白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

京響「スプリング・コンサート」

京都コンサートホールに行ってきた。

都交響楽団のスプリング・コンサートを聴いた。

 

このコンサートは京響の各パートの紹介を兼ねており、同時に年度のはじまりにクラシックに親しんでもらうことを目的としている。そのため、親しみやすいプログラムとなっていて、またかなり安い価格設定である。

S席は設定されていない。A席が2000円、B席が1500円だった。

 

このコンサートに気づいたのは、引越し荷物を受け取って整理をしている最中だった。

真っ白の部屋に段ボールが積みあがっているのを見ないようにして、PC京響のサイトを見ていた。

3日後にコンサートがある。しかも安い。

B席の良くない席しか残っていなかったが、すぐに予約した。これがあれば、荷物を整理する元気がわく(と思ったが、いまだに段ボールに囲まれて生活している)。

 

コンサートホールまで自転車で20分かからない。さすが文化の街。狭い空間に、これだけの文化財文化施設が集まっている。

 

プログラムは最後に示す。数多くのプログラムのあいだは、指揮者のトークでもたせる。聴衆から積極的に笑い声が上がり、ホームだなぁと思った。

打楽器や金管楽器のひとたちは、演奏中にパフォーマンスをしており、とてものびのびとしていた。

ハスケルのあばれ小僧では、聴衆から手拍子が上がった。それほど楽しそうに演奏していた。

 

好きだなと思った曲は太字にしておく(太字ではないが、最後のピアノは好きだった)。

それぞれの楽器に焦点が当たるから、「この楽器はこういう音なのか」と生で実感できた。なかなかないと思う。楽しかった。

 

1月から予約が始まっているので、来年はもっと早くに予約する。

 

プログラム

ワーグナー:「ローエングリン」第3幕への前奏曲
パッヘルベル:カノン(ヴァイオリン合奏)
ヴィラ=ロボス:ブラジル風バッハ第1番より序奏(チェロ合奏)
ブルッフ(飯田香編曲 SDA48版):ヴィオラ管弦楽のためのロマンス(ヴィオラ合奏)
フィッツェンハーゲン(中原達彦編曲):アヴェ・マリアコントラバス合奏)
ヨーダー(野本洋介編曲):ハスケルのあばれ小僧
マレッキ:2台のハープのためのコンチェルトより第3楽章
ラヴェル:「ダフニスとクロエ」第2組曲より
モーツァルト(中原達彦編曲):「ドン・ジョヴァンニ」より「お手をどうぞ」変奏曲
アンダーソン:クラリネット・キャンディ
C.L.
ディーッター:2本のファゴットのための協奏曲より第1楽章
ウェーバー:「魔弾の射手」より「狩人の合唱」
アンダーソン(中原達彦編曲):トランペット吹きの休日
ハーライン(宮川彬良編曲):星に願いを
ドミトル(早坂宏明編曲):ルーマニアン・ダンス第2
レスピーギ:「ローマの松」より「アッピア街道の松」

映画『素晴らしき哉、人生!』

フランク・キャプラ監督『素晴らしき哉、人生!1946年。

 

いままでで、もっとも感動した作品である。

どうしようもなく、ラストで泣きつづけた。映画でこんなに泣いたのは、はじめてだった。

事実、アメリカ映画協会の感動した映画でトップに選ばれている。理想像がありながら、ままならない現実に耐えて生きている人間を、まるごと受けとめてくれる。ラストでは、幸せに包まれること請け合いである。

人間が、すこし良くなる。

 

【感想】

町を出て大きなことをしたい。いまのままじゃダメだ。こんなんじゃダメだと自分に言いつづけてきた主人公。

自分では気づかないうちに、周りに大きな影響を与えて、幸せにしてきた。

生まれてこなきゃよかったんだ……そう思うほどの絶望に接し、助け(さらなる絶望)が与えられる。

主人公はどん底で気づく。自分を責めていたのは、見当違いの話だった。大きなことをしたいという夢は物質的なものではない。精神的に周りの人を幸せにしてきた。自分もほんとうは幸せだったじゃないか。

 

