挫折
毎週、NHK『ドキュメント72時間』を見ている。
どうしても頭から離れない女性がいる。
禅寺体験の回。参加していた女子大生だ。
警察官になることが彼女の夢だった。そのために大学に行って、自動車免許もとって、たぶん身体も鍛えていた。
しかし、車を運転しているとき、人間を轢いてしまった。
急に人影が見えた。急ブレーキをかけた。「あたらないで!」と願う。驚いた表情が見に入る。ぶつかる。影が飛んでくる。ドンという衝撃が車内を貫く。フロントガラスにあたって、ガラスに放射線状の白いひび割れが走る。
いまさら遅いのに、車がとまる。同乗者が救急車の手配をする。
いつの間にかサイレンの音が聞こえる。
番組で具体的な描写はない。ぼくの頭のなかでは、一瞬で光景が広がった。想像だ。
彼女は、就職先を警察しか考えていなかった。幼いころからの夢だった。
「人を轢いてしまった私が、警察官になる資格なんてないと思ってしまって」「どうしていいかわからなくて」
だから、禅寺に座禅をしにきた。いつもの人間関係から離れ、自分を見つめなおして、将来どうするか考えるためにきた。
彼女はこの話を初対面の相手に打ち明ける。「なんで禅寺にきたの?」という問いかけに、自分の本心を明かす。いままでの自分を知らない人だからこそ、話せることもある。打ち明けながら、泣きだした。あたりまえだ。
現在進行形の挫折である。
「こんな話をしちゃって、すみません」。
いいんだ。
そういう話を心の底に閉じ込めておかずに、誰かに打ち明けるために来たんだから。話すことは、自分を救うことだ。いつか泣かないで話せるようになる。泣くときは泣いたほうがいい。
言葉にしているだけで、十分がんばっている。もっと自分を褒めていい。
思いだすたび、この人はどうしたのだろうと気になる。
夢だった警察官に向けて再出発できたのか。それとも、まったく別の就職先を考えているのか。
もしくは車には乗らないけれど、警察官と似たような役割の職を見つけているのか。
挫折してから、ほんとうの人生が始まる。
※
たぶん、ぼくが気になっている理由は、自分の挫折を思いだすからである。
自分の記憶を思いだして、そのときの感情を再体験しているからだ。
ザラザラの砂粒にずっと沈んでいくような感覚。周りの砂に身体が圧迫されて、手足が動かない。呼吸をしようとすると、砂が入ってきてじゃりの味がする。ザラついた心を感じる。もう一生、この空間から逃れられないんじゃないかと思う。あとの人生は息をして消化するだけなのかとあきらめる。
こういう描写を読んで、わかる人とわからない人がいる。わからない人は、それだけ幸せな人だ。ほんとうの挫折をしていないから。でもかわいそうな人かもしれない。挫折をしたのに、「あれは挫折じゃなかった」と自分に嘘をついているかもしれない。または、情熱を注ぎ込む何かを見つけられず、挫折さえできないのかもしれない。
わかる人は哀しい人である。挫折をしてしまって、その挫折を挫折として認識した人である。何かになりたかったorしたかったのに、どうやっても無理なんだと気づいてしまったからである。でも、わかってしまう人は、挫折と折り合いをつけながら、すこし方向転換をして生きているのではないかと思う。そう信じたい。
挫折をしてから、他人の挫折に対して愛を感じるようになった。
何とか回復しますように。傷ついて閉じた心が、またやさしく開けますように。前を向いて、また踏み出せますように。沈みきっているときにも、たったひとりでいいから、誰かが側にいてくれますように。
涙がにじんでくるのを感じながら、ひとりで祈ってしまう。
挫折を描く物語は、ほんとうに好きだ。
挫折を描くとき、主人公には、何かに熱中するプラスのエネルギーがある。挫折して、エネルギーが極端なマイナスに振りきれる。絶望する。
そんなときでも、心配して寄り添ってくれる人がいる。
そばにいる人間の体温を感じて、自分を見定めて、また前を向いて動きだす。ひとまわり大きな人間になっている。
これこそが人生なんじゃないか。
というわけで、さいきん読んだ挫折と再出発の物語。
和月伸宏『るろうに剣心』(集英社):妻を斬ってしまった主人公・剣心は、人斬りを封印して逆刃刀を使っていた。しかし、亡妻の弟の復讐を受けて、目の前で好きな女性を殺されてしまう。
不殺の誓いは意味なかったのではないか。またしても、守りたい人さえ守れなかった。刀にしがみついたばかりに、あの子を巻き込んで殺してしまった。もう刀を捨てよう。生きている意味なんてない。
剣心が絶望した以降の物語がとても好きです。物語構成上はちゃんと死ぬほうが正しいんだけど、まあこれくらいは。正直、死んでほしくない。
一番驚いたこと。「るろう」に剣心ではなくて、「るろうに(流浪人)」剣心だったんですね。志々雄編までは物語の流れがなくて(=何を描きたいのかわからず)退屈だった。乗り越えると、閉じた心を救う物語を描きたいんだなと理解した。
奥乃桜子「あやしバイオリン工房へようこそ」
http://r.binb.jp/epm/e1_63801_14112017135736/
12/27日まで読める。とてもオーソドックスな短編。
バイオリンの才がなくてプロをあきらめ楽器店に就職するも、愛着あるバイオリンをただの商品として見ることはできず解雇される。「バイオリンなんて好きじゃなかったんだ。違う人生を歩もう」と思い込もうとするものの、ふとバイオリンの精に導かれてバイオリンと出会いなおす。「ああ、そうか。自分に嘘をついていたんだ」。
ことし一番の漫画で、後世に残る傑作。ブログに書きたいのだけれど、魅力を書ききれないから躊躇している。
絶望という意味では第2巻。「天才のそばにいて絶望する凡才」を描く。自分も努力して才能があるけれど、天才と同じレベルにはどうあっても到達しないんだという絶望を味わう。努力したからこそ、天才との距離がわかってしまって一層絶望するというのがキモ。それでも、生きていく。発狂パターンだと映画『アマデウス』もどうぞ。
この人は、短編にこそ特徴が出ると思う。いい具合に力が抜けている短編集。
「夏――蜩の川」には、絶望がある。ネタバレになるから言わない。この本の白眉は、「秋――南の絆」だけれど。ウソの魔術師。