世界とのつき合いかた
NHK『U-29』をたまに見る。若者が自らの人生を切り拓こうと苦闘するさまは、応援したくなる。将来に向かって盛り上がっていくエネルギーに満ちあふれている。
今回は日本酒専門の編集者の話。
サシ飲みが苦手という彼が、その理由を語る場面。
相手と一対一で話して情報を引きだすことは、インタビューするときに必須の能力だ。自分を守るのではなく、自分をさらして相手の懐に入りこむ技術が必要になる。でも彼は苦手だった。なぜか。
「自分のことが好きなんですよね。それが一番大きい。
自分のことを非常に強く肯定しているので、他人にがっかりされるのは、その肯定が崩されるという不安がある」
だから、自分をさらけだすことに抵抗があるということだった。
感情を言葉にしようと試みている。すばらしい。
しかしあと一歩のところで失敗している。おしい。
自分のことを好きなのはただしい。自分のことが好きだから、傷つきたくない。これを自己愛という。
けれど、自分のことを強く肯定しているというのは、間違っている。この人は肯定しきれていない。肯定しきれていないから、他人にがっかりされるのが怖いのだ。
自分のことを肯定しきれていると、他人にどう思われようとも関係なくなる。すでに肯定されているのだから、赤の他人がどう言おうと「だって、これがぼくだし」と傷つくことはないのだ。日本酒をテイスティングする能力が高いこととは関係ない。能力を肯定できても、自分そのものを肯定できていない。
自分で肯定できずに、他人に肯定してもらいたいから、他人の意向を気にする。だから他人にがっかりされると、自分が傷つく。デキる自分を見せなければ、他人にがっかりされると思いこんでいる。
この人は他人から低評価されるのが怖いんだ。だから、自分をさらけだせないんだ。自分の考えていることは、くだらないことばっかりだから。くだらないことをさらすと、他人にバカにされると思っている。
人間はみんな、くだらないことばっかり考えていることに思いいたらず。
番組内でも示唆されたように、こういうひとは、①自分をさらけだしても、他人はそんなに気にしないんだという経験を積む必要がある。むしろさらけだしたほうが、相手からするとつきあいやすい。場数を踏むことには一定の意味がある。
根本的には②注がれている愛を心の底から実感するといい。自分は実は愛されているのだ、という実感をえることで、真に自分のことを肯定できるようになる。そうすると、他人がどう思おうが問題ではなくなる。
自尊感情は、自分そのものを肯定できるのと、他人より優れている自分を肯定するものに分かれる。前者を身につけることで、世界の見えかたは大きく変わる。
彼は最後にこう言う。
「本音をだすのがめんどくさいと思っているうちに、本音をだす筋力が衰えていく」
めんどうなのではない。傷つくのが怖いんだ。目の前のひとの反応を直視するのが怖い。
――自分は、そんなに立派じゃない。なんとか表面だけとりつくろっているだけなんだ。自分が考えていることを表に出したら、どうしようもないことばかりでがっかりされるんじゃないか。
怖さを乗り越えて、いちど誰かにぜんぶぶちまけてみる。予想と違って、受け入れてくれる存在を認識する。もしかしたら世界は愛に包まれているのかもしれない、なんて思っちゃっていい。
そうやって、ただ自分をさらけ出すのではなくて、コントロールしたままさらけだせるようになる。コントロールの仕方こそが、人生における、世界とのつき合いかたなのだ。