ありえないほどの感動である。主人公の表向きの夢が、挫折し挫折し絶望する。最後の最後でほんとうの望みに気づく。すでに主人公は普段の行動で成し遂げていたのだ。

過去は変わらないけれど、ラストで主人公は過去を再解釈する。自分はこんなにも満ち足りていた。

こころの動きが完璧なまでに描かれている。

導入や途中のエピソードで、多少冗長に感じるかもしれない。その場合は、遠慮なく1.5倍速でいい。最後の最後で、普通の速度に戻そう。

この物語を見ないのは、人生の損だ。

 

【あらすじ・流れ】

導入:主人公ジョージの紹介部分はとても長い。

ジョージはこころ優しく、他人のために自分を投げ出すことのできる人間だった。弟を救うために凍るような水に飛び込み、片耳の聴覚を失う。知り合いのおじいさんの処方箋の間違いを指摘して、おじいさんと患者を救う。

そんなジョージを見ていた天使がいた。

ジョージには夢があった。住宅金融を営む父親のように、小さな町で一生を終えるのではなく、この街を出て、世界を股にかけて活躍したい。

 

 

物語は、父親が死ぬところから動き出す。

父親が死ぬと、営んでいた住宅金融が存続の危機に陥る。この会社がなければ、町の貧乏人は自分の家が持てない。敵対している金融業者は、貧乏人から金をむしり取っていた。

父親の住宅金融は、町の人を幸せにしていた。ジョージは世界に出るのを中止した。弟が大学を卒業して住宅金融を引き継げるようになるまで、自分が町を守ることに決めたのだ。

 

しかし大学に行った弟は、そのまま外で所帯を持ち、生活することになる。他人の幸せを願うジョージは、大きく反対しない。しかし鬱憤は募る。

 

幼馴染と結婚したジョージは、ハネムーンで世界旅行を予定していた。手元には、たくさんの紙幣がある。世界への切符である。

しかし銀行の取り付け騒ぎが発生する。ジョージの住宅金融にも人が押し寄せ、預金を引き出そうとした。やむなく手元の現金を使い切って、危機を脱する。今回も世界には出られない。

 

貧乏人相手の住宅金融は、もうからない。家族に満足な暮らしをさせてやれない。

敵対していた金融業者が高い金でジョージを雇い入れるともちかけてきた。一瞬、金額に目がくらむけれど、町の人たちのことを思いだして断る。ジョージは自分のことよりも、町の人たちを最優先に考えていた。

 

第二次世界大戦が始まる。ジョージは聴覚障害で兵役が免除された。弟は海軍航空兵として活躍し、勲章をもらった。町の英雄として、クリスマスに凱旋してくる。戦争に出られないジョージにとって、ほこらしいことだった。

その日は、住宅金融に監査が来る日だった。適正な取引をしていて、金庫には充分な現金があることを示さなければいけない。

不運なことに、事業を手伝っていた親族の手違いで、現金8000ドルを紛失してしまう。全財産だった。これがないと監査に通らず、ジョージは責任者として捕まってしまう。いくら探しても見当たらない。ジョージの人生は、いつもことが思うように運ばない。楽しいことは、すべて邪魔される。

帰宅して家のなかもひっくりかえすが、予備の金などない。妻にも、子供たちにも、電話をかけてきた相手にもあたってしまう。

なんでこんなにうまくいかないんだ……おれがなにをしたっていうんだ……家族にはこんな貧乏な家にしか住まわせてやれない……自分の夢も我慢して生きてきたっていうのに……生きていて意味があるのか……生まれてこないほうがましだったんじゃないか

ジョージは自分の人生に意味を見いだせず、金を工面するために自殺しようとした。町の人にも、敵対業者にも頼めない。橋の欄干に手をかけた。そのとき、天使が川に飛び込んだ。

他人を優先するジョージは、こんなときでも、飛び込んだ人を助けだした。

天使は、不運続きのジョージを救うために天界から送られてきたと語る。ジョージを救うことができれば、天使の階級があがるのだと。

 

ジョージは絶望している。天使の言葉など、妄言だと切り捨てる。天使がいるなら、自分の人生はもっとよかったはずじゃないか。

自分なんかいないほうがよかった……そうすればみんなもっと幸せになれたはずだ。

 

