白くま生態観察記

上洛した白いくまもん。観察日記。勝手にコルクラボ

映画『ララランド』

ララランド

 

現在公開中の映画である。先日のアカデミー賞で、今年度最多受賞作品。

それに恥じぬ作品だった。

※上映中の作品は書かないようにしようと思ったのですが、自分のためのメモなので書いてしまいます。それに呼応して、あらすじは最後にもっていきます。

 

【感想】

一年前、薦められてデミアン・チャゼル監督の『セッション』を見た。細部は思いだせないものの、ラストが印象的な作品だった。公演の最中、ドラマーと指揮者の言葉のないぶつかり合い。高みに上っていくドラマー。狂気が映像化されていた。

ひとつ。途中の唐突な交通事故は主人公を困らせるために仕組まれたのがバレバレで、少し気になる脚本ではあったが。

 

さて『ララランド』。この三つが正直な感想だ。

1ダンスと音楽の相乗効果がすごい。2エマ・ストーンの演技がすごい。3悲しいハッピーエンド。

1見た人ならうなずけるはずだ。いきなり始まるダンス。音楽。途切れさせないカメラワーク。すごいんだこれが。

2エマ・ストーンすごい。もうすごい。圧巻なのが、男のライブに行ったとき。「夢がかなったんだね……違う……楽しんでない……嘘だ……こんなあなたを見たくない」。これをすべて無音で表現する。ほかにもいろいろあるが、ここはすごい。

3ふたりは、夢を実現する。ハッピーだ。しかしふたりは別々の人生を歩んでいる。悲しい。弾かれたピアノで、昔のようにふたりだけの夢の世界に行ける。愛は終わっていないハッピーだ。しかし隣にいるのは別の男。悲しい。

 

正直に言って、脚本自体は既視感がある。芸術を目指す男女の、よくあるラブストーリーだ。そこは狙っていないのだろう。

ただ、ここまで自然に映像と音楽を融合させたものは、記憶にない。極上のミュージカルだった。

劇場を出ても、音楽が耳に残る。またダンスを見たい。美しいものを見た。

 

【あらすじ・流れ】

女優を夢見るエマ・ストーン。ジャズ喫茶をもつことを夢見る男。

 

渋滞した高速で出会ったふたりは、何度も顔を合わせる。パーティからの帰り道、ふたりはごく自然に踊りだす。波長が合っているのだ。

ストーンはそのとき付き合っていた恋人を捨てる。付き合うようになったふたりは、プラネタリウムで空を飛ぶ。ふたりなら、どこまでも行ける。夢を語り合う。

 

同棲し結婚も意識するふたり。男は「安定した収入」のために、嫌いな相手と嫌いな音楽をすることを選ぶ。成功してしまい、今後何年ものライブ生活が予想された(このライブに行ったときのストーンは必見)。

 

この状況を見て、ストーンは「ほんとうのあなたじゃない。嫌いな相手と嫌いな音楽をするの?」と言う。男は「仕方ないじゃないか。君のためだ」。誕生日に、ふたりのあいだに決定的な裂け目ができる。

男は、自分が間違っていたことに、写真撮影会で気づく。

 

ストーンは、自作の舞台で大失敗。いままで頑張ってきたのに......絶望する。男の謝罪を受け付けられる状態ではなく、「it's over」の言葉を残して地元に帰る。

 

男と女は別々に絶望していた。男のところに、ストーン宛の電話がくる。舞台を評価した制作陣からオーディションを受けてほしいと。

男はストーンの家に押しかけ、クラクションをブ―――と鳴らす。いままで、男と女を結びつけてきた音である。ストーン「わたしもうダメ。つぎ失敗したら立ち直れない。平凡に生きていくわ」。弱気なストーンに「来るのか来ないのか」と突きつける。

 

ストーンは行くことにした。もう自分を着飾る必要はなく、「あなたの話をしてください」との課題に、歌って答える。このメロディ……泣けるから劇場で見て。

 

男は「きみは受かるよ」と確信する。しかし夢の実現は、ふたりを引き裂くことになる。

ストーンは、オーディションに通ったら7ヵ月はフランス暮らしで、そのあとはもっと忙しい。男は、自分のジャズ喫茶をもつことで忙しい。もう、いままでのように会える時間はない。

 

ふたりは「ずっと愛してる」の言葉で、別れる。

 

5年後。

ふたりとも成功し、自分の家族をもっている。

 

ストーンは夫とともに、外へ。ふとピアノの音が聞こえてくる。入ってみると、彼のジャズ喫茶だった。

 

