祈るピアニスト
はじめてプロのピアノを聴いて驚いたのは、音ではなく表情の豊かさだった。
テンポが速く軽やかな曲調の場面では顔も自然とほころんでいて、遅めのテンポで重い雰囲気の場面では顔にしわが寄っていて、甘くささやくようなイメージの場面だと「全身が愛で満ちてます!」みたいな表情をしていた。
そういう人は最初にピアノに向かってから、目を閉じて感情を身体に行きわたらせる。目を開けて鍵盤に触れる。たった一音を奏でた瞬間、空間に感情が満ちる。
音を通して感情が直接流れ込むのだ。
それまで、ピアニストは淡々と弾くものだと思っていた。
彼らは毎日毎日練習を重ねて、狂うことのない技術で演奏する。音の配列とテンポによって、聴き手のなかに感情を生みだす。もちろん微妙なニュアンスもあるけれど、それもすべて事前の準備と技術が解決するものだと思っていた。
感情を身に体して演奏すると、雑味になるんじゃないかとも思った。感情が入った音では、表現が独りよがりになってしまうんじゃないか。大味な表現になってしまうんじゃないか。
だから、プロがあそこまで感情をさらけ出して演奏することに驚いた。ほとんど無防備な状態である。すべてをピアノにささげて、ほかの人間など目に入らない。自分とピアノだけの世界に入りこんで、音を紡いでいく。
いや違うな。
正直にいうと、ぼくは怖かったのだ。
周りの目があるのに、自分をぜんぶさらけ出している。恥ずかしさとか照れとか迷いとかはなく、ただ一心に楽譜に込められた感情に身をひたして、それを音に乗せる。独りよがりの要素はまったくなくて、むしろ全身で祈っているように感じた。ただひたすら感情と音をつなげようとする姿は、祈りであり、祝福だった。
急に自分がどこにいるのかわからなくなった。ぼくは何を聴いているんだろう。何を見ているんだろう。この人は、何を感じているんだろう。いろんなことがわからないのに、なぜか感情は伝わってきて、心が動かされた。
このわからなさが異様に怖かった。
この体験をしたのは、仲道郁代さんのピアノだった。
どの曲だったか思いだせない。たしかショパンの「バラード第一番」だったのだけれど、いま見ても同じ感覚にはならない。
もしかすると最初の一回だけのビギナーズラックだったかもしれない。
右も左もわからない時期に、なんという贅沢な一瞬を経験したものだと思う。
ここちよかった。