このつぶやきを聞いた天使は、「ジョージが生まれなかった世界」を見せてあげることにした。

 

ジョージは酒場に行く。楽しいはずの酒場はすさんでいて、貧乏人は門前ばらい。知っている人も、自分だと認識してくれない。ジョージが助けた処方箋のおじいさんは、殺人者として投獄された。

町も退廃している。ジョージが資金援助して大都会に行ったはずの知り合いは、町で水商売をしていた。ジョージが金を貸して一軒家を与えた貧乏人は、強欲な金融業者のせいで、ボロ長屋に住んでいる。

弟は、ジョージがいなかったせいで、そうそうに死んだ。妻になるはずの人は、ひとり身で生涯独身だった。ジョージをみて、変質者だと逃げる。

自宅があるはずの場所は、とうに荒れ果て人が住めるようなところではない。

 

ジョージは、自分がいなかった世界を体験していくうちに気づく。

自分がいなかった世界は、こんなにも悪い世界になっていた。自分がやってきたことは、周りをとても幸せにしていた。

「外に出て、大きなことをしないといけない」という思い込みにとらわれていたけれど、この町の命運を、これだけ変えていた。いままで自分が気づかなかっただけで、すでに大きなことを成し遂げていた。

 

自分がほんとうにしたかったことはなんなのか。自分が求めているものはなんなのか。

町を出て、世界を股にかけて活躍することか。世界を変えるような仕事をすることか。違う。ほんとうにしたかったことではない。

むかしの夢は、「父親のようにはなりたくない」という感情の裏返しにすぎなかっただけだ。地に足がついていない、空虚な夢だった。

求めている幸せは、実は、身近なものだった。

 

この町を変えて、周りの人たちを幸せにしてきたではないか。そんな人たちに囲まれてきて、幸せだったじゃないか。自分は、「町を出たいのに、出られない」という満たされなさだけではなかった。周りの人たちと、一緒だったじゃないか。それを幸せと呼ばずして、なんと言うのか。

自分の人生が不運ばかりで、生まれた意味がなかったなんて、なんて視野が狭まっていたのだろう。

 

こう気づいたジョージは、天使に言って元の世界に戻してもらい。家に走った。

家に帰ると、監査役がいた。牢獄に連れていかれるけれど、そんなことはどうでもいい。自分の名を呼んでくれる。監査役に抱きつく。ありがとう!

子供たち、ありがとう! 生まれてきてくれて、ありがとう!

妻が、外から帰ってくる。きみ、ありがとう! 隣にいてくれてありがとう!

 

妻は外で何をしていたのか。

町の人にジョージの危機を伝えたのだ。町の人は、妻の後ろにならんで家に入ってきた。次々とテーブルの上にお金を置いて行って、クリスマスの祝福を言った。テーブルには、お金の山ができる。人波は途切れない。

弟も帰ってきた。町から出ていった人たちからも、融資の電報が届く。家にはクリスマスのメロディーが鳴りひびき、みんなで歌う。

 

人生で最高のクリスマスだった。自分の人生は、こんなにも満たされていた。

 

素晴らしき哉、人生!

福永武彦『愛の試み』

福永武彦『愛の試み』(新潮文庫1975年)。

 

池袋西口から立教大学にいたる道には、文庫本専門の書店がある。大地屋書店と言う。

個人でやっているから、「こういう本はありますか」と訊くと、すぐ答えが返ってくる。何回か通えば、馴染みとして顔を覚えてもらえるのだろう。そういう店が大学の近くにあるなんて、幸運である。ぼくの大学にはない。

 

そこで本書を買った。福永さんの『愛の試み』は、孤独と愛にかかわるエッセー集である。最後のエッセーから、長めに引用したい。

 

「夜われ床にありて我心の愛する者をたづねしが尋ねたれども得ず。」

僕は「雅歌」のこの言葉を好む。これは人間の持つ根源的な孤独の状態を、簡潔に表現している。この孤独はしかし、単なる消極的な、非活動的な、内に鎖された孤独ではない。「我心の愛する者をたづねしが」――そこに自己の孤独を豊かにするための試み、愛の試みがある。その試みが「尋ねたれども得ず」という結果に終ったとしても、試みたという事実、愛の中に自己を投企したという事実は、必ずや孤独を靭くするだろう。……愛が失敗に終っても、失われた愛を嘆く前に、まず孤独を充実させて、傷は傷として自己の力で癒そうとする、そうした力強い意志に貫かれてこそ、人間が運命を切り抜けていくことも可能なのだ。従って愛を試みるということは、運命によって彼の孤独が試みられていることに対する、人間の反抗に他ならないだろう (155156頁)。

