だった。一気にプラスに心を振りきって、マイナスに落ち込んでいた心をフラットにする。あるいは、もう少しプラスの領域を平常状態にしてもいいかな。年単位を見越して、感情の調整をしていた。
数ヵ月後になっているべき状態を設定して、調子に乗りつづけた。「周りは全員味方だ!」と思い込んだ。6,7月は、調子にのっている具合を大局でコントロールしていた。
けれど8月は、そのコントロールから外れた。Polcaで東京まで呼んでもらう。佐渡島さんと会う。みんなが会いたいと言ってくれる。自分なかの抑圧をこじ開けるものばかりだった。
そして、予想もしないところから「調子のってない?」と突きつけられる。
調子にのっていたのである。
大きくプラスに振りきった感情は、一気にマイナスに落ち込んだ。なんというか、ぜんぶ怖い。まったく書けない。みんなにごめんなさいとしか言えない。ありがとうと書きながらごめんなさいと思っているし、ほんとのことを言えば、何も言わずに逃げ出したい。
そんな状態でうまく書こうとしたって、うまく行くわけないのだ。
だから、いったんnoteを離れる。ブログで一からやりなおす。
いままでプラスの感情にひたったことがないのだから、これでようやくプラスの感情の繊細さを理解できる入り口に立った。ぼくの人生からすると、すごくうまく行っている。片側に膨れ上がった感情は、いちど正常値付近に戻す必要がある。
でも
ちょっと、
いや、すごーく
つらいな。