白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。妄想日記。妄想は妄想です。実在しません

ネット時代の感情ーー官能描写の隆盛

村山由佳さんの『ダブル・ファンタジー』がドラマ化されることに気づいた。WOWOWで6月から放送が始まる。http://www.wowow.co.jp/dramaw/wf/

村山由佳さんは去年いくつか読んだ。『遥かなる水の音』をお薦めされてから、ちょいちょいつまんだ。『天使の卵』や『永遠。』、『星々の舟』などを読んだ。デビュー作から一貫して内面を描くのがうまいなぁと思っていた。

とりわけ『海を抱く』と『ダブル・ファンタジー』を読んで、「うわ、これ、えっろい」とゾクゾクした。徹底的に内面を描いているから、官能的な感覚が脳内に叩きつけられる。

もちろん、そういう官能描写は、小説のストーリーに組み込まれている。小説としてもおもしろい。じゃあなぜ官能描写を入れたのかといえば、読者を小説にぐいっと巻き込むことができるのと、生きることをリアルに描くには官能を欠かせないからだ。

 

ぶっちゃけ論でいえば、エロいものを読みたい需要は大きい。多くの人は表では言わないけれど、裏ではそういうことに興味津々である。エロ・グロ・ナンセンスは芸術から切り離せない。人間の感情を動かすには、ひとつの有力な手法である。

同時に、生きることは他人とかかわることである。他人との究極のかかわりは、二人の境界が溶けあう一瞬を経験することだ。境界が溶けあうには、自分を防備することをやめて、自分をさらけだしながらかかわることが必要になる。こうしたことを直接的に直感的にシンプルに描こうとしたら、セックスになる。

セックスが女性視点で描かれるのは、もっと理由がある。これ以上書くと、呼んでいる女友達から見放されそうなのでやめておくけど。

 ※

 

おかざき真里さんの『&』でも、同じ感覚を味わった。あの漫画のエロさはやばい。

おかざきさんの漫画の特徴は、紙から余白が排除されていることと、絵で語る手法が多用されることである。通常はコマとコマのあいだや紙の四隅に白い余白がある。余白はコマとコマを「視覚的に区切る」役割をもつ。けれどおかざきさんの漫画は、そうした区切りを感じさせずに、画面いっぱいに絵が描かれる。絵が直接的なイメージとして脳内に流れ込んでくるのだ。だから、どっぷりとおかざきワールドに引きこまれてしまう。絵そのものが脳内に語りかけてくる。

『&』のセックスシーンは、水のイメージが多用される。粘度のある水が、したたるように、流れるように……ふたりの息遣いが……。エロくなってきたのでやめます。

※ 

 

もうひとつ。

『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』という本を知っているだろうか。

ネットの片隅で生まれて、本になって、女性読者の熱烈な支持を背景に全世界1億部を売り上げた、官能小説である。

批評家からはこき下ろされているけれど、めちゃくちゃ読まれている。試しに読んでみたら、最初は読めたものじゃないけれど、波に乗ってからは、すばらしく感情を動かされる。エロい。

ちょっと抜き出します。

 

 それからまた私の顎を持ち上げると、さっきみたいにキスを始めた。 ああ……焦らさないで。唇が鎖骨にたどりつくと同時に彼の手が私の体を這い、胸に触れた。鼻先で鎖骨と鎖骨のあいだのくぼみに円を描いたあと、唇の旅を再開した。もどかしいほどゆっくりと下に向かう。唇が通過したあとを手がたどる……

 彼の舌が足の甲をなぞる。もう彼を見ていられなかった。エロチックすぎる。このままでは体が自然発火してしまいそう。目をきつく閉じて、彼が生み出す感覚を余すところなく吸収してさばくことに集中した。

 

キスを始めたとか、エロチックすぎるとか、こういう言葉は陳腐で想像力を奪っていく。未熟だと思う。けれど、それ以外の部分は圧倒的にエロい。体が自然発火してしまいそうというのはすばらしい表現である。こういうところを女性読者が支持したんだと思う。

 

 

このブログでも三島由紀夫を引用したように、読者は非社会的な動機を小説で発散している。小説で倫理的なものしか読めなかったとしたら読者は離れていく。ひとりでこっそり、ひりついた笑いをしながら読むことこそ、小説の魅力だ。

ぼくはずっと、ネット小説を「あんなもの小説じゃない」と思ってきた。どこをどう見ても未熟すぎるからだ。

しかし、そもそも、小説や物語は受け手の感情を動かすことに意味がある。ネット時代は感情が可視化されやすい。そうした時代で、官能的な描写は直接感情を動かしてくるから大きな優位性がある。ネット小説では、「単純に楽しい」「単純におもしろい」「単純に気持ちいい」みたいなものが大きな割合を占めている。

エロって感情を動かされるじゃないですか。