 

人は、意識しているかしていないかにかかわらず、孤独である。ただし孤独というのは、無価値な状態を指した言葉にすぎない。

その孤独な人間が、自己と世界をどう認識し、そのうえでどう行動するかによって、価値が付与される。

 

本書では、消極的な孤独と積極的な孤独が対置される。消極的な孤独とは、内に閉ざして、ただ自分のなかに沈み込んでいく孤独である。積極的な孤独とは、外に開いて、それだけで充足している孤独である。

 

充足した孤独。

そこでは、愛が試みられる。他者とつながろうとする。他者とはすなわち、異性である。異性は社会への窓口である。

 

孤独と愛にかかわるエッセーを読むことは、充足した孤独を試みることにほかならない。

9篇の掌編も挟まれていて(これが実におもしろい)、たった400円である。買いだ。 

エッセー、あるいはある人のこと

ぼくは、自分の家が好きではなかった。

お彼岸のときは、親戚が集まってかならず勤行をする。大きな線香を立て、漢字の横のふりがなを機械的に音読する。金もあれば、木魚もあり、錫杖も使う。燈明を灯もし、飲食も供する。10数人で夜に行うから、「声がうるさい」と隣家から苦情が来たこともあった。ぼくは、あまり大きな声を出さないのが常だった。

だいたい30分間はかかる。最後には脚がしびれて、立ち上がれない。

毎年2回、これを行う。迎え火や送り火も行う。線香の匂いが服にこびりついて、数日間そのままである。線香の匂いが嫌いになった。

読経する意味を感じられなかった。

 

高校の部活で祖母の実家の島に行ったときには、ぼくだけ一旦抜けて祖母と会った。お墓の前で読経を行うためである。

はじめて会う親戚の女の子が後ろで見ているなか、砂利に正座をして、簡単にお経を唱えた。隣に祖母がいるから、しっかり声を出さなければいけない。どれだけ恥ずかしかったことか。終わったあと、祖母の「ありがとう」に曖昧に答えた。はっきり言って、やりたくなかった。

ほんとうに嫌だった。

 

イギリスに行ったことがある。そこの人はみな、日曜日に教会に行くらしい。

「ほんとうにキリストを信じているの」。同年代の男に訊いてみた。

「ほとんどの人は信じてない。僕もね。でも行くのさ」

こう答えられた。

 ※

 

つい先日、とても親しくしていた友人が、急に亡くなった。

2週間前に一緒に飲んだばかりだった。バカなことばかりを言いあって、最後だからと少しの秘密も打ち明けられて、卒業式で会おうね、と約束した。

終わって、ラインで「お土産、渡すの忘れた!」と言っていた。ぼくは「卒業式で、また会うだろう」と思って、とくに返信しなかった。

 

そのときでいいや。

 

 

よくなかった。

 

 

第一報はスマホの電源を切っていて、取れなかった。5時間くらい経ってから、共通の友人たちからラインで知らされた。

犬の散歩の途中だった。文面が理解できなかった。けれど、衝撃が胸の奥にどろりとひろがり、息をするのが難しくなるのを感じた。唾がでてきて、何回も飲み込んだ。

すぐには返信できなかった。しかし、対応しなければいけない。40分くらい歩いてから、道にしゃがんで電話をした。犬がそばにいた。

寒空のなか、冷えた指と光る画面だけがあった。無性に犬を抱きしめたくなった。他人の体温が恋しくなる。

 ※

 

次の日から、お腹が痛くなった。前にもこういうことがあった。ストレス性の胃痛だ。

痛いけれど、どこかほっとしていた。親しい友人の死が、自分に対して衝撃を与えたという証拠である。無意識下で、すんなりと受け止めているなんて、そんな無情な自分ではなかった。