彼はひとめでストーンを認識し、「ようこそ」と。ふたりのあいだに言葉はいらない。最初に出会ったときのメロディを弾きはじめる。最初はさみしく、途中は劇的に、最後はさびしい。

 

このメロディの最中、ふたりは、ふたりだけの世界に入る。演奏が終わったら、おしまいの世界。

出会ってからのことがすべて思い返される。それは、ふたりが途中で絶望することのなかったストーリー。昔のミュージカルのような、夢の世界のお話。ふたりの最後のダンス。

 

さいごに、惜しむように目線を交わす。

映画『眼下の敵』

眼下の敵

 

戦争映画が好きだ。

極限状態での人間を見るのは、快感である。

初めて見る、眼下の敵を前にして、どうするのか。

 

【あらすじ・流れ】

第二次世界大戦時、アメリカ水上艦とドイツ潜水艦の戦い

 

水上艦の艦長は、元民間人である。自分の商用船がUボートに沈められ、一緒に乗っていた妻を亡くした。艦長室にこもっているため、船員にはさげすまれていた。

しかし艦長は敵を恨んではいない。こころを押し込めていた。「敵も軍人としてやったんだ。こっちも軍人としてやるべきことをやるだけ」

 

潜水艦の艦長は、第一次世界大戦からUボートに乗っていたベテラン軍人である。息子ふたりを戦争で亡くしていた。親しい友人に「こんどの戦争には、大義がない」(大意。打ち明ける言葉は、名言ばかりだった)と漏らしていた。

 

潜水艦が浮上航行をしているのを、水上艦のレーダーが発見し、両者は戦闘状態に入る。

 

潜水艦と水上艦の双方は、相手が見えないながらも、相手の考えを読むように動く。動く。動く。片方が先んじれば、もう一方がうまく次の手を打つ。潜水艦の進路が固定されているため、ハンデとなっている。

 

そのやり取りのなかで、敵への信頼が芽生えてくる。

 

最後。水上艦は捨て身の作戦で、潜水艦を沈めることに成功する。両方とも沈むことになる。

船員たちは救命ボートに乗って逃げる。

 

沈没するまえ、双方の艦長は互いに敬礼する。

潜水艦の艦長は、動けない仲間とともに死ぬことを覚悟した。

それを見た水上艦の艦長は、ロープを投げて彼等を助ける。眼下の敵を助けたのである。

 

【感想】

いまの日本人が想定するほど、意外と敵と味方が峻別されないものである。

もちろん概念上、敵は敵なのだが、それだけではない。

眼下の敵をまえに、どうするか。

映画『ユージュアル・サスペクツ』

ユージュアル・サスペクツ

 

1995アカデミー賞脚本賞

 

叙述ミステリーを、映像で描くとこうなるのか!と素直な驚き。すごい。

 

【あらすじ・流れ】

謎の黒幕であるカイザー・ロゼが、キートンを殺すシーンから始まる。船が炎上する。

それを影から見ていた生還者キントの証言で回想がされる。

 

映像化される時間軸は

現在1:回想を述べるキントと警察官

現在2:病室にいるもうひとりの生還者

過去:キント、キートンを含む5人の容疑者の動き

 

きっかけは些細なできごと。キートン、キントを含む前科者5人が容疑者として逮捕される。

キートンの恋人兼弁護士の働きで、釈放される。しかし獄中で、ヤバい金儲けの仕事をする話し合いがされる。

 

金儲けで、頭脳的な中心になったのはキートンだった。ひとつの仕事のはずだったが、ずるずると続けることに。そのうちカイザー・ロゼの手下コバヤシが現れ、メンバー5人の恋人・家族を人質に仕事を依頼する。

 

カイザー・ロゼは決してしっぽをつかませない。人相も不明。警察にも社会にも強いパイプを持っているらしい。伝説の犯罪者である。逃げようとしたひとりは、あっさりと殺される。

 

頼まれた仕事は、敵対組織の麻薬密売の阻止だった。船で運ばれている麻薬を、船ごと焼き払え。

ひとり欠けた5人組は、なかにいたやつらを皆殺しにする最中に気づく。

 

「この船には、麻薬がない」

 

カイザー・ロゼの目的は、自分の人相を知っているやつを殺すことだったのだ。冒頭につながる。

 

こうした流れのところどころで、キントを尋問する警察官の描写がされる。キントは釈放が決まっていて、任意の供述である。これらの話を聞いた警察官は「キートンこそが、カイザー・ロゼだ」と判断する。「彼は本当に死んだのか」いや生きてるはずだ。

 

もうひとりの生き残りは船の爆発に巻き込まれ、やけどの重傷である。瀕死の証言から、警察はカイザーロゼの人相を割り出す。

 

キントは尋問が終えて、警察署を出る。

 

そこで警察官は、気づく。

コバヤシは、手にしているコップのメーカーである。話の要所に出てきた名前は、それぞれ壁に貼ってあるメモの名前である。キントは、やけに落ち着いていた。

 

人相書きが、FAXで警察署に送られてきた。キントの顔だった。

 

「俺を甘く見るなよ」。そういっていた警察官は、自分が甘く見られていたことに気づいた。

カイザー・ロゼは、街中に消えていった。

 

【感想】

叙述トリックである。サスペンス映画に分類されるのではなく、ミステリー映画に分類されるべき。

カイザー・ロゼという大黒幕は誰なのか。これがテーマとなる。

証言では、キートンがカイザー・ロゼであるかのような誘導がされる。映像はキートン視点で描かれる。警察官も、キートンが死んだように見せかけて罪を逃れた事実を挙げ、「今回も死んではいないのではないか」と推理する。キートンこそがカイザーなはずだ。

見事である。

物語の中盤にくると、カイザー・ロゼは誰なのか。何の目的があるのか、ということが映画で描かれることがわかる。

ミステリーのお約束として、いままでに出てきた人物以外は、カイザー・ロゼなわけがない。5人組のなかの人物がカイザーなのか。それならばキートンだ。

もしかして警察にもパイプがあるようだし、警察官ではないか。それならば取り調べをしているやつだ。

いやもしかしてコバヤシという人物ではないか。いやキートンの恋人も怪しい。

見る人の推理が拡散していくように仕組まれている。うまい。

 

拡散した推理が、ラストで一点に集約される。美しい。

カイザー・ロゼの正体を知ったら、もういちど映画を始めから見たくなる。なるほど、あれは伏線だったのかと。

映画『レインマン』

レインマン

1989脚本賞

すばらしい脚本。ゾクゾクする。

 【見どころ】

主人公の欠点は何か。欠点を生んだ原因は何か。欠点を補う装置は何か。どう行動が変わるのか。お手本のような作品。

 

【あらすじ・流れ】

他人は自分のために利用するものと思っている主人公。その場しのぎで嘘をついても悪気なし。

ゆがんだ価値観の背景には、父親に見捨てられたと感じてから、愛を感じられないことがあった。

父親の死で巨額の遺産=300万ドルが手に入ると思ったが、遺言状の内容で主人公には残されないことが判明。

これに不服な主人公が相続先を探すと、いままで存在を知らなかった兄がいたことが判明する。兄は精神病院にいた。サヴァン症候群であり、社会生活は難しい。その分、記憶力と計算力は抜群である。そこの先生が後見人として管理していた。

 

主人公は、兄のレイモンドを人質に連れ出して、遺産をよこせと交渉することにした。裁判に持ち込むぞと。半分の150万ドルはこっちのものだ。

 

主人公は、兄の世話を恋人に押し付ける。しかし恋人は、他人を利用する態度に嫌気がさし逃亡する。主人公は、150万ドルをひとりで世話せざるを得ない状況に。

 

兄は、飛行機に乗れない。高速に乗れない。食事は曜日ごとに決まったものしか食べない。決まったテレビを見なければならない。雨の日は外に出ない。

 

これらに対応する主人公は、自分の事業のため、普通の道で3日かけて大陸を横断する必要にかられる。事業はパー。

その途中の宿で、風呂の水を張るときに、兄が奇声を上げる。

驚いた主人公は、兄のつぶやきから衝撃の事実に行きつく。

 

兄はレインマンだった。

主人公の生まれたときの家の様子を、完全に記憶していた。

 

主人公は自分に対する親の愛を確信する。兄の記憶を通して。兄への愛が芽生える。靴を脱がせた。

主人公は恋人に謝る。他人を利用するだけの存在とは見なくなった。

 

そこから兄をさげすむだけではなく、兄の美点を生かして一緒にカジノで財産をあげる。

 

最後は兄も主人公を「メインマン(親友)」と認めて、冗談をいうように。

主人公は兄を金とは交換しない。「つながってるんだ。たった一人の肉親を、どうして取り上げようとする」

 

【感想】

完璧な脚本である。すばらしい。

家族愛を感じずに育ち、他人に敬意をもてない主人公が、サヴァン症候群の兄と旅をすることで、特有の記憶力に保存された家族愛に触れ、兄弟でこころが通じるようになる。そうなったとき、主人公は、他人に嘘をつかず経緯をもてるようになった。