同時に、死を死として受けとめられるような距離感でもあった。近すぎず、遠すぎず、ちょうどよい親しさだった。

 

身体に出てくるほどのストレスが積み重なったとき、早朝と夜は大敵である。気もちが下がる。涙が出る。自分を責める。いちばん危ない。

誰かにしゃべりたい。共有したい。慰めあいたい。けれど、ほかの人は、ぼくよりその人と親しかったり長くつき合っていたりして、対等な感情ではない。ひとを失ったときの感情は、それまでの関係性に規定される。相談できる相手を考えたとき、ぼくは浅いほうだった。他の人は受け止めているのに、ぼく程度が、泣き言を言えるか。

 

そもそも誰かにすがりたいとき、(所属する集団のなかで)ぼくが頼っていたのが、その人だった。すがりたいと考えて、はじめて言語化できた。

 

「ざんげ

させて

○○ぴ」

 

個人ラインをたどっていくと、こんな感じで会話を始めた形跡がある。

決まって、

 

「うけとめるよ

なんでしょう」

「大丈夫だよ○○ぽん」

 

なんて優しい言葉が返ってきていた。自分のことで手いっぱいでも、誰かに頼られたら、その期待に答えてしまう。そんな人だった。

その甘さに甘えきっていた。

ぼくは何も返すことができなかった。

 

数日後、葬儀は、ご親族のあいだで行われた。ぼくでさえ、これだけつらいのだから、生まれたときからそばにいた人たちは、どれだけだったのだろうか。ぼく程度が、つらいとは言っていられない。

 

けれど、つらいものはつらい。お腹は痛い。なにか違うことをしなければいけない。

引っ越しのために部屋を片づけていると、その人からもらったワインボトルやコピーしたノートが出てきた。出てくるたびに、涙がにじんだ。捨てられない。とてもじゃないが、家にいられない。とりあえず、大学に行くことにした。

気もちに、区切りが必要だった。

 

こういうとき、彼氏彼女がいるひとは、ふたりで乗り越えるのだろう。

ぼくにはいない。どうしようもなく、だれかに会いたくなる。自分の根幹が揺れているときは、なにか確かなものにふれていたい。だけど、ぼくの会いたい人の会いたい人は、ぼくではない。

 ※

 

慶應義塾大学の近くには、走って10分くらいのところに、増上寺というお寺がある。芝公園のなかにあって、すぐ後ろには東京タワーがそびえている。

 

増上寺ではちょうど法要が行われており、誰でも焼香ができた。作法にのっとって行うと、とてもいい香りがした。

目の前には、阿弥陀如来の座像がある。きれいに磨き上げられた床に反射され、とても近くに思える。3月のひんやりとした空気。観光客もいるだろうに、団体さんも自然と声をひそめる空間。数人が椅子に座って、ただ如来を眺めている。

 

30分くらい、そこに座った。ただ涙が出てくる。鼻にも少ししょっぱい。

5時には目の前で僧侶たちが勤行をしてくれる。ぼくの横で、さまざまな人が手を合わせている。ぼくは、ひとりじゃなかった。

 

お寺の意味がはっきりとわかった。

誰にもすがれず、自分で乗り越えなくてはならないとき、ただ見守ってくれる存在と場所が必要なのだ。その手助けをしてくれるのが、お寺だ。

 

昔から仏教は、ぼくのそばにあった。邪魔ものだと思っていた。そのときには必要のないものだった。いまは違った。

 

ぼくの家は真言宗豊山派である。増上寺は浄土宗である。

しかし、そんな違いはどうでもいい。つらいときに、ひとりで瞑想できる場所が必要なだけだ。

 

僧侶たちの勤行が終わったとき、ぼくの服には焼香の香りがついていた。

 

もう嫌な香りではなかった。

お腹の痛みも、和らいできた。

 

友人の死から、1週間くらいたった。

昨日はお彼岸だった。ぼくの親戚が集まって、いつものように勤行をした。実質、東京で最後のお彼岸である。しばらく戻ってくる予定はない。

20数年生きてきてはじめて、お盆をした気がした。この感覚は、忘れることはない。

 

春からは京都に住む。

もらったボトルをもって行こうと思う。